芥川沙織

沈思黙考し、心の闇行きつ戻りつ病み崩れさる
宴は沢霧の如く友の姿なく思い出が老いを慰む
今日在るも判らず、明日思う愚かしさ、身扱がす。
緑陰に迫る夕暮れ、夢幻に溺れて朝陽無可有る
刀圭優れるも医王現れず、治癒遅く、衰えは早く
燈火親しみ、恩義有り、詩作り自ら躊躇を励ます。
コメント
芥川沙織は、山田沙織として生まれ、間所沙織として亡くなった。
最初の結婚で2女の母となり芸大で学んだ声楽の道を諦め、子育てをしながら絵画に
情熱を傾けていたころの作品と思われる。
スケッチブックにクレヨンで描いた作品は、死後遺族が整理して世に出たという。
卑弥呼のシリーズにみられる劇場的な表現ではなく、ユーモアも見受けられ、
抽象性に通じるものがある。表面的には幸せな時のスケッチだと考えているが、
不安定な心情を反映していると云われると、そうかなとも思える。

 クレール・アステックス 《ジョアンヌ》
 自宅2階への踊り場の上、見上げると微笑んでいる。 ときには冷ややかに見下されている気もする。絵は変わらないのに気持ちの変化で変わる。 甥っ子が、どうやって掛けたのか不思議そうに眺めていたので詳細に説明した。だから簡単に外せないことは理解したようだ。そう離婚など簡単にできないのと同じでモノだからといって 取り換えは容易じゃない。でも気に入っているので新築したときから変えてない。もう充分に古女房である。
   
 アンリ・ミシェル 《グランパレのティーローズ》
気に入って買ったけど、一度も架けていない。額を含めて11kgもあり、 簡単に掛け替えることができないこともある。一世を風靡しただけに画面では伝えきれない華やかさが溢れている。 額の華やかさに負けない絵の力強さがある。重厚感を支える花が絶妙な位置と大きさになっている。 なんとか飾りたい。王宮のような造りじゃないと難しいか。
   
 秋山祐徳太子 《頭上の剣士》 ブロンズ
最初は「ダモクレスの剣」に触発されて制作したのかと思ったがそうでもないらしい。頭の真上に剣があれば緊張感も半端ないが、彫刻表現はどうするのだろう。2F上り口でいつも剣士をみていると身を引き締めることもある

画廊主との思い出
毀誉褒貶の多い作家である。ブリキの彫刻が代名詞のように云われるが、 ブロンズの《頭上の剣士》は良い。今は亡き小財堂画廊が扱っていた作家だが、 けんか別れしたと聞く。私が銀座で画廊歩きしていた時に巡り合い、 その後画家のTさんを通して深く知り合い、作家との付き合い方、 画廊商売の裏表も教えて頂いた方であり、先見の明がある。絹谷幸二や有元利夫など売れる前の作家を発掘して、 高くなると扱いを止めるという。面白味や醍醐味がなくなるのと、 しかも一人ですべてやるので分相応なところでビジネスをやっていた。 だから、不況がきても借金をつくり夜逃げなどありえない。個性が強く喧嘩ばかりしていたようだが、 尊敬できる画廊主であった。このような方はもう画廊経営者に現れることはないだろう。 現代的な経営に切り替えないと後継者を育成しながらは難儀である。病で店じまいしたのは残念至極である。
   
 アンドレ・ブール 《ドーフィヌ広場の家》 6F
 
   
 相笠昌義 《海水浴をする人》 


夏の海といえば、鎌倉材木座海岸のテント村を思い出す。人も多くなく、丁度こんな情景ではなかったろうか。 水着も古めかしそうなモノクロ版画の世界に入り込める。戻れないと分かっていても車で通ると瞬間的にあの頃の懐かしさが海の香りに乗って甦る。
   
 アルト 《花》
 
   
 ジャン・ピエール・アロオ 《冬の花》
忍冬
冷たい寂しそうなたたずまい
冬の花はすべてそうなのだろうか。

外が冷たいから
花も寒そうである。

色を付けても
景色がかわらない

誰もいない
静寂が背景を支配する

雪景色に惑わされる
雪は天からの贈り物

贈り主の空を見上げる
忍冬は常に緑だ

字面で惑わされている
ドライフラワーだ

額を付けたい絵がある。無いと様にならない。絵にならない。という類だ。この絵も。だから額を入れ、写真にした。
   
 安達博文 《ひとの連作》 はがきサイズ6枚一組
 
面識はない。同郷の画家Tさんの話に出てくるので他人のような気がしない。真面目な人ということと 「大きな絵をかかないといけないですよ先輩!」と会うたびにいわれるということは聞いている。 作品は若い時から好きである。個性を巧く風化させず同じ絵と言われない工夫をしている。 富山にいても常にアンテナが張り巡らしており取り入れている。周囲特に奥さんが余程しっかりしているのだろう。 画業に専念できる環境を維持し新世界に目を向けるのは難しいがやってのけている。
 《連山を想う》
 《たおやかに》
   
 東直樹 《顔》 2007
 《ペルソナ》 2005
  《ペルソナ》 2005
仮面と仮装
初めて意識したギリシャ語がペルソナ
ギリシャ悲劇の話を中学で学んだ時に
仮面の舞踏劇に出てきた
人は仮面を付けると別人格に成れる
俺もなりたい
でも現実を受け入れるのが先決だ
そこでどうやって生きてゆく
ありえない話でも
物語として夢想はできる
その刹那は幸せな気分になる。
春陽会を多く扱う画廊で紹介され、興味を持っていた。表情が好きだ。笑顔もなく怒りもなく感情を掴ませることなく俯いている。それでいて魅力を感じるのは背景の色味がいいからだろう。繊細な描画で丁寧に描き込まれた虹をちりばめたような配色が見事にバランスをとっている。 

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