12月31日(金) 晴れ
午前中、弟が次男の車で来た。明日のお節など元日の食卓を飾る料理も事前に持ってきた。次男は直ぐUターンしたが、その後終日弟と過ごした。半世紀ぶりに家の中で過ごした。夜紅白をPCラジオで聴きながら年越し蕎麦食べて、初詣にいった。慣例の海自艦船の除夜の汽笛もなく静かな年の滑り出し。御神酒を頂き破魔矢を頂く。破魔矢は小振りになり、短く鏃部分もなく寂しいが時節か。お土産の蜜柑を貰い。一年の計を終え就寝した。
「どん兵衛と緑のたぬき」に挑戦する明星「旨だし」のコスパの良いカップ麺で年越し。思い出せない程カップ麺の蕎麦を食べた。

年越しカップそば
12月30日(木) 晴れ
ようやく、テーブルの上が片付き、お節が置ける目処が付いた。いつもより1日遅い。周囲も何となく空間らしくなった。終日とはいっても休みながら音楽聴きながら、まったりした刻を過ごしながらの片付けで今年も暮れそうだ。

 来年も手洗い・マスクは継続か。
12月29日(水) 晴れ
正月はゴミを少なくしたいという気持ちがある。半世紀前のように大掃除などとは縁がない。極小規模の断捨離だ。とにかく紙ゴミを何度か粗大ゴミ置き場に持って行った。目の前なので助かる。遠くの人は持ってきて一杯だとその場に放置するようだ。毎日暮らすと昨日よりは片付いたと思うが1年前の写真があれば愕然とするかもしれない。そのようにして20年経った。夏に胆嚢炎で腹を切り、3ヶ月は力仕事が出来なかった。暑い盛りに思い切った断捨離を考えていたが一年延期だ。五輪の繰り越しみたいなモノだ。疲れたので中央まで夕食にでる。
弟が泊まるというので布団を用意しないといけないが、晴れてくれることを願う。20年前までは、母親が親戚など泊まった後、干したり洗濯して、次ぎに備えていたのだ。今年辺りで体も限界かも知れない。

田浦の南の空に夕陽を浴びて。
12月28日(火) 晴れ
 ホームズへ行く。正月飾りと松飾を買う。そして暖房器具を買った。去年窓に取り付ける冷房を買った時から考えていた。200万出してエアコンを新しくするなら、冷暖別々に安価な器具、しかも毎年買い換えても良いという結論に至った。今年は流石に冷気が覆うので買うことにした。電気代が掛かることより寒気に負けた。
今年寒いと感じるのは、年を取り若くないので感じるのかも知れない。例年より寒く冷気が覆うからではない気もする。
 フキの葉が 昨夜の夜露で すべて枯れ 明けて薹経ち 新しきかな
 遅咲きの 朝顔枯れて 地に変える 夏至の頃にぞ 双葉は芽吹く
 缶ビール 一杯飲んで 酔うほどに 思考ゆらゆら 足取り軽く
 今日も又 飲んで気持ちが 浮ついて 風呂に入りて 反省流す
 
家のスイセン、今年は結構早くに咲いた。周りの草は枯れ、木々の葉が落ちても寒さに負けずだ。
12月27日(月) 曇時々晴れ間
今日は仏花と正月花を買う。花屋でHHさんとバッタリ。1年以上会ってないかも知れない。近所だが会わない。母親の介護をして仕事もコロナでさっぱりということで悩みが多いと聞く。この町内には100才以上が4人居るという。多い。日本に置き換えると120万人居ることになる。実際は2000人位なので、この町内が多いことが理解できるが、元気なのだ。108才の最長老の方がすこぶる元気という。以前は良くお会いしたこともあるのだが、自治会長をされて地元の名士でもある。あと35年も生きられるか考えてしまう。松飾りは明日。
 
12月26日(日) 曇
寒波が襲来している。寒い。有馬記念はネットで観たが、もう買うこともない。散々予想も言合って買うのが面白い。単に何となく買うだけでは宝くじと同じで面白くない。行政センターの図書室に行き、今年最後の本を受取る。2冊借りているが三冊を年明けに返却予定。人気のない本なのでその後もOKだろう。Iで食事。多分あと一回くらいは来るかも知れないが、のんびり過ごせる空間があるのは嬉しい。少し片付けた。明日は松飾りだ。
 
12月25日(土) 曇のち小雨
今日でXmasは終り、明日から正月の準備になる。地代をSMさんに払いに行く。必ず2・30分話す。半年に一回が楽しみになっている。Mさんもそうみたいだ。半世紀も前の話を盛り上がった。その時々で話題が変わる。そのご中央に往きシニアパスを購入した。半年のバス券だが2ヶ月で元が取れるほど乗る。乗れなくなれば終りだという位利用する。一々現金で払うのは面倒で仕方ない。子供のように首からぶらさげて定期券の扱いだ。小学生と同じと思うが便利で間違いない。
 
12月24日(金) 晴れ
中央に行く。Xmasイブと言うことを始めて気づいた。新聞読んでいるのに全く記にしてないので引っかからないのだ。今年も教会のキャンドルサービスに行かず、風呂に入っていた。二日続けてゆず湯に入って温もる。明日から一気に年末モードになる。
 
12月23日(木) 曇 時々晴れ
 今年最後の市民大学、哲学を受講。同年代の講師だが話がうまい。所々解らない振りをする。これが難しい。自分でも現役時代を振り返って普通はない。会社と講義は異なるが聴衆を把握していないとできない技だ。今更ではあるが勉強になる。今後自分が多くの前で話をする機会があるか解らないが生かしたい。
 
12月22日(水) 曇
横須賀美術館へ行く。Sさんと本人がコメントする朝井閑右衛門の絵の前で会う。私がコメントを読んでいるのを読み終わるまで待っていたのだろう。嬉しそうな笑顔が待っていた。8年前まで同じボランティアをしていた。Bさんとも挨拶。久しぶりの美術館の研修日という。半数以上は新しいメンバーだ。名前すら知らない。市立高校の生徒の作品が主目的ではあるが、版画作品も充分楽しめた。今朝の日経文化欄に掲載されていた招福の版画が展示され、福笑いの材料として美術館見学の子供らに格好の遊び道具になっていた。

美術館の福笑いで遊ぶ学童
12月21日(火) 快晴
人が転落して亡くなったときに、ネットで報じる記事の最後に、「命の電話」みたいな自死防止を訴える窓口の連絡先が貼り付けてある。死因が発表も報道もされてないのに、いかがなものかと思う。それを見て読んだ瞬間に自殺だとすり込まれる。女優のKSが転落した情報も自死であるかの如く報道されている。メディアにも困ったものだ。一方、大坂のビル火災が放火と言うことで容疑者の男の過去が出ていた。10年前に家族を殺して自殺をするために長男を切りつけ服役して、出所して鬱で通院中の”こころとからだのクリニック”に放火したようだ。何か可笑しい。精神的な病を抱える人の情報が正しくこの医院に伝わっていたのだろうか。原因と要因を究明して対策に生かして欲しい。
朝、笠木が捲れそうですよと忠告してくれる人が来た。近所で解体とか屋根の工事をやると皆親切そうに教えてくれる。
 
12月20日(月) 快晴
KMさんへにカレンダのお礼と年賀状のこと伝える。NYさんに高峰秀子の記事を送る。画家と女優と題した評論で、画家の主観と女優の客観的な視線が面白い。出掛ける時、ゴミ収集車が来た。常に昼近くの時間だと有り難い。いつか動線が変わることを期待したい。
中央のカフェでのんびり。昨日も面白い客の生態を観察したが今日は、向いの女性がトイレに入って出てこない。50人くらい座れる茶店で15分超個室で頑張った後、そしらぬ顔で出てきた。大にしても長い。何人もノックしたようだが、俺には耐えられない。無論体調の問題があり一概に言えないが、トイレの話題では「すべらない話」が山ほどあるので、この辺で止めて寝る。
 
12月19日(日) 快晴
昨日の例会情報の葉書をを会長にだした。更に、例会でうろ覚えの情報を古い資料を引っ張り出して確認した。自分の中では2年半前の事を覚えていたのが嬉しかった。判然とはしていなかったが、何となく頭に残っていた。
中央に出てカフェで手帳の更新。カレンダのお礼にKMさんへ行ったが閉まっていた。Oで食事の時、いきなり立ち上がって、♪海ゆかば~と大声で歌い出した客が客がいた。結構な年配だが同年くらいだろう。海自の連中に違いないが、仲間がすぐに外に連れ出した。色々と面白い客と遭遇できるので楽しい。隣の女は酒が肺にでも入ったのだろう。咳き込み始めても口を押さえるでもなく、カップルの男も注意せず、失礼な客だと思ったのは私だけではないだろう。
 
12月18日(土) 快晴
東京に行く。JRと思ったが、起きて何となく京急に代えた。理由は説明が付かない。中央から快特で秋葉原でおり電気街を散策して手帳を買い、ヨドバシをウロウロした。
2年ぶりの例会だが、10名予定が8名参加でそれなりの会だ。コロナの影響も有り、仕方がない。それぞれが鬱屈としたものを抱え、期待もしていたのかも知れないが、集中して分散できない。楽しさはあった。それぞれが年を取り老けていつか灰になる。自分がいつになるのだろう。話していても言葉が出ない。重いのだ。あと2年で同じかも知れない。
 
12月17日(金) 曇のち時々晴れ
古代の文献は読みにくいし解読が難しい。時代背景が異なるので時空を超えて理解しないといけない。2000年前には日本が成立していない時代の衣食住を想像しながら読み解くのは至難の技だ。特にその当時の日本を書いた古代中国の文書は。
Oで食事してたら、「マカロニだけ?」と女店員の声。「俺ァそんなこと言われたの初めてだよ!」と客。文字で書くと雰囲気が伝わらない。ケンカが起きても良さそうだが、中年の常連客と若い娘のやりとりなのだ。最近SNSで炎上することが多い。感情がない言葉がネット上に掲載されているからだろう。そこでは、笑い印があっても効果無い。かといって画像情報までは進んでいない。売り言葉に買い言葉というのがある。昔はケンカに発展したこともある。文字情報だけでも具合が悪いが、今は中途半端なのだ。端境期というべきだろう。人間は記号文化を築き上げた。弊害もある。やはりPtoPのコミュニケーションが一番良いのではないだろうか。
 
12月16日(木) 晴
今日は午後万葉集なので、礼記・霊異記・古事記など箸の文献を再読した。より難解な古代語を読むことは非常に役立つ。箸袋の項を久しぶりにUP。
万葉集は来年3月に奈良への旅程がはっきりした。自分の行動範囲と体力を計算して来月中の締め切りまでに結論を出す。半世紀ぶり以上の奈良の石舞台に立ってみたい。どんな感慨をもたらすだろうか?想像すら、し得ない。1965年の春、初めての長距離新幹線に乗った。横浜からだ。カッコつけた奴がバックを藁に巻いて持ってきた。無論乗車前に撤収されたが、みな浮き浮きしていた。当時を思いだす。
 いざ古都へ 走りだす線 何事も 無きが如くに 富士を去り行く
 石舞台 これが遺跡の 華やぎと 説く先生の 言葉苦しく
 いつまでも 歴史の舞台 変わらずに 伝える遺産 生徒次第か
 何だこれ ただの石でも 遺跡なり 倭のほこり 我らが遺産

講義を聴きつつ、詠んだ歌3首
 鳥が鳴く 女子高生ら 楽し気に さえずる言葉 ぴえんぴえ~ん
 ぴえんとは 若い娘の 合言葉 バビボを話す 昔の乙女
 久しぶり 聞いた言葉は バビボなり 聞いて解らず 話しも出来ず
 
12月15日(水) 晴れ
千葉に行く予定で起きたが、止めた。コロナで臆病になったのかも知れない。出不精になったのもある。よく分析できていないが結果として止めた。図書館で本を読み、だらだらと過ごしてIで食事。怠惰な日々と思われるが充実していた。
 
12月14日(火) 晴れ
鉄道の話の3回目だ。佐倉から来られた88才の方だ。亡くなった父と同年齢と思えないほどお元気だが、言葉が少し重い。私があと15年経って同じように話せるだろうか自信ない。古希過ぎると絶対年齢はない。その人の生き様とこれからの生き方が全てだ。私はどうなるのか、いつ果てるのか、朽ちて地に帰るときに存在できているか。突き詰めても答えは誰からもない。
 
12月13日(月) 晴
書き忘れたが、昨日初めて本を売った。マンガ本だが、2冊で250円。今日確認したら458円で2冊とも売りに出されていた。今まで買うだけで溜める生活だが、これからは売る生活にしたい。断捨離の一環だ。メルカリも勉強して利用する。特に絵画は難しいが試してみたい。
 買うは楽 売るは苦なりと 控えたが 初めの一歩 踏み出したなり
 今迄は ネット販売 諦めて 次の世代に 片付けを 頼む気持ちが 強すぎて 何の行動 起さない 怠惰な心 目を覚まし 古希の目覚め 遅くない

女は人という動物だ。耳を隠すことを知っているから。俺は散髪で耳を出すようにする以外は注文を付けない。昨日散髪したが。
 耳隠す 人も獣も 同じこと 人の話を 聞かぬ心境
 動物が 聞かぬ言葉は なにもない 夢にと危険 すべて会話す
 動くもの 食べるもの手で運ぶもの それが人だと 進化の歴史
 箸使う 文化のわかれ 肉と米 道なき道を 試行した道
 箸包む 気持ち大切 今昔 形変われど 箸立てよりは 
 
12月12日(日) 晴れ夕方から強風
宇津保物語は”くらひらき”巻が読みたかったのだが、別だった。古典文学は歴史・記録・物語物など写本していたり散逸していた文書が後世の学者が研究して纏めているので解釈が分かれる。後世の我々は一冊と思うのは間違いでそれぞれに物語があるのだ。古代の文書を読むのは最初から難しい。特に文学系でない私に取っては。
「日本食物史」(樋口清之)は面白い。無論最新の研究成果を反映していないのでそこを塗り替えて読むのだが、先人が研究して書いた結論が面白い。
Oで夕食後帰宅したが、西空に怪しい雲がかかる。明日から寒気が入る予報だ。

谷戸の夕焼けと雲
12月11日(土) 晴れ
機能に続いて読書。今日は終日自宅で勉強。古文字を勉強したが、更に上代になると難しさが半端ない。今回借りた本で始めて「魏志倭人伝」と「宇津保物語」を読んだ。長く生きているが、古典は翻訳本しか読んでない。だから文献の引用や参考に書くのは訳者からの正確には孫引きにあたり、大学などの正式論文では相手にされない。判っているがそこまでの文章など一般の生活では不必要だ。今回は時間もあるし勉強のつもりで原典を読んでいる。
 
12月10日(金) 晴れだが風強く寒い
図書館に行く。注文していた本5冊を受取り読み始める。最近コピー機が置いてあり利用が可能になったので便利だ。5冊だと思いので必要な箇所だけをコピーして即返却できる。その足でOまで足を伸ばして夕食。
 
12月9日(木) 曇
午前中はだらだら過ごす。午後哲学なので少し気合いを入れないと寝落ちする。S先生は笑いを入れるのだがツボを心得ていない。講義の間合いは難しい。寝かせず笑いすぎずだ。スベルということが最近使われるがそれも計算に入れて話さないと生徒は付いてこない。
Iで食事。NKさんと楽しく会話して飲んだ。
 
12月8日(水) 雨のち時々曇り
いつものカフェで二本箸の勉強。起源を探るのは遺跡発掘のようなものだ。地道に文献を漁り読込思索するしかない。布であれ紙であれ地中に1000年埋もれていると判別は難しい。正倉院のように管理された状態か、密閉された墳墓くらいしかない。特殊な環境の竪穴で発見された死海文書は別として日本では不可能だろう。
出掛けの庭にて
 バスまでの 時間を過ごす 剪定は ヒマラヤ杉の 冬を迎える
 木枯らしも 震える風に 首すくめ 倒れぬように 歩を進めけり
 いつの世も 寒さ厳しく 厚着する 脱がずに過ごす 普通の習い

箸袋の勉強のあと
 日本橋 旅の始まり お江戸から 食の理 二本棒から
 はし起源 金銀銅の 始まりが 杉や檜に しろがねの木へ
 むかい合い 二つで使える 二本棒 なじむ頃には すり減る定め
少し川柳を昔風に
 いつもいる 巨乳のオバン 今日休み 揺れない店は 静かなりしや
 横よりも 縦が大きい おばさんが 仕切る店内 にぎやかな湯気
 コロナ後の 店はようやく 賑わいも おっかなびっくりの 客がとまどう
 いつもより 余計に酔うて ふらふらと 気持ちよさげに 小雨振る街
左注) なんとなく2年前の賑わいが戻りつつある
 
逸見交差点のセブンが動いた。
1年後拡張され緩和するか。
12月7日(火) 曇
今日もどんよりした天気だ。横須賀は観光に力を入れているが、先月から特にバスの団体客が多い気がする。第6波が来ることを誰もが冗談めかして話すが本心は来るだろうと思っている。本当は来てなど欲しくないがこればかりは2年間オオカミ少年の気持ちではないか。
午後は鉄道の2回目で白川淳さんの話だった。鉄道絡みの世界遺産の話は面白かった。実際に自分の足で廻っているからこその説得力はある。話が上手なら誤魔化せるが、実話は話術ではない。聴いていて納得できる。真実は強い。
 
12月6日(月) 曇
今朝はゴミ出ししないと思うと朝寝してしまう。もう冬なので気は緩んでいるがそれでも生ごみは溜めない。特に夏は匂うのでいけない。元々ゴミは少ないがそれでも溜めてしまう。特に紙類は仕方ないじゃ済まないくらいに溜める。
遅い朝は、トーストに味噌汁。昼は雑煮に一昨日買ったネギを茹でてあったので入れた。一昨日、Iでネギと鮪のすまし汁を頂き、真似してみたが、難しい。
 光頭の カウンタ並ぶ 居酒屋で 静かに流る 霧の摩周湖
 居酒屋の 定番メニュー 煮込みなり 肉なし頼む 客は太目や
 亭主奥 女房カウンタ 居酒屋は いつも笑いの 列待ちなるか
 業者かな コソッと入る トイレなり 客の視線を 気にしつつ出る
 スパッツの 足は素敵な 彼女だが 上体でかく 興覚めなりや
 
12月5日(日) 晴れ
今日は休養日。明日から忙しくなる。今、火・木は毎週まなびかん。1月まで続く。東京・千葉に2・3回は行く。昔は一日で用事を2・3件普通に入れて疲れないし物足りなさもあった。今は遠出をしたらそれで終わりだ。営業で100件コールを一日でこなしたことが夢の中の出来事だ。来年3月の奈良までに5-6時間/日は歩けるようにしたい。目標が達成できなければ一人旅に切り替える。左右のバランスが何故以前のように取れないのか。想定外だ。筋肉が付けばと考えたが、60年築き上げた肉体はバランスが取れていたと言う事だ。精神と肉体が調和して互いに認め労り補完していたのだろう。死ぬことを知識として認識しているのは人間だけだという。猿と異なる2%のDNAがそう知覚している。ヒトがヒトらしくなる過程は母の胎内に宿って日々学んでいるからという。そこから教育が始まっているのだ。確かに出自ではなく教育というのは重要で、その機会が普遍的であることは、地球全体の課題だ。
 
12月4日(土) 晴れ
冬は台風の話が合っても来ないという確信がある。昨夜も降った。地震もあった。借りた本を返しに行った。帰りに追浜に出る。駅前でお囃子が聞え太鼓が鳴り祭りの雰囲気であった。野菜や魚が地産で売られていたので買ってしまった。バス停で雷神社への道を聞かれた。I食事。始めて聞かれた。「毎日どこかに行くんですか?」無論「行く」しかない。今まで、この人どんな人なんだろうと思われていたのだろう。もう20年自由人だから仕方ないか。風呂から上がって、これ書いていたら4-5回クシャミが出た。いつものことで温度変化で出る。ところで、職業に自由人は無い。無職なのだ。今年は国勢調査があったことを思いだした。郵送したのを。いや去年だ、結果を公表したのが今年なのだ。もう惚けている。
 
12月3日(金) 晴
とりあえず、奈良調査の了解はとった。実現したら高校以来で楽しみだ。最初の大阪時代に奈良国博にはいったがいずれにしても昔だ。あの舞台に立てるのだ。
 しろんだの 山にありては 迷いなく 海山すみて 見通せるかな
 谷戸の暮れ 凍れる風が 肌を刺し 西日は早く 眠りつるかな
 ふじけんの 波ゆらゆらと 陽が陰り 船は静かに 帆を降ろしけり
 林立の マストを抜ける 凍て風に 乗せて汽笛は 低く響けり
 汽笛鳴り 目覚まし頃に 朝陽さす 冬の始まり 縮む首筋

カフェの帰りにOで食事。Jと良く話をする。店と客、判った上での会話は楽しい。客を乗せてくれる。
 
互いに泣き出すカップル。
何があったのか。
12月2日(木) 晴れ
万葉の勉強。以前からの生徒さんの要望で万葉の旅の提案があった。奈良の飛鳥だ。箸墓と百襲姫に関して調べたいと思っていたので、OKか確認のメールをした。2日間の旅程の1日でも同行できればとお願いした。人数とおおよそ5-6時間の徒歩。急階段もあるらしい。気力はあっても肉体的に無理と判断される可能性は大きい。年々日々衰えているのは事実なので頭の論理だけでは迷惑を掛けると思ったら諦める。一人旅と異なるからな。4月の京都旅行はパスする予定だ。5月から8月のオーバーアマガウもコロナで雲行きが怪しくなってきた。介護されるのに慣れてないからな、今でも親切にされることに違和感がある。
 
12月1日(水) 晴れ、強風
月始めの行事を行う。もう20年継続している。会長から手紙、たくさんの紙切り。多分私の手紙と行き違えたのだろう。返信をするか迷う。18日の例会後にすることにした。もう会報後に4通も書き、いくらでも記事の材料を提供している。午後から外出。郵便局と信金へ。その後Oで夕食。久しぶりで店員のJと雑談。女性は気軽に話せない。セクハラと言われる店ではないが普段の言動が大事。セクハラと思われない言葉選びや言回しが重要で昔の親父には難しい。慣れ親しんだ言葉使いが口に出る。うっとおしいと思う人も多いし、団塊の世代は特にそうだろう。私は肩を組むのも嫌いだし、異端児ではあった。それが身を助けてくれた面もあった。だからといって悠長に構えられない。いつ何時火の粉を被るかもしれない。クワバラクワバラ。今月から師走。12月だけは旧称で呼ぶのは何故だろう。生きたいところが一杯ある。第6波の前に駆け込みになるかな。
 

copyright 2018 SHIRONDA© all rights reserved