1月31日(月) 晴
TAさんの葬儀はあったが、参列しなかった。両親の葬儀に参列してくれた方々は義理もあり香典を持参していたが、20年が過ぎ自分の付き合いの中で決めることにした。年賀状やお歳暮とは異なるが、家族親族もそれほど深い付き合いでもなかったはずの人から香典を頂くのも気味が悪いだろう。そんな希薄な時代になっていると思う反面終活の一部でもある。掲示板に通知が貼られるのも3年振りかもしれない。
3回目のコロナの接種を申し込んだ。モデルナ社だ。もうファイザー社は希望者で一杯らしい。どうなるか。
横須賀美術家協会展を観る。AYさんと偶然会い立ち話。本人は去年の日展の作品をそのまま出展していた。歩くのがきついというのでご主人の車で来られた。他の会員・会友の作品を見に来たのだろう。
帰りにOで食事。若い娘は言葉がきつい。先輩がいなくなると、「あのハゲが、」などと話していた。店の中の関係は分からないが社員とバイトでは金も待遇も異なる。面白くないことがあると、はけ口をほかのバイト仲間にするのだろう。
 
1月30日(日) 曇
冬特有の気候が続く。終日自宅で本を読み過ごす。固い内容から漫画がきっかけで読み出した本も含めて週に何日かは過ごすが気に入らない。
それが発散されないとどうにも気に入らないし、何故か秘匿されているような気もする。やはり身に付けたことは披露しないといけない。非難を浴びても。
 
 1月29日(土) 曇のち晴れ曇り
晴と曇りの境界は難しい。大空の雲の占める割合で決まるらしいが、雲の量が80%かなんて見上げて判断するのは難しい。凡そ素人には難儀だ。午後3時ころには晴れ間が見え暖かい空気に包まれた。体が寒さに慣れ少しの晴れ間も風がないと暖かく思える。
仕事していないが、市民大学や用事といっても自分が主体でなくても、気にする。この日この時に何か行動すると決めるとカレンダーに印をつける。
その日起きて印があると着るモノから準備する。誰も見てないし気にしていないのに考える。
 朝起きて 予定を考え 靴下を 履いて思うに そこまでしても
 朝起きて 外出予定 はて何か 下着身に着け ようやく分かる
 猫の春 ニャァニャァ鳴きて 目を覚ます 我が冬想い 蕗の薹出ず
 蕗の薹 今年も芽をだし 春を告ぐ 枯れ葉枯れ枝 押しのけ出ずる
 寝て起きて 終日だらだら 過ごすかな 起きてる時も ふらふら動く
 睦月過ぎ 冬本番も 体慣れ 立春過ぎれば 春になりける
 そろそろと 春の息吹が 芽を覚ます 雪霜の下 我慢の子らが
 
1月28日(金) 曇
近所のTAさんが亡くなった。喜寿で4年先輩の子供の頃はボス的存在(昔は番長と言う)だった。中学から学校は違ったがよく遊んだ。相撲部で体も大きくケンカは強かったらしいが、私には優しかった。時折会うと「おぅ!元気か。」と必ず向こうから声を掛けてくれた。独立して事業を興していた。所謂親分肌の男であった。合掌
ハバのリを知らなかったが、YMさんと探してようやくいった食堂が「はばのり丼」が名物と出ていた。2回いったが夏でなかったようだ。冬場の今食したいと考えたが、NKさんを誘う気にならないので自分の足でバスで行ってみたい。
 
1月27日(木) 曇
哲学が午後なのでに中央へ。のんびりカフェで本読み歩いて逸見へ行く。帰りに船越の図書室に寄り本を借り、Iで食事、NKさんと又々会う。色々話して楽しい。
それにしてもコロナの拡大を収束させる方策があるのだろうか。政治家はこの時の為にいるのに。。
 
 1月26日(水) 曇のち晴れ
昨晩隣家の奥さんと声を交わした。「雪にならなくて良かったですね。」雪は1回降れば充分。普段から備えが出来ていないので少し積もるだけで困る。夕方歩道が凍り始めると滑り足元が覚束なく転ぶのが恐い。
今朝は冷たいが濡れた地面も午前中に乾き、午後は晴れた。昼の中央、変わらぬ顔をしている。マスク以外は。もう見慣れて日常になった。衣服で素肌を覆うようにマスクが当たり前の礼儀のなる時代が来てしまうのだろうか。
カフェで『図書』を読む。
 文体を 意識するとも 語彙がない 平易な文章 言葉マンネリ
朝は猫の声で目を覚ます
 枯れ葉踏み サクサク音を 立て歩く 無法の猫の 侵入防ぐ
 季節かな 恋の季節が やってきた 鳴き声変わり ライバル来る
中央へ背広で行く
 タイを絞め 上着コートで ビジネスを したる気持ち 蘇るとき
 マスクせぬ輩も 今は見なくなる 強制嫌う ゆるき気持ちを
 3回目 ワクチン迷う トラウマに 権利か義務か 悩む今日明日
 
 1月25日(火) 曇 夕方から雨
数年ぶりのCoCo1で昼食。初めて大豆コロッケをトッピング。旨いがカロリー摂りすぎでこれを境に減量。
午後は鉄道。カナロコの記者が講師。毎回専門分野の異なる人で面白く飽きない。話の得意でない方も知識が凄く、歴史・周辺・本体そのものまで広く浅く勉強できる。
 生活の 記憶を宿す 路面電車 遊び道具に つながる足や
 チンチンと 走る路面の 砂ぼこり 飛び乗りダメを 無視する輩
 国道を 走るバスより ゆっくりと 優雅に線路 進む巨象

それにしてもオミクロンの猛威は驚異なのだろうか。
 
 1月24日(月) 曇
Oで夕食の時、Jから英語のPC貰ったけど日本語にできないか聞かれ、米軍のPCと思い難しいと答えたが、確認すると「設定(Setting)」で言語が選べるようだ。無論だめなPC・OSもあるがトライの機会はある。あす教えてやろう。
ダメな場合は仕方ないが、条件を調べずOKの可能性を教えトライさせたほうが親切だろう。
令和4年の1月号から、「図書」の表紙担当は杉本博司が担当する。写真家は初めてかもしれないので楽しみだ。しばらく具象になるので深く考えないですみそうなこともある。
 
 1月23日(日) 曇
日曜版のクロスワードを解きながら言葉の勉強。単なる雑学の類だが結構楽しい。ワードは縦横20位だが、すべて独力で解けたことがない。クチコかと思ったら前後が合わず、結局コノコが正解だった。別の言い方や関連する言葉を知らない。長いこと生きているが聞いたことのワードもあり、手こずる・昔は辞書を頼りだが、今はネット検索で足りる。それでも手こずることが、年に数回ある。
トロミを付けられる自販機があるという。老人の誤嚥を防ぐ効果があるので医療機関から拡がっているという。ここに来るには、少し時間が掛かるだろう。食べるのが楽しみだ。
 
 1月22日(土) 晴のち曇り
いつもの土曜日。正月気分も抜け、数独を解き記事を拾い読みして半日過ごす。中央のカフェで万葉集の予習というか宿題をする。万葉の歌も先人の歌を真似て作られている。本歌取りということで換骨奪胎になろう。その巧みさが後世に伝わる名歌だ。そこを隠さずに作るのが良い。隠すと盗作と疑われるし相手にされない。平安以前からその辺は弁えていたのだろう。先人の真似から始まり超える自信があるからこそ歌人と云われる。
Oで食事。席が一つ置きになっていた。間をあけなさいという御上のお達しを守っているのだ。
奈良調査にいった気持ちで詠む。
 山の辺の 道を歩きて もう5時間 疲れ果てたが 弱音吐くまじ
 奈良天理 普段聞くとも 地図の事 歩き始めて どこでやめるか
 奈良の旅 思い届かず 疲れ果て タクシー探すも 人も通らず
 いざ往かん 気合入れつつ 長歩き 一歩進みて 数歩後退
 石舞台 半世紀の地 楽しみで はやる気持ちを 押さえてもなお

土曜欄を読みつつ。
 英略語 知らずに使い 何困る 意味を違える 己が不明や
 URL 使い始めて 四半世紀 未だ英語の 意味知らずとは
 PR 自己の宣伝 必死かな 本来の意味 社会改革

自宅に戻りなんとなく
 缶酎ハイ 2本で酔いが 回るかな 弱くもなるわ 孤独の旅は
 若い娘の 応対惚れる 切れの良い やり取りさらに 心地良くなり
 ふらふらと 酔いを隠して 歩く吾れ 後ろ姿に 揺れるかげろう
 真っすぐに 歩くと思う 己が自負 後ろ姿は 酔っ払いかな

住民活動応援助成金の回覧板が来た。上限が10万だ。地元で地道な活動をしている人たちへの援助だろう。営利を目的としない活動への対応だ。遅すぎる気もする。知り合いが一所懸命に活動している姿を知っているだけに報われたと感じる。
 
 1月21(金) 快晴
3回目のワクチン接種の予約券が届いた。これから接種会場の予約をすることになるが、昨年2回目のワクチン接種後に胆嚢炎になって入院したことがトラウマで迷っている。
世界では拒否する人がいる。国内でもワクチンを接種しない人がいる。余り深く考えることなく2回接種したが、元々インフルエンザ予防接種もしたことなない。注射が単に嫌いというか怖いのだ。
 
1月20日(木) 快晴
今日は大寒。元の会社の社友会が中止になった。昨年に続いてだ。参会したことがないので会の状況は分からないが、東京在住が一番多いのではないか。1000人近く参加してもおかしくない。昨年は当然としても、今年は第6波を見越し先手を打ったのだろう。楽しみにしているOBも大いに違いない。残念だが収束を待ち大いに語り合える日を楽しみに日々過ごしてほしい。
3月20日の奈良調査は、3月1日に関連場所が蔓延防止が発令されたら中止になった。宿に予約を入れて、断り条件を事前に言わないといけなくなる。流石に大学で教鞭をとっているだけに、事前の基準がはっきりしている。
 死はいつも 身近にあると 思えども 苦しみに耐え 友は旅立つ
 友が見し 庭に花咲き 時すぐる 我が身さみしく 未だ引きずる
 マスク越し 霞たなびく しろんだの 山を眺めて 嘆かぬ日なし
 しろんだの 山にたなびく 霞見る 友を思いて 嘆かぬ日なく
 
1月19日(水) 曇
第6波のピークはいつだろう。欧州の例だと1か月位らしい。すると2月末には収束するかもしれない。今日から蔓延防止期間になるようだが、1か月で終わり平常な暮らしの戻ることを期待したい。
どぶ板通りも心なしか人も少なく、米軍内で何らかの指示が出されているかもしれない。今年の干支をあしらったシャッターも閉じられていた。今日初めて200人/日を超えた。もう2週間右肩上がりが急激すぎる。
 
1月18日(火) 快晴
空気が冷たい。真冬で仕方ない。自宅の中にいれば凌げるが外では首筋が凍る。鉄道と文化の講義で、始めてトイレの話題になった。新幹線が世界で始めてタンク式(垂れ流しでは無い)の鉄道トイレを開発したという話は初めてである。全て垂れ流しだ。黄害という言葉が言われていたが、当時は我慢していたのだ近隣の住民は。JRの東逗子~田浦間で客も我慢出来ずに用を足していた。近所の画家の朝井閑右衛門が自宅住所の地図に”草居”と書いていたのはクサイだと勝手に考えているが間違いではなかろう。黄害問題も1980年代になり聞かなくなった。
 
1月17日(月) 快晴
『横須賀線殺人事件』を読んだ。横浜・大船間で横須賀線と東海道線の共通駅を挟む時間差を利用した事件で、時刻表を駆使した面白いアイデア。読後にバス停のJR田浦と田浦の勘違いなど絡めた事件物が出来るのではないかと考えたが思いつかない。毎日気を張ってネタ探しをしてモノになるのは少しなのだろう。つくづく物語を思いつく能力がないと思う。横須賀はトンネルが多いところ、市内で調べられているだけで120超、海自・米軍施設合わせると200超えるのかな。それに三浦・葉山加えるとどれぐらいになるだろう。
JR/京急/国道/市道など管理・用途も様々で実に多様性に富んでいる。複雑な歴史と相まって面白い話の展開が描ける気もする。
 剪定の 間違い多く 樹々枯れる 水遣り5年 鋏10年
 松がとれ 千両の実が 落ちる頃 正月終わり 真冬迎える

小学校の時は、一人だとトンネルとトンネルの間が文化圏で行動範囲だった。
 トンネルを 抜けるとそこは 隣町 互いに別の 文化圏なり
 町を出る 子供が大人へ 第一歩 バスに揺られて 外の世界へ

終日自宅で過ごすと色々な日常が感じられる
 下校する 学童の声 響く頃 西日射しこみ 一刻の暖
 何となく 日がな一日 本を読む 音楽よりも 心に残る
 読み終わり 飲むお茶冷えて 捨てに立つ 暖房なくて 凍えてトイレ
今日の感染者数は爆発という表現になる。死傷者がいないのが救いではある。インフルと同じ扱いで良いのだろうか。
 
1月16(日) 快晴
今日も100人越えの感染者。しかし、普通の風邪のような受け止め方が蔓延している気がする。死に至ることの無いインフル程度の認識だ。半分は当たっているかも知れないが、治せる根拠は無い。だから恐い。かくいう私も自粛疲れで流されている。何が真実か。裏の情報を聞くに付け危険なこととは思うが政治の弱さを感じる。自分で情報を精査して判断できる政治家がいないのだ。新次郎でも発進できると思うのだが出来ないのは情けない。

JRA田浦と田浦(地元じゃ無いと判らない) 
1月15日(土) 快晴
風が冷たい。気温も低い。図書を返しに行く。新たに3冊借りた。更に帰りにK書店で注文していた本を買った。延長する手間も入らない末永く置きそうな本は買う。無論失敗は多い。文筆家でもないので飾っておくだけの本など無い。といっても本棚があり結構な本を並べてはいる。漫画も含めて。帰りにOで食事。手が凍えて写真のアップは明日に廻す。
 
今年電子作品が登場
1月14日(金) 快晴
今日は不思議な一日だ。出掛けに仏壇に頭を下げたときから予感がしていた。近道の路地で、悲鳴を聞いた。「どうしたの!大丈夫!」Oさんの門から女性が飛び出し、脇の道で老人を抱きかかえていた。瞬間迷ったが助けに入り、119に電話して後を託した。バスは一便後になった。バス停の男性が「田浦駅はどっちですか?」と聞いてきた。説明したが地元の者は気付かないことを尋ねられた。時刻表には「JR田浦」と「田浦」が掲載されていたが、本当はJR田浦と京急田浦であれば納得できるがそれば無い。聞かれた停留所はその中間である。左がJR田浦、右が京急田浦だ。その後、横美に行き児童生徒造形作品展を観に行く。毎年今の時期に開催されるので楽しみの一つになっている。帰りにOで食事し帰宅。写真などは明日掲載。私のカメラでは見えている富士山が写りが悪い。
 
1月14日の富士山
見難いのは腕よりカメラ性能と思う
1月13日(木) 快晴
YMさんと最後の言葉を交わしてから3ヶ月。自分の中で変化があるのだろうか。今日哲学を学びながらふと遠くの空を眺めるように窓を見た。想像するだけで現実の言葉があるわけじゃ無い。5階から眺める逸見は日々変わる。そのうちに拡幅工事も終わり通行し易く変わるだろう。そして月日が過ぎればそこが道幅が狭く難儀した交差点と云うことも忘れ去られるだろう。自分の眼前に拡がる交差点の風景を記憶に留めて何の意義があるのかと思いつつ、ぼんやりと階下の風景を眺めた。
 
1月12日(水) 快晴
朝食を摂りながら、ぼんやりしていたが、急に夢を思いだした。「見たな。確かに見た。夢を見た。」と、見た夢を忘れることがほとんどなのだが時折はっきりと覚えている夢もある。2・3日もするとわすれるが、初めて自分が走っている夢を見た。無論走りたいと思っているがまだ無理なのは分かっている。おぼろげながら覚えているのはそれだけ気にしているし、強い意志があることなのだ。朝食を食べながら納得した。正夢の経験がないだけに不安にもなる。人生一回の正夢であってほしい。死ぬまでの願いではないが、そうなりたい。でも究極の目標ではない。だから正夢であってほしくない。
 走り去る 人々の先 ボルトより 走馬灯より 音速のように
 家大事 人が一番 今の事 心に残る DNAかな
 黒に白 制服みたいな 居酒屋の 半纏の下は 黒いカラスか
 いつも会う あの娘かわいや 居酒屋で 無愛想がまた 四半世紀か
 カレンダー もう半月で 松終わる 指折り数え 歳が終わるや
 
1月11日(火) 雨
母が云って20年、知合いは33回忌で墓仕舞いするという。一応私の父は分家で、墓は両親が自宅近くの寺に建てた。だから先祖といっても両親だ。なので、孫の世代まで続けて後は任せたい。無論私は家に仏壇もあるが、時々墓参りする。多分私が墓仕舞いすることは無い。
役所で土地・家屋の評価額を確認した。土地は建てた時より4割下がっていた。住むには良いところだと思うが、ビジネスの最前線で働いている人には不便かも知れない。私もそうなので仕事辞める決心が着いたときに田浦に戻る決心がついた。
今年で地震・火災保険の見直しをする。各種カードも確認して始末する。死んだあとは知らねえ~に出来ないので準備する。まだ認知症になっていないと自覚する間の任務だ。残る時間を過ごす土地で考えないと後を濁すことになる。
 そろそろと 命の値段 決める頃 金と場所の 掛け算なるか
 二十歳経ち 下がり続ける 土地評価 我が活力は 上がることなし
 持ちこたえ 命の限り 生き抜いて 残すものとは 墓になるのみ
 トンネルを 抜けるとそこは 谷戸の町 東は海で 西は山なり
 救われる 蜜柑の少女 今はなく 碑文に残る トタン屋根かな
 省線が 語る百年 我が町で 産れしころと 栄枯盛衰
 鉄道の 歴史百年 横須賀は 今蘇る 続く百年
 若いなぁ 素足で働く 居酒屋の いつも居る娘ら 寒いときとは
 厚着する 冷たい風を 防ぐため 足元寒い 我はフトコロ
 記念碑は 誰がなにゆえ 建てるのか 今は見向きも されぬ遺物か
 厚着する 君が大きく 見えている 言葉に出せぬ セクハラ過る
 うめハイを 水代わりに 飲んでいる いつものスタイル 変えぬ拘り
 暴露する 昔のことと 迷惑を 喜ぶ男 老人多く
 イカタコを 差別しないが 別物と 思えど味は あまり変わらじ 

午後鉄道の勉強。今日は横須賀線のトンネルで知らないことがあり過ぎて、知っているとは何かを勉強した。Oで夕食。

バスのガラス窓。
左右からも吹き込み模様が面白い。
まるで星座のようだ。
1月10日(月) 曇
第6波がきているのかもしれない。この2/3日横須賀市も急激な陽性者数を記録している。新聞もコロナ蘭を見てしまう。
新聞のクイズが好きで土日版は毎週解く。数独とクロスワードは必ず解いている。それと違って「間違い探し」という2枚の絵の違いを探すものはま難しい。一応左右で違いを見つけるのだが、普通は9か所ある。30分位眺めると5個くらいは見つかるが、残る4か所が難しい。無論、すべて見つけられるものもあるが、年に1回くらい同じ絵じゃないかと思う時がある。そういう時は一度離れて目を休めリフレッシュすると見つけられることが多い。また明るく見やすい海峡が重要なのだ。最近は老眼も酷く、今よりどの高い眼鏡の必要を感じている。
 
1月9日(日) 晴
日曜版のクロスワードを解きながら朝食。外出せず読書をして疲れるとYOUTUBEで適当なTV番組を観て、BGMを聞きながらのんびり。TVは見る癖がつくと目腰に良くないと知っていながら中毒みたいになる。
 
1月8日(土) 晴れ
まだ雪は残る。特に舗装されてない剥き出しの地肌がみえる日陰はいつまでも残る。人の気配のない屋根・家の屋根の北側は今日一日は残るだろう。
 しんしんと 白雪つもり 銀世界 犬も遊ばぬ 我が庭止まる
 粉雪が ボタンに変わり 降り積もる 優雅に舞いて 泡と溶けいる
 冬ごもり 耐えて命を つなぐ日を 人はまたるる 春というなり
 冬ごもり 静かに部屋で 本を読み 穢れを払い 息をひそめる
 雪道の 奥に分け入る 闇迫る 幾重にかかる 魂の声
 路地裏の 雪道踏みて さくさくと 奥を歩きて 戸口に立てり
 しんしんと 雪道分けて さくさくと 歩む奥には 我が宿が待つ

 どうしても 雪の後先 考えて 動く自分が 現代人か
 朝のごみ 出すのこまる 雪の中 仕方ないから 出す仮定かな

何にしても、雪の朝は面白い。
 
左右の違いは8時間くらいだ。
朝の駐車場と夕の違いだ。
地肌の土があるところは遅い。
1月7日(金) 快晴
雪から一夜明け、松飾など片付け神社へ。お焚き上げの準備が整っている場所に持っていった。旧宅の水道代を払いに中央へ行き。旧宅は年に1・2回しか使用しないので振り込みにできないので仕方ない。毎月風呂や台所でも使えば変えたいが誰も住まないので面倒だが継続している。帰りに初カフェでのんびり。
 新玉の 枕かむ人 いにて今朝 淡雪つもり 落ちる軒先
 踏みしめて 割れる氷の パリパリと 朝の寒さに 音も響かん
 ドサドサと 白雪の花 音立てて 元の枯れ木に 戻る昼前
 積もる雪 溶けぬ庭先 いと楽し 舗装の道は 早や乾きおり
 水仙の 雪に負けぬ 白さなり 枯れ庭に咲く 清楚なクイーン
 白雪は 降り積もりける 早朝に 穢れなき肌 我が歳間近
 さくさくと 新雪踏みて 旧宅へ 飾りをおろし 一年願う
 谷戸の雪 肌射す風に 首すくむ 子等は笑顔で 学び舎へ行く
 長靴も カラフルなりし 今どきは 雪踏む声も 賑やかなりし
 淡雪は 神代の昔へ いざないし 谷戸の世界も タイムスリップ

今日の雪を見ながら、昨日の講義からインスパイアされて詠んでみた。大和言葉をどこまで使うべきか悩む。本人にしか理解できないようでも困るし、易しい分かりやすい言葉が日本語は少ない。何故語彙がすくないのかな。英語のほうが感嘆する言葉・形容詞が多いと思う。公家社会から武家社会に移り、庶民文化が花開くといっても農工文化が文書などに残っていない。残るようになって日も浅いし、豊かな文化が気づけなかったのではあるまいか。表現としての言葉ではなく擬態語や身の回りの生き物を表現する言葉に伝わったというより、鬱屈した伝わり方をしたと考える。
 雪もとけ 日も暮れなずむ 谷戸の道 冷たさだけが 名残りなりしか
 暖房を 全開にして うずくまり 動き出すより 風呂に入るか 
 
イオンの前で♡マークを書いて遊ぶカップル
1月6日(木) 雪
朝から冷たい。昼近くから粉雪が降り牡丹雪になる。これは積もると思いながらも万葉集の講座に行く。
今日の雪を想定したかのように、先生が雪の歌を披露した。万葉人が雪に込めた歌3首。
 我が里に 大雪降れり 大原の 古りにし里に 降らまくは後 (第2巻 103番歌)
 新しき 年の初めの 初春の 今日降る雪の いやしけ吉事 (第20巻 4516番歌)
 松蔭の 浅茅の上の 白雪を 消たずて置かむ ことはかもなき (第8巻 1654番歌)
帰りに、積雪見て大丈夫と思い、中央のOで夕食。中央交差点で転んだ女性と遭遇。店は空いてる。明日の雪掻きを思いながら帰宅。この20年で2回雪掻き。日本だけでなく米も雪害があるようだ。
今日の講座で、「あわゆき」と「白雪」の違いを初めて知った。粉やボタンは千年前には無かったと初めて知った。
コロナの第6波が実際に襲ってきそうな状況になった。奈良は無論ドイツも延期になってしまう気配を感じる。

逸見のマナビカンの前の山。まさに雪国。
岡鹿之助の世界のようだ。発電所はないが。
1月5日(水) 晴れ
メールが来ていたので図書を受取りに行く。その足で汐入の本屋に行き、探したがないので『哲学と宗教全史』予約した。内容から持っていたい本なので買うことにした。買うか借りるかの線引きは難しいが、何かの文章を書く為の文献や引用は借りるが、長く何度も読みたいと思える本は買うことにして居る。とはいってもツンドクだけの本も多い。
 初春に 誓う目標 今年また 同じこととて 環境違う
 初春に 馬がいななく 金杯を グラス片手に 独り静かに
 初春の にぎわい今日で 終わるかな 明日は万葉 気を引き締めて

場外馬券売り場で長財布を落とした。多分トイレだが運よく出てきた。
 長財布 尻をはみ出て ジーンズも 落ちそで落ちない 慣れたポケット
居酒屋で陽気な親父が大声で入ってきた。
 金ないが 飲んでいいかと 聞く親父 ダメと答える バイトのなっちゃん
 金握る 女房近くに いるはずだ 探した後で また来るからね

旧家の蛇口の下でゴキブリが死んでいた。食い物も水もないのに。
 野垂れ死ぬ 冬の寒さに 水もなく 力つきたり 蛇口の下で
庭の草花はほとんどが枯れた。唯一水仙だけが咲いている。
 分かれ目は 0度になると 葉は枯れる 寒さの日々を 地下で耐えつつ
イオンで今年最初のカフェ。タリーズのインテリアは好きだ。
 モノクロの プリント目立つ カフェの壁 ジャズが流れて 客はスマホや
 読書する カフェで流れる ジャズ響き 幼児の声が 心地よくはもる

注意したくなるお尻の財布
1月4日(火) 晴
3が日終わり徐々にいつもの生活になる。第一弾の洗濯を2回、干して読書。風が強くすぐ乾いた。借りていた図書を返却に行く。帰ると思わぬ人から年賀状が2通。文面工夫して返信。
オミクロンか分らぬが少し増えている雰囲気がする。5日ぶりの本格的な外出。ついでに買物した。ネットでコロナ増加の兆しという。第6波が来るのだろうか。
 
1月3日(月) 晴
多少寒さが平年並みになった。今日も禁酒・一食で読書。身内以外の年賀状が1枚だけであった。ようやく年賀状は断捨離出来た。いつもKMさんから年賀状の印刷を頼まれていたが無かった。JPが宣伝しても流れは変わらないだろう。コミュニケーションの重要性は理解しても年賀状が役目を果たしているとは思えない。裏面の情報を読んでいるのか疑わしい。
ゲートキーパーを3年しているが、自死の気付きが出来ていない。自死のあと「何で」「考えられない」「一言相談して欲しかった」「そういえば、あれがシグナルか」などと考えるが、上辺の言葉でなく親身になれる覚悟がないとGKはできない。行政も専門家でない私に期待するのは、「あなたに寄り添い、あなたの話をじっくり聞いて悩みを解決する方法を一緒になって考えて、助けてくれる人」がいることを教え連絡先を知らせることが役目だ。ビラ配りがどれほどの効果があるか。あると信じて多少の労力を提供している。明日からゴミ出しなど正月が薄れてゆく。
 
1月2日(日) 晴れ
もう酒は抜けたと思うが、終日家でのんびり。松の内は読書三昧。身を軽くするために食と酒に気をつける。とりあえず、今日は休肝日で1食。
昨日のことを反省しつつ、自分では立ち直ったと考えていたが、3ヶ月前からYMと多事雑談が出来なくなったことが心身に影響していたのかも知れない。他人には死を話していないし、店で多弁にならないよう過ごしたのが、心を傷つけたのかも知れない。こうやって自閉症になり殻に閉じこもる前兆になるのだろう。4月から再開予定のすこやかんに行くとして、コミュニケーションの手段を考えたい。
 
2022年1月1日(土) 曇時々晴れ間少し粉雪
弟とだらだらと正月。一家が揃ってお節を囲んで雑談。「お兄さん、飲み過ぎですよ!」と怒られた。20年前母親に血圧高いことを酒に絡めて言われたこと以来の気がする。その後のことは余り覚えていないが、みんなに迷惑掛けた気がする。日記で弟一家に謝る。「ゴメン、飲み過ぎた。」、気が付いたら風呂で寝ていた。酒も多少抜け、湯が冷えてきて目が覚めた。自分の限度を再確認。もう若くない。酒も弱いのだ。

数の子の大きさにびっくり。旨かった。 

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