2018年12月      
2018年12月31日 晴
午前中から最後の片づけ、明日分を残して休憩。おせちが宅配されてきた。加賀屋のだ。明日別口を持ってくるのかメールをした。中央のカフェで古文字の練習。行く予定もないのでIで食事と酒。今はあらかた新年の準備を終えて風呂に入り神明社に参詣する。23時30分に家を出る。今年の日記は以上。10か月間続いたのは自分でも意外だが、いつまでも続けたい。

2018年12月30日 晴
あらかた片付きテーブルの上だ。ここがメインで元日過ぎれば段々元通りの書類の山になる。この上で生活しているようなものだ。新聞を読み・ネットニュースを見て・メールを確認する。別のPCで音楽を流す。朝の心地よい時間が過ぎる。予定を確認して水歩にいくか、カフェにいってPCをいじりHPをアップしたり、材料を揃えて文章を考える。図書の新年号が来た。もう40年購読しているが、今号で止めにした。全ページ読むわけではないが気に入った題や人で詠む。パラパラと斜め読みしているのが現状で、表紙の絵に惹かれていた。今は画家の司修が担当している。「セザンヌの生家」と題する一文が掲載されている。洒脱な文章で短文をまとめるのに役立つ。映画を裏から観る癖がついた話が出てくる。私の子供のころは夜、道の真中で上映会があった。正面が一杯なので裏からよく見た。大人しく表に座ってみるタイプではなかったので性に合っていた。でも少し奇妙なのだ。みんな左利きだし、なにか変な感じは残ったままであった。画家もそうだったようだ。

2018年年12月29日 晴、冷え込みが厳しい
今年最後の生ごみを出す日。松飾りと輪飾りをし、カレンダーを2019年に、軸は元日に取換えるが雰囲気は正月になってきた。
年賀状は今年で最後とし、HPにて日記を書き続けるとした。スマホでも見られるが、どちらもダメという方は数人はいるかも知れない。そのことのお叱りは甘んじて受けたい。ということで、HPでの年賀の挨拶を横スクロールでこのページに掲載した。3日早いが、絵画や文面は来年度から工夫をしたい。この15年の似顔絵の変化を遊びで入れた。少し恥ずかしい。

2018年12月28日 晴、それほどには寒さを感じない
今年最後の水歩に行く。明日から3日まで休みで、いつもより少ない。年末だしそんなに閑じゃないのだろう。徐々に片づけをしている。一度にやると腰を痛めるので慎重にかつ姿勢よくしないと伸びきったゴムのようにもとには中々戻らない。精神と肉体が遊離している気もする。哲学者は自分を見つめつづけて論を立て仮説を検証してきたのだろうが、時として受け入れがたい時もある。自分にはその場しのぎで一貫性がない。体系立てていないので行き当たりばったりになる。汎神論だったり二元論だったりする訳だ。

2018年12月27日 晴、今日までは暖かいようだ
墓参りに行った。上にも洗い場が施設されていた。寺も高齢者に優しくなっている。行けなくなって墓参りできないとか、上の方だからとか利用者から苦情が入ったのかもしれない。例年より早いと思ったが結構墓参の方々がいた。花も線香も売っていて助かる。中には家からセンリョウやら持参の方もいる。掃除してお参りできるのは後何年だろうか。最近は終活の事が常によぎる。
帰りにKさんに会った。Oのあと寿司屋に寄って飲んでたら又会った。遅くなったが祭のお礼を言ったら、一緒にいたのは孫だと聞いてびっくりした。お世辞ではなく思ったが、考えたらそうかもしれない。Kさんは私より上なので二十歳の孫がいても可笑しくはない。自分のことを若いと思い込んでいる節が抜けない。

2018年12月26日 晴
銀座に行った。目的は知人の個展と銀ブラだ。東京は行くだけで疲れる。その分刺激を受ける。そう感じているうちは通い続けたい。それと”平つか”のミニカレンダーを求めた。が、その場所には無かった。自社ビルなのに無い。ドラヤキ屋になっていた。ウインドーにそのカレンダーが展示されていたので、恐る恐る入る。事情を聞くと、社長と職人が老齢で制作できなくなったらしい。2代目がネット販売しているという。連絡先は一応頂き、カレンダーとポチ袋は売っていたので何とか間に合った。今年の4月をもって閉めたという。もう40年間年末には知合いにお礼として差し上げていたが・・・。ネットで手に入ればわざわざ買うこともない。ここでしか手にはいらないからこそ価値があったのだ。見た目は100円ショップの商品に見えてしまうが手触りが違う。作れる職人がまた一人いなくなった。

2018年12月25日 晴
1年分のビンをゴミ出しした。ついつい出し忘れる。今年最後の日だからと持って行ったが近所がみなそうなら困るが私だけのようだ。この1週間はゴミ出しで早起きをしないといけないのだ。
箸袋の盆回しで手に入れた、西行筆といわれる『中務集』の釈文を始めた。大きさも手ごろで持ち運びに丁度いい。江戸古文字に似ているが、平安時代だけに更に崩した平仮名で漢字はあまりないが読めない。前後から判断するも1000年前の言葉使いで難しい。なんとか正月期間に終わらせたい。

2018年12月24日 曇りのち晴れ
PC・プリンタの位置を決めた。4台のPCとプリンタがあるが普段使用する1階が何となく不便なままにしていたので他の紙類も等閑になっていた気もする。江戸古文字の練習を毎日手本を筆ペンで、なぞり覚えるようにしている。複雑でとにかく経験しかない。規則がはっきりしない。例えば猫=祢こ、船=ふ年となり、共に「ね」なのだが、頭にあるときと尻にある時とで異なるわけでもないらしい。その人の癖もあり、ただ覚える・暗記するのみである。想像力が豊かにはなる。
横須賀のXmasイブを少し楽しんだ。風呂で火の用心の声を聞いた。今年は参加を見合わせた。

2018年12月23日 雨
平成最後の天皇誕生日、昭和が平成になる頃は現役で油の乗り切っていた時かもしれない。左遷(と思っている)からメンバーの助けで運よく本社に戻されて課長になった時だ。年賀状の印刷をプリントゴッコでしていた。子供の遊びと思っていたがスキル次第で結構使えた。基本は構成・文言・配色で10年後のプリンターになってからも変わらない。年賀状を積極的に差し上げるようになって35年。それも今年で区切りをつける。年賀状だけは西暦でなく元号を使用しているし、頂くのはほとんど元号だ。日本人の正月行事に合っている。有馬記念は誕生月日で買ったので頭は良かったが2着目が2日違いで外れた。今年も赤字だ。
日記は毎日だが、中身は暫くアップできない。年末は本当に忙しい。終活をしていて、義理・人情・プレゼントは欠きたいが全ては難しい。特に御近状づきあいはね。

2018年12月22日 雨、冷たい雨だ終日
Kさんから年賀状のお礼と高価なフルーツを頂いた。恐縮してしまう。いつも名画カレンダーを貰うお礼と思っているのだが、義理堅い。掃除は全く捗らない。年賀状の裏面印刷をした。今年で最外断り書きを添えたが、来たらどうするか決めてない。返事は出さないわけには行かない。

2018年12月21日 晴
いよいよ年末モードに入った。柚子湯・松飾・大掃除・年賀状・燭火礼拝・墓参・大晦日の初詣とバタバタと続く。それと有馬記念に年末ジャンボに銀ブラが入る。明日から天候が良くないし寒いらしい。
今日はKさんから頼まれた年賀状の印刷。午前中に終え手渡した。午後はホームズで買い物。Oで夕食。早めに風呂に入り明日の大掃除に備える。腰が痛くならない程度にやり、後は毎日年末までボチボチ片付けることにする。

2018年12月20日 晴
年賀状の準備。今年で賀状を止める。もう100名いないが終活の一つ。このHPが生存確認の場になる。この日記が書かれなくなったら終わり。諸先輩からはお叱りを頂きそうだが、来年からは来たら手書きでお礼状を出すことにする。毎年の絵画は区切りに用意していた濱田樹里にした。この後は時々の礼状には手持ちの何かを探し出して添えたい。思惟する精神と延長する肉体は切り離せないと感じている。肉体の衰えが精神の思考回路にも影響して、記憶力も判断力も落ちてきていると感じることがある。

2018年12月19日 晴、多少暖かい
江戸古文字に親しむ講座も12回目で終了した。1回だけ市大の検査で休んだが11回出席。先生ではないが結構読めるようになった。今日は出番なかったが、いつでもOKだと思う。取り合えず初級は合格とする。来年は講座があるか不明だがあれば学びたい。それまでの半年で復習しておく。打ち上げは酒なしだが辞退した。午後は水歩にいく。なんとなく筋肉が付いてきたと感じるが杖を手放せない。ハイハイがヨチヨチになり、歩き出す感じと似ているかもしれないが、自分で判断するので多少は違う。杖を手放すのが恐い。自宅は使わないのに服を着てそれなりに身支度すると重さを感じる。それが躊躇する要因であるのは判っている。もう少しだ。
ところでHPに自分の影絵を使っている。名詞には知合いの画家に書いてもらった似顔絵を使用しているが、その時より15年、体重は15㎏減り顔・髪が変化しているので、多少漫画的だが描いてもらった。自分でも驚くほど頬がこけている。目が大きいのが愛嬌かもしれない。近日公開。

2018年12月18日 晴
明日の古文字の予習。先々週を乗り切り読み切り少々自信が付いたというか。すらすら読める。無論読めない字も多く、閊える箇所を読み飛ばせるようになった。少なくとも読み下せる。でもここからが本当に難しいのだろう。いままでは初心者向きのテキストであることは重々承知している。来年も嫌がらず続けられる配慮か。「女式目」は時代にそぐわない内容だが江戸時代なので仕方ない。

2018年12月17日 昨夜は結構な雨、今日は曇り時々晴
昨日の午後、「PETER AERTS SPIRIT]というキックボクシングの新人戦を観戦した。フライ・フェザーからヘビー級まで5試合が組まれ、お目当ては第三試合のフェザー級だ。知り合いのAさんは元々ボクシングをやっていたが、辞めてホルモン焼き屋をやっている。この1年位練習して肉体が鍛えられたこともあり、ジムから誘われたらしい。もう40歳、相手はアマで8連勝してきた22歳というのでボコボコにやられるのを観るのが嫌だったので断ったが、そうでもないらしいというので観戦した。結果は第2ラウンドTKO負けだったがボクシングは負けていなかった。キックの足のダメージは思いのほか大きかったようだ。相手はプロ2戦目だけど、パンチが一発でも入っていたらとは結果論だが残念だ、これを夢と思うかロマンと思うかは別だが、彼は叶えた。残りの2試合は観ず船越で、相棒と残念会をやった。しこたま飲んだ。何故か飲まずにいられなかった。親しい人が負けて悔しいとか無念とかではない。人の心の動きは複雑だなぁとしみじみ思い出しながら日記を書いている。

2018年12月16日 朝出掛けの大雨、後晴
町内の餅つきの日だ。午前8時には突く音が聞こえる。10時に売り出す。黄粉・餡子・辛味餅がそれぞれ3個入って100円。直ぐに売り切れる。去年は取っておいて欲しいと頼んだが今年は早く日ノ出町から戻れると思ったが、12時ジャストで店仕舞いをしていた。年に1回の楽しみで、「ありがとうございます。来年もお願いします。」というスピーカーのお礼の声がした。自治会青年部の主催だが、私も辛味用の大根を30本位おろしたことがある。そういう縁の下の支えがあって成り立つし、近所付き合いの源になってコミュニケーションが図られる。都会のマンション住まいとは違う環境がこの谷戸には残っている。

2018年12月15日 晴れのち曇り
散髪に行った後、理科フェスを観た。文化会館で開催されている。小学生の展示にも驚くが、高校生の研究レベルの高さには驚くばかりだ。その中で、「音楽が睡眠に与える影響について」は自分の事のように読んだ。やはりというか、日本語の歌詞では多少熟睡に時間がかかるようだ。また、「アクシオンは存在するのか」「重力波による地震予知の研究」などは唯々驚き、50年でここまで脳は進化してしまうものかと思う。無論、機材の発達と環境の変化はあるが、相対性理論を完全に理解しているだろう研究には、ノーベル賞級の研究者がこの中から出るのではないかと思わせてしまう。という明るいニュースで締めくくりたい。

2018年12月14日 晴のち曇り
ゲートキーパーのフォローアップ研修を受講した。講師の進行が上手く実り多い内容だった。横須賀は全国平均から見れば少ないが老人が多いので評価は難しい。それでも、10月度は統計を取り始めて(H21年度以来)初めて、0人ということで声かけのビラ配りしかしていない私にとっても良い情報だ。小さな努力の積み重ねが成果を出す。帰りに同じグループになったAさんとバスで中央まで一緒になり話をした。
いつものOで食事していたら、向かいに見知った顔がいた。結構な声で、WとKの名前が出た。二人とも珍名ではないがそうはいない。私の同級生だと思われるが、本人もこんなところで自分の名前が出されているとは思わないだろう。飲み屋で固有名詞は出してはいけないのだが、この人等はいつも人名を論って飲んでいるので近寄らないことにしている。クワバラクワバラ。

2018年12月13日 晴
薬局・水歩・理科フェス・散髪の予定をしていたが、理科は準備中であった。散髪は混んでいたので明日以降にした。こうして髪が伸びどうにも耳障りになるのは分かっているんだが。三進から高価なカレンダーを今年も頂いた。寺と薬局からと何かと貰うものだ。だから飾らないわけにはいかないし、するとツキに一回は捲りに旧宅に風通しに行くので有難い。もう15年も続く月初めの行事になっている。

2018年12月12日 雨、後曇り
久しぶりに、出掛けに雨で傘を持った。半年以上かな。それくらい出掛けの雨は無い。小雨なら持たないが持たずに出かけられないと判断したということ。江戸古文字は、予習の甲斐あって、一番の長丁場を乗り切った。ミスもあったが満足のいく出来だと思っている。来週で全12回が終了するが、来年も継続したい。なんとか意味が通じる程度に読めて理解できるが先は長い。読む先には何故この本が出版され誰を対象にしていたのか。時代背景や武士と庶民の暮らしを覗けるようにはなりたい。
秋澤医院にいく。近所の方ばかりで若い人は付き添いだ。帰りにIで寿司をつまみながら雑談。

2018年12月11日 曇りのち雨
哲学のあと水歩。哲学は新しい入会希望者が参加した。自治会で企業人気質の抜けない方に手を焼いているという話を聞く。元管理職に多い。できることはマネジメント。自治会では役に立たない。その会議が利潤に繋がるか。疑問をあいまいにすることはできず徹底的に究明するというか、一回で納得するなと教えられている企業病である。私もそうだったかもしれないがリタイアが早かったので多少は救われて今があるかもしれない。60歳前後で友人が相次いで鬼籍に入った時は落ち込んだ。救われたのは家族・友人たちの存在だ。自分を見失わないでいられたのは。手が震えながら質問していたTさんを見てわが身を思い出した。
軽めの水歩の後、あしたの古文字の予習。あと2回で終了だが来年も続けたい。明日からは理科フェスが横須賀市立博物館と文化会館で開催される。雨さえ降らなければ観に行きたい。秋澤医院と散髪といつも重なるのはなぜだろう。少しタイムラグを考えよう。

2018年12月10日 晴
漫才の日本一を決めるM1で審査員への不満をSNSでつぶやいたことが世間の話題になっている。泥酔した状態であろうと、思っていないことは言わないだろう。本人の前で自己主張できず、弱者だと自覚して仲間内で憂さ晴らしをしたつもりが大事になってしまった。一度M1チャンピオンになっている方に審査員でもさせるのが一番の罰ではないかと思う。人の評価は難しい。好みというか好き嫌いというか、基準自体個人差がある。その審査員の個人差を見極めて賞取りレースに参加する。人生がかかっているならなおさらだ。
私も部下の評価は悩み中傷もされた。SNS/スマホの無い20年以上前の話だ。無論自分の評価にも異議を唱えたが憂さ晴らしはしなかった。仲間内の飲み会でだが。違う世界の女性にも愚痴ったかは確信はないが多分ない。そのくらい自制心は働いていたし、ここで言ったからといっても時間が逆戻りする訳でもないと割り切っていた。それよりも気に入られる方向に向かうか、こいつを蹴落とすか考えてた。二人もそうなって欲しい。

2018年12月9日 晴
日ノ出町へ行く。今年20回目だ。半分は当たるのに差し引きマイナスだ。それでも道中の会話が楽しい。2W前にキックボクシングの話を書いた。その時は負けること前提のような話に思えたがそうでもないということで、観戦に行くことにした。来週だが勝敗は抜きにダメージを少なくと願うばかりだ。妻子も観戦するらしい。車は止めにして電車で行き、帰りはみんなで一杯やろうかと提案しておいた。今日の馬券はそこそこだったので来週はダブル祝勝になると良い。

2018年12月8日 晴
横須賀美術館にいく。「矢崎千代二」展にプラス常設は2度目だが小茂田青樹の展示替えが観られる。矢崎は日本にパステルを広めた父だ。多くの友人・弟子が居たようで、交際範囲も広い。多くの国を100年前にスケッチして旅した。黒田の後を継げたかもしれない筆力があるのに何故?作品を観ても答えは出ないが、素早いタッチで描写して切り取った風景は穏やかで生き生きとしている。特にヒマラヤの景色は澄んで瑞々しい。今は登山者も多く、どうしても濁った眼や脳で観てしまう。100年前の晴れ渡った空にそびえるヒマラヤがあった。

2018年12月7日 曇り後晴
外壁工事の業者が来た。リフォームも手掛けるという。この数年よく来る。もう築18年が経過した。いつまでも新築気分でいられるわけはない。雨漏りこそないが傷んでからでは遅い。向かいの家が建て直しするというのでその後に考えたい。来年の春かな。
哲学に入会希望者から電話を頂いた。新しい人の考えを聞くのは好きだ。発想は新しいと思っても過去の呪縛からは逃れられない。もがいても変状出来ない。家のリフォームも土台を残している。似ているかも。

2018年12月6日 小雨のち曇り
水歩にいった。リラクセーションプールからレジオネラ菌が検出されたので19日まで閉鎖という。プールは3つあり、泳ぎと歩きの25mプール・アクアサイズの15m四方のプールと3つある。二つは水温が30度位だが、リラックスは37.5度位になる。女性はお風呂とか泡風呂とか言っているが、一番汚れやすい。常に検査しているが、塩素ではどうにもならないらしい。原因は解らないが最悪を想定して閉鎖になったのだろう。判断は正しいと思うが、この5年で初めて経験した。ベビー水泳など、教室が終わった後に温もるので利用している人も多い。ミストルームが改修で1ヵ月くらい閉鎖になったことがあるが、水回りはトラブルが付き物だし、温度管理も難しい。汗を掻くために運動しているので、成分としてはオシッコと同じ垂れ流しになるので菌の繁殖は仕方ないところだ。他に比べると格段に管理も良く綺麗と評判だが、客足に影響がないことを願う。
久しぶりに映画を観た。『日日是好日』樹木希林の遺作の一つということ・茶の世界を淡々と描いた映画ということで観に行った。平日で空いていたが、HUMAXがどうも来年3月で閉鎖になるかもしれないという不安を覚えた。別項で映画評も含めて詳細に述べたい。

2018年12月5日 晴、暖冬
昨日今日と暖かいというか暑いくらいだ。冬眠中のウラギンシジミの1個体が朝から飛び回っていたが、元の場所に戻っていた。ウエルシティにも飛翔している蝶がいたが、別種かもしれない。それにしても暖かい。蝶は飛翔して体力を消耗して餌をどうするのか?調べてみたい。来週理科フェスがあるので、学芸の人に聞いてみても良い。発表会は流石に気が引けるし高校生には参考にならないのでいかないが、何時だったか確認しておかないと。
それにしてもこの一週間腰が痛い。10年ごとに階段を下る様に衰えていく。酒が弱くなるのを自覚するのも10年刻みだが、体の変調も同様である。

2018年12月4日 晴と曇りだが、暖かいというか暑い
先週、寿司屋で飲んでいた時、TVでトイレ紙の話なので会話を止めて視聴した。最高級のトイレ紙3個5,000円という。もう10年になるらしい。皇室御用達らしい。私は、トイレ紙の目次があるくらいのマニアなのに知らなかった。早速高知の望月製紙「羽美翔」を購入した。翌日には届いた。折角なので8個11,000にした。価格を考えなければ常に購入して使いたい。お尻に優しいし拭き取りやすい。包装紙から違う。あまりに具合が良いので、寿司屋の女将さんに日曜に進呈した。5年位は御用達だったらしい。今は定かではないし、宣伝し使うとクレームが入るので当然言わないが、使用感が「ハンパないって」ということだ。紙を使うのは6cの中国が最初で、日本は12-13c頃に使用し始めたようだ。西洋はその後らしい。ともに上流階級に限られるが、餓鬼草紙に紙らしき描写があるという。1000年経たずに最先端の紙漉き技術をモノにしてウォシュレットと合わせ先進国の先端を走っている。調べると、第一次オイルショックの頃から進歩したようだ。昔は、新聞紙の切ったのが便所の置き箱にあった。急に進化したか変化したようだ。正確には解らない。史実もそうらしい。万博(1970年)の時どうだったかというと、チリ紙というカット紙であったようだ。ロール紙ではないというのが巷の定説だ。2025年の万博ではどんな進化を遂げるのだろうか。あと7年生きていれば、トイレに入れ体験できそうだ。

2018年12月3日 曇り、時々晴、昨夜も降ったようだが今週は晴マークがない
今日は水歩で汗を流し、カフェで読書して、Oで食事しながら、今月の予定の確認。帰宅してこの続きを書く。水歩が終わって中央までバスと思ったら、満員で乗れない。初めての経験だ。帰宅して確認したら逸見-汐入で人身事故とある。急ぎの人はバスに乗り換えたのだろう。お年寄りには気の毒としか言いようがない災難である。予め予測されていたら臨時便も出せる(ドライバーが待機している)状態にできるだろうが、緊急時は難しい。かといって代替の鉄道が無い。JR横須賀のホームが混雑していたが、原因が分かった気がする。
Oで飲食していたら話しかけられた。気持ちよく話していたら半升飲んだ。自分からは話しかけないが旨そうに日本酒を飲んでいると時々ある。良いのか悪いのか、善と悪の話ではない。善である。

2018年12月2日 晴、夕方に小雨がパラパラ。
「全国車いすマラソン日産カップ追浜チャンピオンシップ」が昨日今日と開催された。多くのボランティアが参加している中、チャンピオンズカップの馬券を買いに行った。車いすの人を不自由でしょうねという人が多い。というか言わないまでも心では思っているのではないか。私はそうではない。と考えている。あるがままに自由なんだと。哲学的な考えでなく、自由とは何かという思索を突き詰めると不自由になるのである。来週のスピノザを読み直し、改めて思うに全ての人が自由で、神(ここではこの宇宙の創造神)の様態なのかもしれない。読むとブレてしまうが時々考えてはいた。思惟と延長というか、精神と肉体は別個ではない。とデカルトの二元論は昔から受け入れがたかったこともある。かといって、ニュートンの万有引力のような物理法則が精神とどう結びつくのか論理的に説明なども出来なかったし、納得する術も持たなかった。哲学の議論が待ち遠しい。

2018年12月1日 晴
年齢とともに時間の流れが速く感じる。傍観者が観る宇宙船の速度と乗員の時間の流れが違うように、目的地が見えないまでも近づいている宇宙船に乗っている私には近く早く感じられるし実際に脳幹時間は早いのだろうと思う。タイムマシンvs生れ変りは漫画にはなるが、本気で取り上げないし言わない。でもあり得る。
今月の「NHK100分de名著」はスピノザのエチカを取り上げる。テキストを買って読んだ。TVがないので放送は後でYOUTubeを観ることにする。2002年から10年座右の書として、聖書とともに読んできたが、理解しているのか定かではない。易しく視聴者に語り掛けるように書かれているので分かった気にさせる。TVの凄さと怖さが想像できてしまう。でも平易な文章だ。