2020年10月31日(土) 快晴
畑に行く。この2月から販売された1000坪位の畑だが、全面レンタル出来る状態になった。今は20組は借りている気がする。今日は新しい組に挨拶された。私は様子見だ。ミディトマトを3個収穫したが、整地と隣接する市営テニス場のトイレまでの近道を整備した。正規の道ではないので管理者も表だって推奨はしていない。知る人ぞ知る道だ。
 
プードル犬 素朴な貌に つい和む きれいに刈り込み みんなで移動
 繋がれて 繋いだ仲間が 連れ立って つづら歩いて 連れション散歩

最近、国際村近辺では犬の散歩に遭遇しかつ里親募集会場の知っているので免疫が出来つつある。そうはいっても遭遇すると近況が走る。畑の関連で歌を詠む。
 
割れトマト 半端モノだが 気にせずに 食せば美味し 味は同じぞ
 土かぶせ ネットに石置き 時を待つ 畑の牛乳 落花生なり
 青虫は 嬉しからずや 霜月に ニンジン食し 冬支度なり
 青々と 繁れるクローバー 根を伸ばし 畑に侵入 試みるなり
 その時の 止むにやまれぬ トイレまで 近道造り 時を待つかな
 温暖な 畑に来ると 別世界 春が来たかと 人も蠢く

オオスカシバの数だが、昨年は卵を数えていないが、10%増えている。成蝶を2匹捕らえているので数は20%近くアップしている。網は今年を参考に来年は改良する。彼らの抜け道が分かったので。それでも70%を卵で駆除できた。

2020年10月30日(金) 晴れ徐々に曇り
快晴に近いが7割くらいの晴れか。面積の判断は難しい。AI眼に空をみせて判断すれば瞬時に「雲は何%の状態です」と答えを出すだろう。これからは天気予報にこの数値が加えられるのではないか。段々雲が多く午後3時には8割が雲に覆われた。
 
朝陽浴び 元気とやる気 みなぎらす 気がついてみれば まったりPC
 刻々と モクモク湧いて 曇り空 気温も下がり 冬の到来
 気がつくと 晴れ間消え去り 影もなし 寒気いり込み 上着羽織る
 家を出る 当てなく歩き 国道へ 右は中央 左追浜
 江戸小文字 復習兼ねて 電子化す ルビ降る機能 散々探す

久々に追浜に行く。寿司屋が先月一杯で閉店していた。スーパーの隣で駅まで1分かからない立地だが、業種とコロナの波に対処出来なかったのだろう。私が行く隣町のIは唯一勝ち残り商売している。孫も4人いて夫婦で暮らす財産はある。それ以上を望まない生き方も良し。毎日そこそこ客が来て主人の耳たこ話を受け流して帰る。それも又楽し。

2020年10月29日(木) 快晴
ミキサーが3分使用・30分休み。朝ジュースで利用と思い買った、色と味は想像以上に青汁状態。薬と考え飲んだ。昔も考えは同じだったが、続かなかった。何とか継続したい。ニンジンはこれからも収穫するので今年いっぱいくらいは朝の日課とする。残るニンジン葉をミキサーにかけキャロットカレーにした。午後は中央をウロウロ。歌を少々思いだして詠んだ。
 
調理法 無限にあると 書いてある カレー・きんぴら他 やっとジュースや
 人参を ジュースに加え 飲む栄養 見た目と甘さ 瞑想するか
 何も無い 雲も動かぬ 木々は凪ぎ 時間止まりし 吾独りある
 霜月の 足音きこえ あら玉の 備えなにかと 書き出してみる
 ようやくに 年賀気にせぬ 年末を 迎えられつつ カレンダーみる
 水遣りも 長く影ひき 紅葉散る 葉裏にひそむ 虫動き出す

昨日に続き軽くOで食事。
 
カップルと 云うよりアベック 雰囲気は 匂い懐かし 去りゆく昭和

2020年10月28日(水) 朝の内は鰯雲、すぐに普通の曇り空
昔から秋の今頃の雲を鰯雲といっていた。巻積雲が正式な呼び名らしいがかなり昔から形状を見て、いわし・さば・うろこ雲等とそれぞれの文化の中で言い伝えられてきた。今朝、南の空一面にいわし雲が出ていた。9時くらいには消えどんよりした曇り空になっていた。午前中は古文字の勉強だ。
 
おのえ様 おまえ様とは 戦前の おんな言葉と 百代のめざめ
 文だした 参らせ候 べく候 無駄に候 やった感あり

古文字の後、ホームズにミキサー買いに行く。昼はマックでエグチ&コーラ300円で済まし、歌を詠む。
 
双子カー 狭い店内 ゆっくりと よけてぶつかり 客のいたわり
 右を見て 左を見ては キョロキョロと 双子姉妹に 飽きることなし
 ミキサーの 空箱棄てし いまむかし ゴミ持ち帰り 当たり前だが
 できるだけ 荷物少なく 軽くする 持つ手に限度 歩くに負担
 筋痛め 首回らぬ 歌詠めず 帽子廻して アイデア絞る
 走百病(やぶいり)が 宿下がりとは みまうかな わずか百年 隔世の感

歌詠うの後は酒酔う番だ。
 
品良くて ブレザー決めた 老紳士 ボソボソボソと 独り言かな
 老紳士 もくもくと食う アジフライ 口を封印 味を堪能
 来てやった オーラ振りまく 老紳士 客は心で 笑っているよ
 コップ酒 客いないとき 大グラス 並々そそぐ ささやかな愛

愛は愛でも全員に愛嬌を振りまいてサービスをしてくれるが、酔うので計算して飲まないといけない。

2020年10月27日(火) 曇りのち晴れ
畑に行く。先日約束した近所のNKさんの車に同乗した。きっかけは寿司屋Iで親しくなり畑を始めたことを話したことで興味をもってくれたことだ。ニンジンを貰ってくれるように依頼したら一緒に行ってくれることになった。人が違えば道は異なる。初めての道を行った。帰りには堆肥無料の場所も教えて頂き有意義な半日であった。
 
少しずつ 理解者増えて 楽しみの お裾分けにも なるべかりける
 ニンジンが 取り持つ縁の 友達の輪 広げひろがる 三浦の野菜
 腐葉土は 市民の財産 街路樹雑草 無駄にせず 堆肥造りに
 喜んでくれて嬉しい 収穫は 晴れた秋空 畑に花咲く
 何気なく 見た目のハンデ 分からずに 話す神経 我を責めたり

帰宅して、収穫した人参と、帰りの農家の販売所で買った野菜の処理をして中央に行き茶店で歌を詠んだ。Oで食事の帰りにバスでNKさんとばったり遭遇。Iに一緒に行くことにした。そこで散々駄弁って帰宅。

 寝かさね~よ! 声したときは もう寝てる イライラしつつ 気が気では無い
 転勤の 挨拶まわり 500km 狭い国土だなんてウソだ
 2杯目の 冷や酒あおり 歌を詠む ちらつく思い 気もそぞろなり
 久しぶり 会話糸口 つかめない 思いの外に 上がりけるかな
 トイレOK 俺のことじゃない 気がつかず 先に立たない 後悔だけは
 つっこみと ボケのやりとり 思い知る 気が利かないと 我が家の血筋

なんとなく 一日を振り返り、積年の後悔・懺悔を込めて詠んだ。意味は不問。

2020年10月26日(月) 快晴
朝は15℃以下で、昼でも20℃と徐々に寒さが堪える。伐採した木を短くして燃えるゴミに出せるようにする。ついでに雑草取り。それだけで結構汗を掻く。運動不足解消にもつながる。週に一回はやりたいが庭は広くない。
 
庭掃除 手入れし程に 汗も掻き 健康促進 一石二鳥
 汗を掻く 作業少なく 不安あり 庭・風呂・トイレ 掃除率先
カフェで気儘に思いだし短歌を詠む
 杖つかず 日常生活 事は無い 外出のとき 不安残りし

 雲流れ 移ろう季節 戻らざる 今を大事に 命長らえ
十二支を詠み込んでみた
 ひつじゐぬ ね丑おき馬 たつ鳥は 有為のミトラと さる人無限
色々と昔の事など思いだし詠む
 マスクとり クシャミする癖 まだ続く コロナ時代は エチケット違反
 バス通り ゆっくり付こう 後へと あせらず前を 見し走り去る
 いつか見た 夢のシーンを もう一度 うつつの世界で まぼろし見たし
 受賞作 ほとんど観てる 価値観を 否定する友 今は懐かし
 議論好き 百家争鳴 主張する 後に残らず 酒に流せる
 湯谷ノ下 消え去りし名を 調べても 調べても尚 出ぬ煙りさえ
 ハロウィンは クリスマス前 商戦の 露払いから 主役になりし

Oで食事。耳をそばだてて同じ酔っ払いの会話を肴に飲む。
 
ゲソ一丁 俺の付きだし 好きだなぁ こりこりさくさく 噛みごたえあり
 おでん種 数え直して 増えもせず 七福神から 六歌仙なり
 今生の 別れの杯 もう一杯 死ぬ気を削いで 生への未練
 煮込み好き 身なり構わぬ 酒好きで ブツブツブツと 独り言いう
 占いを おっぱいでする セクハラに 負けじとおなご 性器で判断
 スナックの 会話楽しむ 時代去り ゲームで皆が 盛り上がるかな
 固まりし チケット買い方 判らない 右往左往で 観ずに飲み屋へ

とにかく今年は数の目標を達成する貯めに詠む。中身・季節感・約束事などは問わず。
 
目標を 達成するか 数だけは 中身問わない 初心者自覚

2020年10月25日(日)晴れ
日ノ出町へ馬券を買いにYMさんと行く。先週感じたことを確認した。売場から1分くらいの場所に駐車してかの光音座の前を横切ると煙草の匂いが鼻をついた。この半年紫煙に縁がなかった。居酒屋も禁煙で気にならなくなっていたので急に匂いを感じて嫌な気分になった。普通の通り道なのに尚更である。そして建屋へは整列して一人ずつ入り、体温測定され手に消毒液を吹きかけられ、筆記具を手にしてエスカレーター(階段は使用禁止)で整然と一列に2・3・4・5階へと進む。なるべく上階の混雑していない売場を勧めるアナウンスが流れる。我々は3Fが定番だ。売場・払い戻し窓口は半減、記入台も半減、座席は使用休止。自販機・売店も休止で見た目は閑散としている。なるべく話さず買ったら速やかに帰る。TV画面も競馬場の競争画面を流さない。しかも数台のみで、とにかく早く買って帰って下さい。という姿勢が前面に出ていた。直接窓口を利用しなくてもネットで充分売上げが確保されていることで強気になっている気はした。これぐらいきっちり管理されるとクラスターの発生は防げるのだろう。中は閑散としているのに周辺の混雑は変わりない。JRAのコロナ対策がほぼ理想型に近い形で徹底されているからと考える。
 
整然と 並んで買って すぐ帰る 仲間と検討 事前にしてね
 スタンディング 三密防いで 早く済む 時・金・会話 一石三鳥
 コロナ過で 静かに変わる 売場辺 新築軒を 並べ建ちける
 取り壊し 夏かき氷 秋べったら 冬焼き芋の 七輪が泣く
 麦わらで 焼き芋いつか 七輪に うち捨てられし 廃墟の隅に
 ニコニコと 笑顔かわいい 幼子は ハンデかかえて 逞しく生き
 いつまでも 変わらぬモノは なけれども 生有るうちは 夢想のままに

近所の元店が取り壊されている。60年前は良く通った。中学頃にはもう見向きもしなくなり大人の世界に目が向いていた。子供の頃の懐かしい店であることに安らぎを覚えていたが、当時の可愛らしい女の子はどうしたのだろうか。ハンデはあったが素直な子だった。もうあの当時に戻れないが笑顔はいつまでも脳裏に焼き付いている。

2020年10月24日(土) 快晴
マツキヨ・イオン・ホームズで体温計は品切れであった。自宅にあった体温計は入社直後に配布されて以来使用の記憶がない。半世紀前の新品だと思うが計ってもメモリが上がらない。壊れていたのだ。5月に初めて気づいたが、その時はどこも売り切れであった。マスクも出回り始め落ち着いたけど体温計は、手作りも出来ずまだ市中に潤沢には出回ってないようだ。買い物に出掛けるとついつい必要だなと思うモノを先取りして買ってしまう。
 
熱っぽく 自己の流儀で 下げる術 身につけ暮らし 半世紀経つ
 おでこ出す 6度6分ハイOK 会議前の儀式定着 の前に自己診断
 ホームズへ 来ると余分に 買うモノは 近々使うと 思えるからや
 つい買った 時計電池の 予備品を 一年後には 使う予定や
 ミキサーと ジューサー違い 分からねど 似たもの同士 説明読めば
 湿気取り 梅雨長雨は 去りにける 一年有効 文句につられ
 ホームズで 始めた会計 自動精算 慣れない客は 世話係付き
ホームズの帰りにOで食事兼ねて一杯。HPをやり出してから滑らない話のネタが結構あることに驚いた。見方・関心の捉え方が変化している事なのかも知れない。
 知らないは 恐い物なし イナゴ刺し! 大声復唱 イナダも固まる
 見間違い 頭より目が 思い込み 脳の回路を 巡り発する
 上喜元 からくち酒の 銘柄や 洒落のつもりが 飲むうち癖に
 イケ名前 万葉浪漫 歌を詠む 飲むほどに酔い ヘロヘロになり
 うめハイを 初めて飲みし 自粛明け 旨し効きしで 今も離れず
 甘口は 辛口と同じ 度数あり 旨さと辛さ 紙一重なり
 しゅうまいです おしまいです 笑ってすます 会話なり 会計へ向かう
 湯豆腐に いつもの辛子 効いたなー! 注文前に 忘れし報い
 定番の マグロ納豆 うましらー 最上級の 食のコメント
 酔うほどに ぼやけて霞む あての中身 味にかわりは なくて安心
 収まりし 2杯目終わる 時間には 酔いも廻りて 体も慣れし
 
マスク越しでは知人か確認が難しいが、時間がたつと知合いで無い事がある。
 行き帰り 乗り会う夫婦 会釈して 何事も無く 近くの他人
いないなと思いつつ探すと、実は良く見ていないことがほとんどだ。
 青虫の 気配感じぬ 探索は チャランポランで 抜け漏れするか

2020年10月23日(金) 雨
三島由紀夫が割腹してから50年と言うことで、時代をスリップした感慨を書きたい。70年安保の頃で五輪景気に続き万博に浮かれ日本が戦後世界に認知され始めた。最近BGMで「嘆きのインディアン」を効いたら急に「Japan」というワードが耳に飛び込んだ。アメリカのヒット曲で先祖の地を追われ母語を英語にさせられ、手作りのビーズ文化も「今では全て、日本製だ!」と嘆くのだ。あれから半世紀。日本の経営スタイルが模倣されていると話題になっている。中国・韓国などが政治反発しながらも経済では静かに日本の良いところを取入れて、デザインも独自色を出し始めている。メディアの論調も上から目線なのが気になる。もっと謙虚になるべきだろう。このままではいずれ経済新興国に取って代わられるのではあるまいか。
 
繰り返す 頂点めざす 勢いは 守る姿勢を 突き破りける
 あの頃は 良かった等と 思うのも 老いて落ちつく 死期を待つ身か
 ものまねと 換骨奪胎 繰り返し 成長するのが 人の営み
 まだ青い 食べ頃逃す 頂点は 過去の経験 引き釣りし老い
 今でしょ! 何時やるか問う その前に 出来ることから 始めるが勝ち

三島由紀夫を20代までは読んだ。金閣寺と春の雪/奔馬(豊穣の海4部作)が好きである。『金閣寺』は吉本隆明が戦後文学の頂点と褒めているという。三島は肉体的弱者の行動を理解していた稀有な作家だと思う。
 三島とは 今も語られ 読まれてる 忖度しない 生き様潔し
 国おもう 民をうながす 命かけ 半世紀経て 語り継がれる
 見抜いた目 空洞化する 我が国の 動かざりしは 天皇制なり
 無意味こそ 意味ある問いや 生きる生 意味あるか行動し 美を探す
 今刺さる 抜けない棘を そのままに リアルな社会 疎外なき赦し
 時代超え 若さ保てる 文体は 密度濃くなる 華麗な言葉
 金閣寺 弱き者みな 助けるも 限界隠し 虚勢の世界

 
影を踏み 影を打ちつつ 生き抜くは 情念を秘め 夢に微睡む
 美とは何 生有る美には 生は無い 生きとし生けるもの 生命燃ゆ

青虫2齢を除去。昨日と同じサイズだ。何時の産卵か。とにかく成長が遅い。気候環境か。餌の山梔子の葉も若葉ではない。

2020年10月22日(木) 晴れのち曇り
最近は歌の目標達成に心が動き、本来の文章が少ない。両方掲載すると文字が多くなり現在では歓迎されない。一般受けを狙っていないので自由だが、自分でも文章が長くなると変換ミスや助詞の使い方がミスしたりと気が抜けない。写真で一言が楽なのだが、自画像は恥ずかしいし他者は掲載しないので、写真風景も昨日の様に雲の写真など当たり障りのない絵になる。
 いわし雲 鯖にうろこと 秋の空 羊が出たら 明日は雨か
 空見上げ 雲の形で 予想する 詩情溢れる 日々の生活
 金風が 稲穂揺らして 里に吹く 雲を動かし 全ての家に
 木枯らしの 吹く前にこそ 一仕事 のんびりしすぎ 動けぬ体
 風は凪ぎ 日差し柔らか ガラス越し 谷戸を行く秋 眺めつ過ごす

庭に桜の木がある。御殿場という。建てた時に植えたので20年経つ。太い幹が三本あるが真ん中だ枯れた。春満開の花を咲かせた後に枯れた。ようやく生木でなくなりノコギリで切った。クロガネモチは友人の電気ノコギリで伐採してもらったが、自力でできた。「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」を思いだした。枝が伸びすぎ隣家にぶつかるくらいになり一部を切ったのだ。昔の格言は当たる。
 
格言は 効いてくるとき 手遅れや 汗を掻き掻き 桜切る馬鹿
 枯れるまで 待てば切りどき ノコギリも 楽に押し引き 老人の知恵
 生木切る 命の抵抗 半端なく 返り血浴びらば 気持ち凹みし
 木漏れ日の ない庭照らす 陽の光り 雑草生き抜く 小さな世界

Oで食事。名物の湯豆腐に辛子をぬるが、言わないとたっぷり掛けて鼻にくる。そして涙が止まらない。
 湯豆腐の 辛子すくなめ 涙でる 面白くもない 男の食べ方
話題に学生の鉄道自殺が結構あることを聞いた。小六で経験した子供の自殺が蘇った。「スタンドバイミー」の時代の田浦版のはなしを想い出す。
 
雨模様 雲に伝えし 先人の 知恵確かに 身に染む吾は
 手を合わせ 南無阿弥陀仏 死に向かう 道々歩いて 後悔なきや
 行き詰まり 死を選択す 学生よ 広き世界の あること知らず
 小六の 夏の経験 まざまざと 歳を経るほど 心に響く

桜を切った後、青虫を発見。畑で昨日5匹見つけたので、もしやと探したら糞があり2齢位がいた。寒さで成長が遅いのだろうか。まだ気が抜けない。明日晴れたら本格的に探す。 

2020年10月21日(水) 快晴
久しぶりの快晴。畑に行く。落花生に土をかけ網を掛けてあった。多分OGさんが好意でされたのだろう。メールでお礼をした。帰りに横須賀のお店応援券を交換しカフェで歌を詠んだ。
 
土を寄せ 網を被せて 石を置く 収穫前の 準備なるかな
 ちからなく 歩道をあるく カメムシは 秋色悲し 死に場所探し
 服装は 目立つに限る 畑仕事 遠くからでも 気づいてくれる
 小春日を 必死に生きる 青虫は カメラ持つ手に にらみ返すか
 畑仕事 通いは車 当たり前 バスを乗り継ぐ 健康オジン
 快晴に 小春日和の 暖かさ 蠢く虫は 冬支度かな
 畑まで 歩く道々 移ろいの 若葉紅葉の 端まで揺れる
 枯れ葉ふむ どんぐり俺も 忘れぬな 秋は里山 色づく頃や

自宅の青虫は仕舞いだが、畑はまだまだ温暖な気候で最後の活動をしている。2種5匹を駆除。

2020年10月20日(火) 晴れ時々曇り
中央のカフェでぼんやりと考え事もしないで過ごす。目の前のカーテンが上がり視界が広がり、散髪屋とラーメン屋の看板が目に飛び込んできた。万葉や古今を意識しないで現代感覚で読み始めたらスムーズにいっている。いずれ立ち返りたい。
 架かる虹 せっせせっせと 運ぶ雲 青々の空 そめたい色に
 赤青白 回る回るよ 客運ぶ チョキチョキ鋏 ジョリジョリ剃刀
 一か八 味の好みは 主まかせ 顔貌フェイス 客に合わせて
 カーテンを 開けて広がる 秋の街 枯れ葉まいちる ムービーワンシーン

毎日、人参と茄が食卓をにぎわす。色々と調理法を変えてマンネリを防いでいる。収穫を押しつけられた友人も困っている気がする。週末に会うので確認する。
 これこれと 旨さ表わす 言葉なく どうどうどうと 急に押す友
 いつまでも 昨日はニンジン 今朝はナス 毎日畑の 実り噛みしむ
 みじん切り 茹でて炒めて 筋かくす 肉を絡めて 彩りはナス
 食卓は 畑の実り ヘルシーも 三度三度は 米と同じか

昨日からオノマトペ的短歌(狂歌)が癖になっている。言葉遊びは好きだし、軽快なリズムがあれば尚良しとする。
 行く道と 帰り道変え 道草を 道々迷う 道のない道
 SOS シグナル付いた 先行車 走り続けて 何を助ける

2020年10月19日(月) 曇り後雨
古文字の復習と予習。今読んでいるのは明治14年の「女用文章」である。その時代の方には無理なく難儀せず読めたのだろう。たかだか100年で外国語より難しくなっている。教育制度の改革は文化を断絶させる。
 
百代を 経ぬ文章が 読めぬかな 悲しかりけり 文化の途絶え
 てふてふは チョウチョのことか 理解する 発音どうか てふorちょう判らじ
 現代の 若者言葉 外国語 英語まだしも 理解できしか
 候文 女用ふみ 中身薄 へりくだりつつ 美しきかな
 古文字を 読みて見上げる 女性らの 軽やかなりし スニーカー履き

今日は20度を終日下回り寒さが実にしみる。
 
20度を 超えない日々の 雨模様 寒さ身にしみ 縮こまりける
 変わり目は エアコンなくて 肌寒い 家を逃れて 来たりし末に
 雨の日は 3蜜もなく 時すすむ 寂しく聴こゆ カフェのBGM
 秋雨は 心まで冷えぬ 優しさも あると思えど 風邪引きやすし

畑の野菜をオノマトペ風に詠んだ。狂歌の類いだ。
 
まんまるの あかぎひびわれ みじかびの すすめぼうぼう ぬきちょびれ
 まっくろな ひも穴ぐらの いも虫も 未来しんじて せっせと掘りし
 にぎにぎの 生まれたての 白ナスは すでに食われる あんよの時か

(日ノ出町の話はいずれ)

2020年10月18日(日) 曇り
午前中、2月以来の日ノ出町へ。人の波は駅からいつものように続いていたが、売場は整然と一列で入り口・出口が一方通行で滞在時間も短く、ソーシャルディスタンスが徹底していた。体温・消毒・マスクと筆記具は入り口で配布。特別レースのみの窓口対応になっている。(明日詳細に報告)
 
久しぶり 煙り眼にしむ 日ノ出町 都会と谷戸の 空気の違い
 整然と 買って帰る 人の波 コロナですから 天下の印籠
 入口と 出口を別に 不快なり 今来た道を 帰りたいのに
 コロナ過は 小さな商い 人知れず 無くしてまでも まだ苦しめる
 ソープにも 影落とすかな 明るい店に変わり アピールする外壁

昼頃、葉山カントリーの入り口付近から富士山が雄大な姿を見せていた。(写真掲載)
 
はるか富士 空に溶け込む その姿 微かにみゆる 白きいただき
畑にYMさんの車で行く。彼にニンジンを30本くらい引き取って貰い、葉の料理法を考えて欲しいと依頼する。
 
間引きせず 葉だけ成長 人参や 食して欲しい 緑の宝
 泥濘を 気にする友は サンダルで 収穫手伝い 泥落とす役

2020年10月17日(土) 雨
秋の長雨を「秋霖」という。雲の下に林のように雨が林立している様子だと解釈している。春の長雨は無論「春霖」というが一般的には「春雨」「菜種梅雨」という。同じ気温でも右肩上がりの頃と逆では気分も違う。これから徐々に寒さに慣れた体を作っていかないといけない。もう70年も繰り返している。一年中同じような温暖な気候の生活はどうなんだろう。逆に極寒の地の日常はどうかと考えると、共に季節・気候に鈍感で風情なんて言葉はないと思う。日本以外では四季がくっきりと現れて人々の感情を揺さぶる土地だどこだろう。国土の広い地域を除くと、チリなんて地球の反対で大陸だが細長いし異なる四季が味わえそう気がする。
 
春芽吹き 夏汗かきて 秋涼し 冬巣籠もりて 四季を廻らす
 四季のない 土地の風情を 思いやる 楽しくもあり 刺激はなしや
 降り続く 雨の週末 一人いて 歌を聴きつつ クイズ解いたり

まだ10月中旬だが、今年の青虫の最終日は10月6日だ。産卵は9月までか。1齢の糞があったと思うが寒さで成長しなかったのだろう。畑の幼虫はまだいる可能性が高い。幾分ここより温暖で作付けの基準は温暖地になると管理人は判断している。これから蛹で越冬するのは大変な試練だが、生まれが遅いことを逆手にした種の生存戦略の一部なのだろう。
 
種の起源 寒暖えらび 生き抜いて 子孫繁栄 太古の歴史
 青虫は 悲しからずや 冬寒く 凍える大地の ふところ深く
 青虫は 楽しからずや 越冬の 先に目映い 春のおとずれ
 遙かなる 大地の営み よどみなく 人の一生 瞬きの時

 雨止みて 明日の予報が 気に掛かる 表に出たいと 幼きこころ
一日中、家にいるのは精神衛生上良くない。気づかないストレスがたまる端緒になる。昨日に続いてきんぴらゴボウを作った。見た目は居酒屋に近い。味も甘めにした。

2020年10月16日(金) 曇り後晴れ
Sさんが墓参にきた。明日が親父の命日だ。もう15年になる。早いと云うよりもっと昔の気がする。家には両親の写真などあり何となく毎日”居る”という状況になっている。その当時の友人も鬼籍に入り、周りに友人が少なくなっていることもある。「お姉ちゃん、あんまり長生きしちゃダメよ。」母が姉に云った言葉だ。母が先に逝き、病に伏せっていた姉(伯母)を見舞ったときにしみじみと寂しそうに話してくれた。誰も友達が居なくなったと。子や孫とは違う存在なのだ。友人とは。家族の存在の時間と友人の時間の経過は異なる。例えば私は、友人とは会話するが両親とはほとんど会話がなかった。特に母とは死の直前頃は、日常の会話程度だった。随分後悔したので残った父とは飲食を共にして好きだった居酒屋にも良く行った。だから父とは近いが母とは会話がない分遠いと感じるのだと思えている。その分後悔しないようには生活しているつもりになっている。
 
墓参り 気持ちの整理 報告と 運命ゆだね 結界をきく
 仏住む 結界超えて 会話する 応えは遙か 己が胸に
 生活を 共にし匂い共にする 軋轢生まれ 絆生まれる
 何故参る 自分を好きに なるためと 来世信じて 幸せ求む
 手土産を 持参する癖 煩わし 墓前に手合わせ 祈る気持ち

蛾と蝶は区別が無いと聞いた。人が勝手に区別しているようだ。私も何となく区別している。オオスカシバは蛾とは思えないし、蝶よりも俊敏で蜂に近い。実際スズメ蛾に分類され蜂に擬態している。
 
蛾蝶とは 境界のない 昆虫と その戦略に 進化の歴史
 キアゲハは 匂いと色で 天敵に 威嚇を示し 近づけさせぬ
 ウワバガは 若葉に擬態 生きのびし 最強の敵 人に駆られし

束の間の晴れ。中央に行き、Oで夕食。店員の観察にはもってこいの場所だ。親しくなりすぎると筆が鈍る。冷静に透徹した眼で判断するには距離感が重要だ。ソーシャルではない、ビジネスディスタンスだ。
 
親しさも 鈍る判断 誰知らず 読む人もなき 電子の中に
 契約は 労働条件 中身無く 手抜きするもの 汗流す人

2020年10月15日(木b) 小雨
予報では今日から10日ほどは雨マークになっている。人参を早く収穫したいが晴れないまでも雲間に行きたい。素人感たっぷりの人参を掲載した。今年畑を初めて楽しさと面白さと共に、売り物にしている野菜作りの大変さを少し経験した。次に繋げるのは簡単じゃ無い。まず土壌作りからやらないと難しい。食害中対策もしないといけない。なにより毎日生育状況をみて対応しないといけないので困難だ。それでもできる限り改善したい。
 
人参葉 美味しくもあり 野趣風味 そのまま食し 健康気分
 青虫を つまみ出しても なお晴れぬ 憂鬱な気持ち 余計に茹でる
 洗っても 洗っても尚 拭えない 気持ちにどこか 青虫の匂い
 山ほどの 葉緑サラダ 飽きてくる 手前でやめる 嫌わぬ先に
 きんぴらに 挑戦すべく 油買う ごぼう人参 初の笹がき
 野趣生かし 佃煮にした 甘辛の ダシは秘伝の 自己流なれど

変形した人参の写真を掲載した。AI審査では広告できないかもしれないが、見事に造形になっている。元々漢字の由来は人の形に似ていることからきているらしいので、今更NGにしたくない。
 村上や オキーフ気取り アートだと 気取ってみても エロジジイかな
 アートとは 自然の形 魂の 叫びあらわす 本能なりし

2020年10月14日(水) 曇り
午前中、古文字の講習。一年ぶりでも結構覚えている。午後畑に行く。ニンジンの収穫が目的だ。太いが短い肥満型ばかり。二股三股が結構アリ、実に割れ目が出来ていた。20個位収穫したが、葉が多すぎて途中で止めた。想像以上に大変だ。棄てるのはもったいないのでなんとか使い道を考えたい。

2020年10月13日(火) 晴れ
3ヶ月に一回のベッドの返し。前後上下を年4回変えている。同時に敷きマットを干し、関連するタオルやらも洗濯して干した。電動リクライニングベッドを考えたが、タオルを重ねて緩やかに上体が上がるようにしてる。電動だと段々上体をあげることに慣れ体に良いと思えないのが購入しなかった理由だ。但し、この一連の作業が重労働だと感じて止めるようになると介護生活の一歩だと自覚して精々自力でできる年輪を広げたいと頑張っている。
 BGM聴き 小春日和に うらうらと 微睡みながら 乾きまつ午後
 うららかな 光さしこむ 谷戸の秋 階下の調べ 肌をつつみて
 今はまだ 秋の調べに 包まれて 優しい微風 メロディに乗り
 西日さえ 優しさみせる 小春には 行く移ろいを 惜しむ庭木や
 風邪に乗り チャイム2度鳴る 必然の 訪問者あり 眠りをさます

YMさんが来宅。「応援券」をくれた。引換え時に身元確認しないので他人でも可能なのだ。それくらい人気がない。3ヶ月で3万円。買いたい物が決まっている場合にはお得なのだが・・・

ベッドメイクが終わり中央というときに曇り空に。途中で雨になった。
 秋雨や 濡れてまいろう いま禁句 風邪とコロナの 区別つくまで
 お湿りが 欲しい時には そっぽ向き 収穫の時 無情の雨や

Οに入った。Nさんがいた。まだ若くこれから勉強かもしれない。
 
急な雨 逃げ場探して 一寸一杯 居酒屋のれん
 「いらっしゃい」 「いらっしゃいませ」 何気ない 言葉が届く 客への思い

畑に行くバス路線が一つ消えた。
 
路線バス 廃止になるも 我一人 利用するのだ 声高に秘め
 ある日「えっ!」 バス来ないよな そう云えば 貼紙あった 時刻表見む
 おまちあれ! そのバス乗りたい 目の前を 止まってくれない 思いと歩み

コロナでの自粛と路線バスの合理化が一緒になった。過疎が進む地域の路線は本数が半減したり廃止の憂き目に遭う。時間を見ながらの生活が到来した。50年前にはJRの時刻表が管理指標であった。

2020年10月12日(月) 晴れ
今週は晴れて温暖な日が続きそうだ。2ヶ月で五反田展に出す作品を作らないといけないがアイデアがない。出展すると意思表明した。しないと作らないで終わる気がしたので。昨日の新聞日曜版にメキシコの壁画運動と日本公開の話(1955年)が出ていた。感動した芥川沙織の話が掲載されていた。好きな作家で、42歳で亡くなり評価の低いまま今日に至る。10年前地元の横須賀美術館で個展が開催された。担当した学芸員KKさんのコメントも掲載され再評価される機運が盛り上がれば良いと思っている。中央に行く途中、ウエルシティ公園でウラギンシジミが常緑樹の周りを飛び交っていた。出掛けに山梔子に掛けていた網を取った。来年への課題が山積している。
 
嵐去り 一日遅れの 晴れ間なり 小春に山梔子 まといを拭う
 ウラギンは 塒をもとめて 飛び回る 今年の冬の 安眠の旅
 小春の日 ねぐら変えたい チョウ達は 木々を飛び交い 葉枝の下見

昔はささいなことが幸せと豊かさをもたらして希望が持てた。
 幸せは ポケット一杯 あめ玉で 豊かな気持ち 甘い思い出
 板チョコが 豊かな時間 与えつつ 狭い我が家の 密なる愛情

趣味の会の作品展に出すアイデアをこれからひねり出さないといけない。
 
宣言す 作品出すと 自らに これから悩む 閃くまでは
 陳腐なり 作りしあとに 落ち込むも 他のないので 出す厚顔よ

いつもいくカフェの隣の似顔絵屋が閉めたようだ。
 似顔絵の 移動店舗も 店じまい 小さな商い 大きな変化
 戻ったと 思うも街は 静かなり 3密恐れ リードも長し
 マスク顔 慣れたそぶりで 挨拶を 誰とは知らず 過ぎてし悩む

畑の空きスペースにタマネギを植えたいのでホームズに行く。
 
実るまで 一年かかる ネギ愛し 手入れしほどに 待たるる喜び
 タマネギは 十月十日で 実りける 人はそののち 二十歳で大人

日の陰りが早くなった。もう秋なのだ。
 影伸びる 陽は早々と 傾いて 秋の雲井に 語らい楽し
 幼子は 元気に遊ぶ 昼下がり マスクなしでも 嬉し日常
 テーブルを 囲みてファミリー 物語 僕の私の 話を聞いて

2020年10月11日(日) 曇り
台風一過とはならず、どんよりした曇り空。雨の確率は低いので畑に行く。畑の作業中は晴れていた。久しぶりに賑やか。広い25㎡の方が2組、何となく存在を確かめ合っている感じで畑作業。共に女性がいるので華やいでいる。管理の女性も作業されて、日当たりも良くしっとりとして格好の農作業日だ。90分きっちりと作業して最初に終えた。空気が澄んで天候も良く気温も20度と申し分ないが長時間は私には無理なので止めた。今の季節は昆虫が歩道にいる。蟷螂・蟋蟀・その他は地上で生活するのが比較的長く冬に向かって力なく佇んでいる。自殺ではないが死に絶えるまでの期間をどう過ごすか遺伝に組み込まれているのかも知れない。いずれにしてももの悲しい昆虫を今日は随分見かけた。写真にアップしておいた。
畑を始めた頃は3時間作業したこともあるが気温が低いときだ。これから多少長めになるかもしれない。それと暫くスケッチもしていない。YMさんから電話。

2020年10月10日(土) 雨、朝から22時頃まで止むことなし
今日は”晴れ日”の”はず”なのだ。前回の東京五輪以来、朝から止まずに降り続いた記憶がない。五輪の延期同様何か特別な五輪イヤーになった。地球の片隅の谷戸で暮らしているが、温暖化・異常気象など括られるより肌で感じる。もう3日自粛生活でコロナから脱却しつつある週末、景気の足が引っ張られる。台風が逆戻りして上陸しないようなので明日は畑に行きたい。最後の青虫も発見となるか。YMさんに連絡を取りたいのと、展示で手伝いのこと伝えたい。ついでに映画も。もう2年近く観ていない。古文字の予習もしないと水曜からついて行けそうに無い。急にやることが出てくる。あれほど閑を持て余していた時に怠惰な生活をした反動だ。そんな忙しそうな自分を楽しんでいるのが分かる。
今日は詠まずに早寝。

2020年10月9日(金) 雨徐々に強くなる
台風14号の影響か。朝から止むことなく降り続く。働いていた頃は、都会で通勤時間も短く食に困ることも休日の夜遊びにも不自由しなかった。今は田舎とは自覚しているが中核都市ではあるがどっちつかずだ。長雨が続くと出前が有り難い。ウーバーイーツはエリアに入ってないが、出前館はネットだと大丈夫そうだが試していない。
 
長雨に 出前嬉しい ものぐさは 行動範囲 携帯までか
 ポツポツが ピチャピチャザーザー 降り出して いよいよ来るか 戸締まり灯り
 窓締めて 静かに時を 待ちながら グビッと喉ごし レモンサワーと
 柿ピーを ツマミに一杯 憂さ晴らし 思いだすなり 自粛の頃を
 気を付けた 強いお酒に がぶ飲みを おかげで数値は 二重丸なり

夕方ポストを見たとき、クチナシを確認。青虫の1齢がいるのではないか。日曜日には何とかしたい。

2020年10月8日(木) 雨
雨の一日。止んでもいつでも降り出しそうな空模様。秋雨前線の影響か。明日以降も台風14号で大雨に警戒が必要らしい。日曜までは寒さが気になる。この秋一番の寒さだ。
 秋雨に 寒さともない 濡れそぼる 風邪に勝てども コロナ気になる
 気がつけば 蝉は鳴かない 秋深し 利休鼠の 深い雨空
 そぼ降りて 日がな一日 ごろごろと 静かに読書 音ない世界

7月以来久しぶりの長雨だ。冷たさが肌の刺し方は違う。
 
雨音を ショパンと共に 聴きながら 過ごす部屋には 孤独な拡がり
 ショパン聴く 毎日聴いて あきもせず 人と楽器で 雰囲気変える
 少し開け 庭打つ音に 思い入る 外と繋がり 心安らぐ
 今日も茄 明日もつづく 収穫の 嬉しい実り 飽きない工夫

昨日から収穫したナスを食している。大半は冷凍保存した。お世話になった方々へ差し上げたいが、雨が降り往来出来ない。ジャガイモのように保存が効きにくい。畑ではサツマイモが結構多い。保存を考えるとイモ類は良い。

2020年10月7日(水) 曇りのち小雨のち雨
台風前の曇り空だが、太陽が見え隠れして気温は高い。静けさとは遠い。気分の高揚するときは静けさを感じない。遠くで列車の走る音が聞え、階下のBGMを微かに響く。気だるい昼前。
 
静かさや 汗ばむ部屋に クラシック 音の世界を 体が求む
 途切れがち カラスの声は 知っている 大きなうねり そこまで来つつ

趣味の会の屋外展示が今年も五反田で開催される。必ず出品しているので何か考えて披露したい。仲間を増やすことを目的にもしているので、その観点を今回は重視する。
 
ようやくに 趣味の世界も 動き出す 展示発表 年をまたいで
夫が知らない「見えない家事」のネットニュースが配信されてきた。なるほどと思いながら読んで得心した。
 
主婦の家事 亭主知らない 不満あり 紙に書けない 当たり前すぎ
 保育園 送り迎えは 分担し ジジババ加え 規則正しく

庭の手入れをしていたら
 
声がする 「降ってきましたね」 「そうですね」 後はいらない 近所付き合い
 ポツポツに 予報信じて 外出す 夜まで降らぬ 古希の確認
 中央に 秋の気配も 傘はなし 家路をいそぐ 熟年カップル
 ヴィヨロンと 思えば響く ためいきと そぼふる雨に 哀しみ色と
 緑なす けやき並木も 見納めか 散り急ぐ木々 風の気ままに

中央のカフェで通りを見ながら歌の続きを詠みながら添削する。偶々目の前のお宝やを見ながら詠んでみた。
 
五二屋とは 質屋のことと 云いし江戸 一六銀行 今も昔
 お宝を 高価買い取り 謳うけど 買うとき価値は 新品並みに
 繋ぎだと 年金までの 一週間 母の形見を 預けた昔

質屋通いを経験したことはない。母も無い。偶々お宝やを眺めて湧いてきた。
 
右を見て 左を見ても 落ち葉舞う 流れる風は 前線だより
 今はまだ 寒くないぞと 言い聞かせ 半袖シャツで やせ我慢する
 落ち葉踏み 短パンTシャツ さっそうと 足早に行く どぶ板通り
 カキフライ 父の思い出 半世紀 初めての酒 男の付き合い

ネービーと思われる若者達が短パン・Tシャツで街を闊歩する。寒くないのかと思う。聞かれると彼らは「日本に来たと思う。」という。

2020年10月6日(火) 曇り
青虫2齢を発見。糞痕からはもういないと判断。このあと畑に行くがキアゲハ・モンキチョウが元気なく飛んでいた。ニンジンに産卵に来たが容易に捕まえられるほど夢中に産み付けていた。幼虫は見当たらないが畑ではまだ気を抜けない。明日から暫く雨模様なので周囲の芝とクローバーは思い通りに緑の絨毯になることを期待する。ナスとピーマンは剪定後は面白いように実りがある。OGさんのアドバイスのお陰だ。
最近、寝る前にYOUTUBEで服部文祥の山旅を観たり、辻井伸行のピアノを聴く。映像と音の違いはあるが突き抜けたプロで気持ちが穏やかになる。共に私には叶わない世界なので憧れもある。山旅は映像と自然の音が心地良い。森林浴がないので嗅覚は想像している。ピアノはライブには及ばないが一人静かに夜聴いていると疲れが取れて癒やされる。同じ映像や音楽を繰り返している。1ヶ月はこのパターンで過ごしたい。歌のアイデアが湧きスマートに詠める活力が得られると思い寝る。

2020年10月5日(月) 曇
ゴミ出しの時に小雨が降り出したが終日曇り。降りそうな気配のない曇り空であった。
 五の付く日 ポイント倍で 余計買う おまけに捕られ 後悔あとに
 アイデアで 違法ゴミ出し 防げるは 住民の知恵 誰かに降臨

資源ゴミ置き場が違法なゴミで困っていたが、物置の中に移したことで無くなった。少なくとも一ヶ月ゼロというのは快挙だ。性善説のゴミ出しだが、物置は投げ捨てることは出来ないし、開けて中を整理してスペースを確保しないといけない。紙類・布類も同じで皆整然と重ねて置くように心掛けているから、同じ発想から出たのだろう。多少は狭くなったが業者への依頼頻度を増やすことと、自分たちで片付けて車で施設まで持ち込む手間を考えれば当然だと考える。誰のアイデアだろう。
 
気がつけば 蝉も鳴かずに 秋深し 窓は閉めるし 夜は早寝す

2020年10月4日(日) 曇
青虫の2齢を発見。今シーズンの最後か。今週で見分けが付く気がする。2年前から年賀状を失礼していることを伝えている。ようやく今年文面を何も考えずにすむ。35年振りのことだ。35年前の子年に転勤し翌丑年から始めたのだ。義理・人情・プレゼントの世界から解放された。
 コロナ過に 地縁血縁 遠ざかり 狭い国土も 広くなりける
 ニューノーマル 命の値段 変わりなく 悩むこころに 密なる声を
 爺くさい 趣味といわれし 盆栽も ニューノーマルでは 花形になり

趣味の仲間と議論になる。箸袋に著作権はあるのか。よかれと思った展示が利益目的だからと訴えられないか?
 
新世界 集めて貯めた 箸袋 店に気兼ねし 展示ためらう
自死は人生の手段としては残されているのかもしれない。その判断をする前に道は無かったのかな。と思う。いつも。
 
もういいや まだいいかとの 分かれ道 背中おす奴 袖つかむ友
 秋空に 雲の多さは 似合わない スカッと晴れて 子らの歓声

いつも子供の声がする場所にいたい。騒音と感じたことは無いし、自分の生きる糧になっている。自粛期間中を思えばようやく普通の生活になり、ニューノーマルになったからといって変わることの無い生活の一部だ。

2020年10月3日(土) 晴れ
青虫3齢を1匹駆除。最後か。まだ1齢がいる可能性はある。畑に行く。時刻表が10月に変更になった。バスで行くのが少し楽になる。
 
蟷螂の 色づく秋の 気配かな 小春日和の 子安の里に
 あら楽し 畑の手入れ 独り立つ 虫の昼寝に ミミズも躍る
 スズメバチ 雲一つ無き 青空を わがもの顔で 獲物探すや
 雑草と名知れぬ故 煙たがれ 働きかたを 顧みざりし
 落ちトマト 染まりし土に 秋深く にぎやか色は 侘しくもアリ

子安の畑の写真を結構撮った。

2020年10月2日(金) 晴れ
旧宅の風通しで昨日から開けていた。多少のモノはあるが思いで品ばかりで金目の物はない。それでもベランダに境界のない造りなので不安はある。昔は親しくしていたが今は2代目になり疎遠だ。互いに居住していないし雨戸は閉まっている。時間が経てば匂いが気になりリニューアルしないと住めないだろう。偶々私は近いので時々開ける。空気は入れ換えないと家は傷む。
 
古家の 淀む匂いは 風しだい 開けたい窓と 入れたい大気
 湿めっ気と カビの大敵 風通し 閉めたる家も 開け方しだい
 青虫は 悲しからずや 葉に染まず 食べて大きく なりても悲し
 値上げした ネタを減らして 斜め切り 価格だけかな 客は離れし
 七福神 リストラされし 福禄寿 寝耳に水と 騒ぐ天界
 禁煙の 効果はどこに 訪ぬれど コロナの影で 隠れる理由
 アルミ缶 潰して出すは 箱の中 軽くて重い 資源回収

青虫は2・3齢がいる。糞の状態から判断するも発見できず。中央のOはおでんのネタが一品少なくなった。ゴボウ天(以前福禄寿と名付けた)だ。竹輪を斜め切りにして長く見せる工夫をしている。禁煙をした影響もあるのだろう。客は確かに減っている。コロナ過が過ぎても戻らないかもしれない。
資源回収のアルミ缶を潰して出し始めたが、たまりすぎると重くて大変。以前はそのままだったので嵩張るけど軽くて直ぐ出した。自分が怠けているだけなのだが・・・

2020年10月1日(木) 小雨後曇り後晴れ
今年も残り100日を切った。立てた目標を達成するには歌を300+詠まねばならない。家の片付けがコロナを理由に終わっていない。哲学編集の目処が付いていない。古文字が進歩しない。等々ありすぎて困る。出来そうで出来ないのは何故だろう。意志が弱いからか。酒とかはいくらでもできるのに。きっと意志を貫く脳の領域が違うのではないか。片付けるという能動的な領域と止めるという受動的な領域は本質的に右脳と左脳くらいの働きの違いがある気がする。自説だが仮説立てて検証してみたいが方法が分らない。専門書や専門家を頼る術もないし、頼っても自己利益には役立たない。研究者の役には立ちそうだが、薬・酒・煙草などとは根本的に異なるのでTVのネタ程度の扱いだろう。悩んでいる内が花ということで話は終える。月初めのルーティンをこなした。

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