11月30日(火) 曇り後雨
鉄道の講義を聴きに行った。60年前、中学生になり入ったクラブが社会部で鉄道オタクの集まりだった。無論遺跡発掘などもあったが、先輩方は鉄道に偏っていた気がする。半年で退部したが、今回10回で10人の講師がそれぞれの鉄道に関わるテーマと言うことで聴くことにした。今日は横浜と横須賀の明治以後の、当たり前だが近代化の鉄道史を拝聴した。知らないことも多く、今後が楽しみになった。眠くなることもなく終始興味を持てる内容だった。
帰りに、Iにより夕食。Nさんと久しぶりに会い駄弁って痛飲した。明日から師走。今は12時、雨が本降りだ。
今年最小の詠み数だ。YMさんのことが心に残っているのかな。来月は抜けていると思うので詠みたい。
 
11月29日(月) 晴れ
今日は終日自宅で休養。朝起きて体調と相談して無理をしない。勤めていたころは考えられない。休むという文字がないほど働いた。止めた後も結構無理して会合や講義に出ていたが8年前に手術してから、変わった。飲酒の習慣をコントロールして数値を気にするようになった。一番は無理しないということだ。ストレスが体を蝕む気がしている。友人のYMさんの件以来、何故を繰り返して、結論づけた。頼まれている原稿も毎回は断り気が向いたらで受けることにした。人生長くはないけど痛みはキツい。安らかに生きて死にたい。だから幹事的な調整役も断っている。
昨日で五反田展が終了した。メディアでも取り上げられ初日には熱心な形も居られた。捨てられる運命の紙屑に光を当てる様な作品にしたつもりだが、継続することで理解してくれる人がいたら嬉しい。
 
11月28日(日) 晴れ後曇り
今日はジャパンカップ。彼が好きなレースだった。荒れるから。待っても迎えが来ないのは判っているのでのんびりした。多分俺の中で彼がいなくなるのは直だ。昔から大事な人が体から消える時がある。母の時は長く、知らない人の後ろ姿を母だと思う。父の時も同じ事があった。それがなくなると体から抜けたのだな思う。どこか空で見て彼が眺めている気もする。気体となった彼とどこかで交わるのだろう。何年先か判らないが歴史は続く。
 コロナの状況が恐い。日本だけ収まった感がある。そんなことは現代ではない。ではどうしたら良いか答えが無い。だから恐い。恐い。
 
11月27日(土) 晴れ後曇り
手紙を直接郵便局に持って行く。不定形だから確認の為。ここは横須賀で2番目に大きな郵便局で土日も郵便の窓口は開いている。とても便利だ。特に宅急便に関しては一時期かなり利用したしされもした。昔の海軍があったお陰とも言えるし、横須賀に合併になる前の町の組織にもよるのだろう。いずれにしても暮らしやすい。午後はカフェにゆく。窓の前をデモの行列が歩く。前後を警察に守られ粛々と行進している。人数も少ないしシュプレヒコールもなく、義理と義務で仕方なくかき集められた人だろう。以前も書いたが都度、日当で呑み会がある。その方は車椅子生活だが参加後に汐入で呑み会するという。支援のボランティアがいないと日常生活が出来ないので仕方ないと割り切っていた。この団体も反戦・反核だろう。声をあげ続けることが目的になり、先は長いし見えない。「むなしくないか」なんて他人様の言うことじゃない。
 
11月26日(金) 晴れ
朝起きてベランダに出て陽を浴びる。日課だ。ベランダから下の庭を見る。時々猫が陽を浴びている。気にしないが向こうが俺をみて視線をそらさない。そのうちにどこかに消え去るが、邪険にしてはいない。居ても良いがウンチはするなよといつも思う。隣家は被害というか大変だと思う。そのうちに子供が大きくなり犬猫を飼うのが楽しみだ。
 祝いの折形を会長用に折り送る。人にモノを送るのは楽しいが恐い。自分の好悪を押しつけることになる。
 
11月25日(木) 晴れ
私の行動範囲は概ね16号線の下りは横須賀中央、上りは追浜で無論バス路線だ。乗車時間は一定しないが、顔ぶれが判別できる。向こうも同じだろう。時々遇うなんてもんじゃない。東京なら運命みたいに感じる出会いが毎日で男なら舌打ちしたいが、女性なら声の一つも掛けたい。半径500mに住んでいることは間違いないのだから。つくづく狭い田舎だなぁと思う。犯罪ニュースで信じられないという隣人がモザイクで出るが多分私も同じ言葉しか出ないと思う。最近は娘が戻っているらしく、初めての人と出会う。もう20年暮らしているので大概の方とは顔見知りだ。今はアイコンタクトで済ますが女性同士は立話に花を咲かすし、ペット付合いも多い気がする。そこは田舎じゃないな。役員は辞めてもフレンドリーな町だ。事件が起きるとは考えないから尚更他県や他の市町の事件が他人事に思えている。午後は哲学を聴く。Mさんも気乗りしていない様子だが、参加しているのは多少なりとも得るものがあるのだろう。その後、Oで食事。
 
11月24日(水) 晴
3か月分の新聞を出す。今月も資源ごみ置き場は一杯だ。来年には新聞を単独で取り出して50年になる。そろそろ役目が終わるかなとも思い始めている。午後は買物。物差しのメモリが擦り切れ読めなくなり不便なので40から50㎝に変えて購入した。カレンダー3つ買う。今月と来月がないと不便。そしてA2判の大きなカレンダーが便利。机に置いてみることがなくなり、部屋のどこにいても見えるのが良い。昔は卓上が便利だったが今はPCで卓上は間に合う。時代とともに生活のスタイルが変わる。自分の性格とかではなく日々の生活とその中で自然とリズムが変化するのかな。
中央のカフェでガラス越しに外を眺めていたら女子高生が歩いていた。3人が制服姿で左右の足を揃えていた。TVで観る集団行動ではないにしても美しい。自然と揃ってしまったのだろう。不揃いの美しさと異なる。左右対称も美しいが非対象もケースによってバランス・重心のありようでは美しいと感じる。
その対称性の美しさを久しぶりに感じた。3人が並んで歩ける歩道の広さも必要で横須賀ではそれほど限られた歩道だ。最近ガラス越しに見ることが慣れた。銀座に行ったときにはどうかな。
 
11月23日(火) 晴れ
折りの勉強のあと、仏花を買いに出る。別に日用品の買いだしに出ると、NKさんと会う。 立話で別れるも帰りのIが休み、仕方なくOまで足を伸ばす。不思議なものだ。Oに寄らず帰宅して結局Oに戻って、駄弁って帰宅する。それでもコミュニケーションがある。近所のOEとは二度も会うことになり、互いに意識しないまでも腐れ縁が60年以上も続いている。とにかく個室で閉じこめられるよりは精神的に安定する。人間は他の生物と違い孤独は難しい。そしてカネ。生きるにはカネとカイワが不可欠と言うことかも知れない。人間という生物には。
11月22日(月) 雨時々小雨
昨夜来の雨、小降りの時図書室へ予約本を受取りに行く。今回から留守電ではなくメールで知らせて貰うように変更した。電話の留守電とFAXを止めようかと思っている。同時に新聞も。もう50年継続している。電話債券が結構していた時代があった。今ではほとんどの人や家庭が形態の時代。いつ変更するか、今でしょ!と聞えてきそうだ。
図書の後、中央へ100均にゆく。偶然Iの奥さんと会う。娘さんと来ていた。水引を探してうろうろした。カフェでのんびり。Oで食事。帰宅したが雨が振り出しコンビニでビニール傘を買う。傘なんて久しぶりに買う。偶に買わないと置き傘も古くてボロボロになる。
 
11月21日(日) 曇り後雨
日曜日だ。久しぶりに休日という気がする。日ノ出町も行かない。三浦巡りもしない。雨も降りそうだ。家で土台からの折形の勉強。何とか一種はマスター。山根流だ。古代は解説が分かり難く試行錯誤している。あとは水引の練習。PCを打つのは簡単だが実際に糸を編むのは難しい。
 
11月20日(土) 晴れ
今朝の新聞やメディアは大谷で一色だ。今シーズン、ネットニュースで朝起きて確認した。ホームランを打ったのかを。丁度時間が逆で格好の話題を提供してくれた。来シーズンが期待を抱かせる。今年同様に期待を持たせて欲しい。
この2週間は行政センターの図書室に毎日の様にゆく。もう5年以上行かないのでカードが失効していた。係の女性は全員同じで覚えてくれていた。バスで2駅だが常に歩く。出掛けない歩かない状態になると体が動く。うまくは分析できないが動物と同じで自然現象の延長かも知れない。明日の日曜も日ノ出町には行かないので朝寝できそうだがせずに、紙折りの練習をするような気がする。彼が俺の中からいなくなるのはどのくらい掛かるだろうか。有馬記念までかな。ようやく冥福が祈れそうだ。
 
11月19日(金) 晴れ
今日は月食。午後4時から7時位という。図書の受取りに行く。帰りにカフェでのんびり。折形の勉強。とにかく練習して体に覚えさせないと身に付かない。判っているけど難しい。武家の作法で発展した折形だが、秘伝にされ江戸期にようやく書籍化され今日に伝わる。最近五輪・講座料金・高額医療費の払い戻しで入金がある。自分のお金だが得した気分で臨時収入のように感じる。私が払ったお金なのに。
 黄泉の国 見れる喜び 期待する 挨拶できず さようなら言う
 さようなら 挨拶しない失礼を 許して欲しい 痛みに代えて
 その気ない 手紙書きつつ 死期せまる 痛みと疲れ もうろうとなる
 少しでも 繋がりあれば 気が休む 隔離されたる ベッドの上で
 残高は 231円 三度見る 一発当てる 気力も失せて
 X'MAS メタセコイヤの ツリーかな みることもなく 車で過ぎる
 ネオン灯き 4時のチャイム 遠い声 静けさだけが 体を覆う

自宅ベランダから・カメラの限界・
19日の月食
11月18日(木) 快晴
東京で過ごすと夜の時計がズレる。横須賀では6時には酒は飲まない。1時間時計の針が遅い。と言うわけで今日は午後万葉集があるので朝昼兼用の食事のあと、午後に講座にゆく。2時間を真剣に聞いて勉強していても歌が上手くならない。自分でも盗用したいが文語体の前の時代でもあり真似が難しい。OKで食事。今日は早く寝る。写真をアップしないといけない。12月18日に支部例会が2年ぶりにある。是非出席したい。OKで食事。中年のカップルが互いに泣いている。不倫か。女が足腰立たないほど酔っている。店の前の電柱に寄りかかり歩けない。いい年の女(差別かな?)がそこまで泣いて酔うか。男の責任だと思うが、物語は続くのだろう。私の中では膨らんで、いかようにも料理できる。

 私の”幸せの形”
11月17日(水) 快晴
五反田の入替え後を観た。会長の切り絵と私の幸せの形になっていた。布袋と紅葉が目を引く。本人の努力もあるが、かたや中国で交渉しないと手に入らないし、紅葉は蒐集した人の執念が伝わる。その後、三菱一号館美術館のイスラエル博物館展に行く。始めてはいる美術館。大きくないが旧館の歴史を感じる造りと中庭の風情が心地良い。プロらしきカメラマンがモデル相手に撮っていた。2組もいた。周りはみることもなくお茶している。東京は変貌している。横須賀以上に変貌している。空地がすぐ埋る。空地空家が何年もそのままになってない。わずか1時間の距離なのに彼我の違いは何だろう。
池尻により帰る。

階段にカロリー表示。
歩け・上れ!
11月16日(火) 快晴
予約図書の受取りでコミュセンへ。途中USさんから電話。役所と相談。60万の葬儀費用を何とかして欲しいとお願いしたら善処するという。俺も今だから思うに葬儀費用はボッタクリだ。喪主としては父だけで母のときは父をサポートしたが実質的に仕切った。母の時は豪華にと言う父の願いで仕切った。父の時は事前に父から俺の時はお母さんとは違って人は来ないだろうからともいわれ3年半の時間差もあり、派手にはしなかった。それでも互助会という企業の罠に陥っていたのであまり文句言わずに従った。USさんの知合いといっていたので安いと思っていたが敵も然る者。多分判った上で請求して行政から引き出すつもりだろう。あるところからカネを毟り取るのだ。
Oで食事。珍しく店員Jに話しかけられた。閑そうだ。趣味や諸々聞かれたので応えた。余程何でも知っていると思われているのかも知れない。悪い気はしないが、客が来ると話が途切れる。CMが入るようで気に入らない。男のJより女で若いNが話しかけてくれないかな。
 
11月15日(月) 快晴
USさんとSさんでYMのマンションへ行く。多分これで俺の中から彼が出てゆく気がする。困ったときは必ず風が吹く。神風が吹くといっていたが風は凪いでいた。どうも昭和生まれには神風信仰が残る。大戦に負けてそんなモノはないと理解しているのだが自分に都合良く解釈している。
 せまりくる 境界線が すぐそこに 目を背けたい 脳裏に浮かぶ
 病院で 死ぬのはイヤだ せめてもは 暮らし慣れたる 1Kの部屋
 抜け出して タクシー走らせ 我宿へ 宝がどこか 忘れてないか
 掃除機に 冷蔵庫から みな調べ 万策尽きて ふと梁さがす
 風吹いて 助けてくれた 昔から 異常気象は 災害ばかり
 神風が 吹いたことだけ 記憶する 人も街も 日々新たなりしや
 街はいま 目覚のとき 急ぎ足 過ぎゆく人は 後を見ずや
もう、自分の居場所がない。そう感じたのかも知れない。H建設が代り、自分のとこも若い奴にかわり、末期癌、通帳を見ても残金はない。家に戻って調べてもカネはない。唯一の拠り所の仕事も営業停止を食らって暫くは図面をひろうこともない。そこには絶望が襲ったのではないか。部屋に入った瞬間そんな気がした。
 
11月14日(日) 晴れ時々曇
予約した図書が入った電話があり受取りに往き、帰りにΟで夕食。昔折形を勉強したが、再び始めることにした。趣味の会で連載の話があり、準備だけはして置きたい。このHPで書いている延長で話を膨らませる必要がある。出来るか自信はないが、依頼には応えたい。ものを包む心は古代から日本人に備わっている。剥き出しで渡す文化を良しとしないのだ。季節の植物・武士の必需品の扇・祝儀/不祝儀の祝金・櫛や諸々のモノを包む心が送られる人と送る人交流がある。そこにうまれる機微が触媒の変化を起こして次の展開が生れる。さて何か生れるモノがあるだろうか。来年以降に期待。
国内のコロナは収束に向かっているが、海外は三度拡散の様相を見せている。来年の旅行は大丈夫なのか。特に独のオーバーアマガウは情報がないが気になる。一応募集はしているが。
 
11月13日(土) 快晴
今日も快晴の土曜日。中央は結構人通りがある。活気が続いて欲しい。髪が煩くなってきた。ある紙を買いたいので明日辺り、ブラブラするか。今日五反田の中間日で2作品の展示替えがある。無理しないで欠席した。
 
11月12日(金) 快晴
裸婦のクロッキーに行く。彩象会の一部に便乗させて貰っている。出品をしたことはないが会では許して貰っているのだろう。トップは著名なかたが名を連ねる。クロッキーはそこそこ自信がある。今日はF15号で度肝を抜いてやった。案の定何人かが見せてと言ってきたが見るとすぐに去った。夕食のIで始めて持って行った。ママに見せてと言われて、しょうが無いというそぶりで説明した。悪い気持ちはしない。でも自慢するほどでもない。
昨日、葬儀の後哲学に出た。MKさんと2年ぶりに一緒になった。昔の会員がどうなったか会いたくて来たと言っていたが、女性が誰も参加しなかった。もう興味がなくなったとは思わないが、昔を振り返らないのだ女は。言いすぎかな。

10年前の方が上手かった。
年2回では腕が落ちる。
11月11日(木) 快晴、強風
強風の中、YMさんの葬儀で坂本へ行く。会社側3名友人側が4名の簡素な葬儀だった。最後の顔はむくみがあって、唇の傷は試行して錯誤して修正したのだろう。悲し。関心の無い連中は、お骨上げ簡単であっけないという声が出たがそんなものだ。親族は小倉から来れず、U夫妻が代理で仕切っていた。種々の話が出たが、自然とカネの話になる。会社とは言え零細企業で潰れておかしくない中で、責任上全て負担したのだろう。一応友人側は代理含めて5人が香典を包んだが焼け石に水と思っているだろう。骨壺は宅急便でなく持参するという。
 でも,何故自死を選んだのだろう。私の関心はその一点に絞られていた。考えているが結論は出ない。何かの折に書きたい。
本人の望む小説の単行本化は難しいと思っているが原稿をみてないのでなんとも言えない。
 
11月10日(水) 快晴
昨日の続きになる。今の友人だけに自死については議論した。互いに一致したのは瞬間、精神に異常な変化が起きたと言うことだ。通常は考えない。思うに断定は出来ないことを断るが、私が股関節の置換手術で経験した痛みは人生で一番で半端ない。痛み止めは幻覚を観た。今夏の胆嚢炎の手術は腹切りだが比較するとそれほどでもなかった。二つとも次への希望があった。「いつ、死んでもおかしくない」は希望がない。耐える先の光が見えないことで自ら死を選んだのではないかと思う。それでも試行錯誤というか錯誤修正したようだ。もう後戻りの選択肢はなかったのだろう。
病院で面会が許されていたら私も言ったろうし、上司・家族も励まして生きる糧が出来たのではないだろうか。親も生死を彷徨い、女房子供のいない孤独の単身は、弱い面が出てしまったと思う。自分に当てはめるとそうなるが、はて胃癌で苦しんだときどうするだろうか。明日最後に顔を見て自分で考えをまとめてみたい。まとまるかな。
11月9日(火) 雨
YMさんが亡くなった。会社のUさんから電話。どうも自ら死を選んだという。今日検死を終えて警察から連絡があったという。入院してからのいきさつは聞いたが遺書らしきモノがあるという。それをFAX送信で読んだ。彼ほどの強靱な肉体と精神を持った男でも痛みには勝てないのか。胃癌は痛いと言うけど。冥福を祈り、何年後かに遇えるだろうことを楽しみにする。同時に遺書に書かれた頼まれ事が急に重くなった。そこに書かれたHTさんには葬儀の日時は伝えた。今のご時世だから臨席の判断は本人次第だ。
 
11月8日(月) 晴れ
普通(ここが問題ではあるが)の友人の消息を調べるのは難しい。昔は結構教えてくれたが、個人情報保護の観点から犯罪でも無い限り、親族でもないと教えてくれないし調べられない。YMさんの件では身をもって教えられた。さて結論は判らない。いずれ彼が元気なら連絡がくるだろうし、そうでないなら風の便りが教えてくれるだろう。俺のことでもそうだろうし、それを望んでいる。

11月1日の展示後の写真手前が私
11月7日(日) 曇
横須賀の店応援券の引換えに中央までいく。カフェの帰りに衣笠へ寄る。バス停でNKさんと立話。YMさんと連絡が途絶え気になり何となく聞いていた情報を基に自宅を探す。結構歩いた末にそれらしいマンションに辿り付く。一周したが住んでいる気配が感じられない。嫌な予感がするも緊急連絡先に電話。単なる親しい友人では立ち入るのは難しい。それ以上は深入りできないが気になる。明日別の手立てを考える。日曜では企業は動いていない。ましてや零細に近い企業は。考えると、彼の事は何も知らない。小倉にいるという妹。彼が働く会社の鉄筋屋のこと。単に居酒屋で知り合って馬が合い20年近く雑談をする関係が続いていた。懐に入ることはなく、浅い上辺だけの関係なのだ。逆なら彼はどうしただろうか。俺の場合はどうなるだろうかと、自分の身に置き直して考えた。もう身辺整理の時なのだ。
 
11月6日(土) 快晴
咸臨丸クルーズに乗船した。定員250名に近く活気があった。フェリーの時は今一な気がしたが、内容は変わらない。ガイドの説明は咸臨丸を意識しているが30分の乗船は同じだ。この浦賀湾内だけのクルーズを改良すると人気になると思う。2時間の千代ケ崎ツアーが人気なのだから。
 海原を 走る帆船 手を振りて マンションの人 笑顔で返す
 刑場の 白砂輝き 往時なく 来る船ボート 釣り人無言
 クルーズ船 玉ねぎスープの 歓迎に 体温めて 寒さ吹き飛ぶ
 コロナ後の 観光何か 手探りも 笑顔が並び 温もりを呼ぶ
 親子連れ 手振る岸壁 振り返す 半時の旅 記憶に刻む
 悠久の 時の流れに 身を任せ 帆船に揺れ 祖霊を偲ぶ
 浦島の 過ごし三年 黒船も 遥か昔と 誰も知らざり
 浦賀関 三百年の 昔也 今浦島は 語りがたしか
 いつまでも 揺れる帆船 身を任せ 浦賀道行く 旅人送る
 潮騒と 干鰯の匂い 漂いて 東西叶う 海を渡りし
 
現在の咸臨丸のマスト
11月5日(金) 快晴
新旧の家の短冊の手入れと更新。仏花を供える。もう20年近く必ず自宅仏壇に花がある。父がやっていたのでそのまま何となく続いている。あと10年は元気で生きられたらと思う。五輪チケットの払い戻しが入金された。何となく得した気になるのは不思議だ。一年以上も前に振込んだからだ。まだ口座の払い戻しもそのうちにあるだろう。
THさんから五反田展のメディア情報が届いた。徐々にではあるが、取り上げてもらい多くの人に少しでも共感して会員になってくれたら嬉しいし、まだまだ存続する。
 
11月4日(木) 晴れ時々曇り
万葉集の勉強。古代の歴史が反映された和歌は面白い。浦島太郎伝説が雄略天皇の存在を裏付けるという話になると興味をそそられる。古代人はカミナリが放電現象と知っていた位なら、時間が光速で戻ることも信じており、死が生になりよみがえりを信じていたことも納得できる。古代には夢とロマンが溢れていたのだ。
Iで食事。NKさんと会う。世間話で盛り上がる。もう1週間も詠んでない。明日から復活。明日旧家の事始めをして仏花を代えて庭木の剪定の仕上げをしたい。
 
11月3日(水) 快晴
青虫を発見した。え!と言う感じで25㎜を見た。もう20日以上立っているので意外というか頑張ったという労いが強い。でも駆除はした。庭の樹木でも朝顔が絡んでいる樹を延ばしていたが仕方ない。ムクゲを白ピンク共に剪定した。朝顔は全部残して低木の枝にひっかけた。明日からどうなるか。
 
庭の御殿場桜が咲いた
11月2日(火) 快晴
AYさんに日展の感想をメール。12日にクロッキーで会えると思うが、すっかり自分の味を出している。努力には脱帽する。古希を過ぎても会話が上手くならない。漫才のボケとツッコミの関係で徹しないといけないが、どうしても自分の話題に持って行ってしまい、話が途切れる。会話を長引かせるコツが掴めない。また切るタイミングが計れない。YMさんとの会話だと途切れずに延々と続くが、互いに距離のある関係だと隙間を埋められない。そこが話術の拙さだろう。死ぬまで諦めずに精進する。写真は多すぎて整理できていない。

AYさんの作品
11月1日(月) 快晴
趣味の会の作品展の展示の手伝いで、五反田に行く。90分くらいで終りお茶して、日展を観た。知人のAYさんが昨年に続けて入選した。私より年配だが、努力して白日で競い、急激に進歩して自分の住処を見つけた。稀有な存在ではないかと思う。そのご弟の店で飲み帰宅した。詳細は明日。感想やらメールしないといけないが今日はここまで。写真も明日。
 
私の箸袋作品
コロナ後のウキウキ感を表現

copyright 2018 SHIRONDA© all rights reserved