3月31日(木) 曇のち雨 
晴れている内に東京に行く。銀座で画廊巡り。合間を縫って時計3個を和光で修理。もう10年以上放置していた。その後、新美術館で、白日会、ダミアン・ハースト、メトロポリタン展を観る。それほど多い作品ではないが、疲れる。メットは30年振りだが、観た作品は数点であとは始めて観た。それなりに楽しめたし、ダミアンは丁度桜の季節で、美術館前の桜見物(右図→)と池尻大橋の目黒川の桜見物が重なり面白い空間を楽しめた。
     
3月30日(水) 晴れ
作品を送った以上手直しは難しい。タイトルは提案されて直した。何故、表記を標記と手書きで書いたか思い出せないが、自分の中では”表題”という意味合いで書いたのかも知れない。見つけて教えてくれたTHさんに感謝。午後中央のカフェでのんびり。次のアイデアを考えた。思い浮ぶが肝心の箸袋がない。今回も1000枚+を超える材料から選んだが心残りはある。但し、想定された割合になったので500枚未満でも統計的には正しいと思える範囲なので安心した。多少関西圏は少ないのは想定内だ。毎年栄枯盛衰・廃業も含めて変化するだろう。10年後に調査したい。
       
3月29日(火) 曇
急に冷え込む。桜の季節は普通だ。お花見も寒くて雨の時が結構あって、居酒屋にしけこんだ。あの面白さが若さなんだろう。今はとてもついて行かれない。コロナなんてと粋がる気持ちなどさらさら無い。あばらの痛みが気にならなくなっている。Iで食事。
       
 3月28日(月) 晴時々曇り
五反田の展示会作品を作り、コンビニからTHさんに宅急便。郵政と使い分けているがどちらも近いし気分次第もある。コンビニで結構手間取りバスを乗り過ごしてしまう。叱れないが、考えると昔は待つのが当たり前であった。今は待たせないのが普通でサービスを競っている。立ち止まって考えたい。1分が待てないのか。そうではない。イライラするのだ。待つことに。ビジネス辞めて久しい時間が経つのにまだ清算し切れていない。
 しみじみと 飲むと胃に染む 燗酒は 労り足りぬ 己が体に
 ワクチンが 効いたかどうか 花粉症 鼻水垂れぬ 目も痒くならず

このまま花粉症が治まってくれれば有難い。本当にワクチンだろうか。この1年、ワクチン3回と胆嚢炎手術とあばら骨折が重大事だが、他には思い至らない。
コロナは当然にしても、何らかの影響はあるだろう。良い影響なら歓迎だ。
庭の花々が咲き始めてきた。小桜・イカリソウ・黄スイセンは開いたが、タマサンゴ・トウセンダンは枯れたかもしれない。何より桜が芽を吹かない。去年種を撒いていたのが2本芽を出して代替わりしたのかもしれない。
 限られた 空間で咲く 花々は 寿命も限り あると思えり
 鉢植えは 水遣り命 思えども 一日忘れ 二度と咲かぬか
 いつの日か 咲かぬ庭也 我が宿は 栄枯盛衰 自然界にも
       
3月27日(日) 快晴
快晴だが、雨がふるき満々な天気だ。中央に行き展示用の台紙を買う。色々探すがない。A3/B3など多少は大きくて厚い紙が欲しいのだがない。多分使う人が限られるのだろう。A2ならば切れば良いのだが、無駄も出るし仕方ない。カフェに寄らず帰宅する。作品のテーマは決まったが、台紙に貼るのと見出しが迷っている。明日は完成させたい。
       
3月26日(土) 雨
春の長雨。冷たくないので凌げる。小雨になった夕方、図書室に行き予約本を受取る。帰りに、故YMさんと改築したら行こうと言っていた店で少し飲んだ。主人もメニューも変わっていた。多分次は行かないかな。
       
 3月25日(金) 快晴
いよいよ物忘れと認知症の境目が無くなってきたかもしれない。つい年末に片付け一時的に移動しただけの史料がない。どこに置いたか仕舞ったか思い出せない。探してもない。廃棄はしてないはず。盗まれてもいないはず。さてどこにあるのか。困った。中央で、生まれて初めて馬刺しを喰った。競馬をやっていたので食べるチャンスか無かった。赤坂にいたころは、店に置いてなかった気がする。メニューにない店にしか行かなかったというのが正しい。感想としてはさほど旨いとは思わなかった。単に縁起担ぎだけなのだ。春は菜の花、近所に咲いていた。
体は不思議だ。治ってくると、くしゃみやげっぷが自然と出る。
     
3月24日(木) 快晴
今日から暫くは暖かい日が続きそうだ。中央カフェに行く。10日振りだ。痛み止めが効いている5時間位は良いが切れ出すと少し痛い。あと1Wは掛かるだろう。4月に医者に行き確認するまでは油断できない。5月連休に自然体に戻れればOKだろう。
体は不思議だ。よくなり始めるとクシャミがでる。鼻をかんでもOKになる。去年胆嚢炎の時もそうだった。本当に痛みで困ったときには体が気を使ってくれたのに徐々に邪険にされ始めたということは、快方に向かったという合図かも知れない。Iで食事。NKさんと会い雑談。偶然の老紳士と歓談。バスでマスクしない女性に注意していた老人がいた。いつまで続くのだろうか。
       
 3月23日(水) 曇のち雨
電力不足で停電の心配があるらしい。11年前の震災で福島原発の災害に端を発した停電を経験した悪夢を呼び起す。昨日など寒さでどこの家庭もエアコンを入れたに違いない。60年前は台風で停電が日常茶飯事だった。今の若者は、その時代は無論11年前も実感がないだろう。スマホが使えなくなったらパニックになるのではないかと思う。庭の草木は太陽と水さえあれば芽をだす。多少の異常気象など感じさせないですくすく育つ。人間は弱い。
       
 3月22日(火) 雨夕方には止む
連休&蔓防明けに雨。出鼻を挫かれた店も多いだろう。しかも超寒い。関東でみぞれのところもあるという。桜も開花したが、散るまで油断できない。脇腹の痛みも大分に治まってきた。丁度一週間だ。骨密度は同年齢に比べ110%というから、カルシウム注射は免れた。医院に来る大半がこの注射をする。明日からは出歩けそうだ。運動不足で骨密度より筋力低下で肝心の股関節が緩くなりそうだ。
       
 3月21日(月) 曇時々晴れ間
痛み止めの飲み薬で持続時間は4-5時間で、夜7時に飲むと明け方にはすっかり痛みが戻る。夜間トイレに起きる時にも痛みを伴う。それでも日々痛みの程度が軽くなっている。骨が再生されるのは1か月かかるので体が骨により内臓に触れるのを上手く避けて労わってくれているから徐々に軽くなっていると思う。体に聞くとそうだよといっている。
今日は連休の終わりでマンボウの最終日だ。明日からは世間は通常の世界になると思うしなってほしい。私の体も何となく動けるようになりそうなので、終活を本格的に始める。まずは不用品というより今後利用しそうにないものの廃却だ。紙類から始める。今までは何となく資料として参考文献や引用文として利用するつもりだったが、今はネットがある。もうすっかりデジタルで、本の広辞苑も引くことがなくなった。古書だけが残る時代になるのかな。
Zoom講座を申込んだ。万葉の繋がりだがZoomも時々は利用したい。
       
 3月20日(日) 曇り
今日も終日自宅でのんびり。外の空気は朝刊をポストから出した時だけ、5-6月の五反田展示の作品を作る準備する。
胸部骨折も体が慣れて楽になったきた。ここ1週間は肌寒い。末からは毎日春になるだろう。
       
 3月19日(土) 曇
午前中いつもの数独を解きながら朝食。老人会の年会費を集金に、SさんとOさんが連れ立って来られた。
散髪が1週間も延び、我慢できずに中央まで行く。かなり混んでて1時間待った。カフェも行かず直帰。中央ではイベントをやっていた。3連休+卒業シーズンと学年末で妙に浮き浮きした雰囲気が伝わる。今年の卒業生の中高3年間はこれからの人生にどのような影響を与えるのだろう。国により対応は異なっても人間関係への影響は大きいだろう。9月が年度末の海外と多少は違うかもしれないが、将来にコロナ世代なる言葉で括られそうな堅調な行動がポジティブに出てくれることを望みたい。
       
 3月18日(金) 曇のち雨
昨夜は雨、急に冷え込む。気温が揺れる春を迎えた。服の出し入れが難しい。昨日は痛み止めの服用でかなり軽減されたが就寝中も痛さは残り、朝は結構いたい。腹を切った時と違い、日々良くなるわけじゃない。多分ある日急に痛みを感じないようになる気もする。折れた骨が毛細血管辺り出血して血中に交じり結構黄褐色の尿が出る。とにかく安静。自宅生活は慣れた。人間1週間やそこらは水あれば問題ない。阪神でも経験した。多少の飲み物あれば1か月はOKだ。
それにしても、骨折した14日に何を思ったか、災害時の必需品の簡易トイレとタオルを買った。定期的に買ってはいるが。
       
 3月17日(木) 快晴
昨夜の地震ははじめ緩やかに長く続き急に揺れた。朝確認したら横須賀は震度3という。恐怖は結構あったと思う。最初に揺れだした時はすぐ収まると思ったが長いので不安になりだした。震源地に近い福島のほうには被害が結構出ている。復興が道半ばで気の毒というしかない。故郷を移る人が増えて人口流出が進むのは二重の被害だ。
脇腹の痛みが3日目で今までと違う。追浜の平田整形外科に行く。めちゃくちゃ混んでいた。90分も待った。昨日が休みでいつも木曜は混むという。結果は胸骨左10番が折れていた。完治まで3か月、痛みは1か月だが、徐々に収まるという。自然治癒しかないという。湿布と痛み止めを処方で終わる。4週したら確認でX線撮るという。その特までに痛みが取れてたらそのままにしたい。自分の体に聞くとピークは今夜だと囁いている。体が自己防衛の本能で助けてくれているようだ。とにかく負担をかけないように養生に徹する。
 肋骨の 10番折れた ホワイトデー 楽しく痛い 骨折記念日
東京行きは今月は止めとくか。10日後に結論がでる。
 不測なり 明日の体 どうなるか 神のみぞ知る ではない吾が意
まずは、安静・冷却・圧迫・拳上というので出来る限り実践してみる。とにかく暇なので、BGM流して、本を読む。江戸時代だと主要人物の年表を作り見ながら読むと理解が深まる。フィクションでも江戸だど年号を胡麻化さないし、事実を変えない中で創作している。
       
 3月16日(水) 晴
AYさんから白日会の案内葉書が届いた。23日からでマンボーは延長しないだろう。今年のベアは軒並み要求通りらしい。コロナ明けで業績が好転していることが大きい。また社員の閉塞感を除くためもあるだろう。裏で政治主導の圧力が働いたかもしれない。
今日も終日自宅だ。脇腹が痛い。クシャミが出来ない。鼻をかめない。明日も好転が感じられなければ医者に行く。自宅では刺激もなく和歌を詠めない。
       
3月15日(火) 晴れ
終日自宅で休息。昨日打ち付けた脇腹が痛くて動けない。新聞も取りに行かずパソコンでYouTube見ていた。TVと同じで見出すと時間のすぎるのを忘れるが、思考が止まってしまう。明日は無理しても動こう。
       
3月14日(月) 晴れ
今年の日本晴れかな。20°を超えて風も無く半袖で外出した。YYさんと寿司屋でデートした。楽しいが細かいことが思い出せないのが良いのか判らない。とにかく 楽しいのが良い。酔っているとかぬきに、楽しければ良い。
       
 3月13日(日) 晴のち曇り
陽気に誘われ外出した人も多いのではないか。バスでそれと分かる親子連れを多く見かけた。気候が良いと気分も良い。道楽の箸袋も次回展示のめどが付いた。ニュースは、コロナとウクライナ一色だ。奈良の旅は秋に延期。京都は来年だ。天気は少し下り坂。健康状態は普通で、このまま老いて往くのも良い。
家の周りでは野良猫が煩い。もう一か月以上続く、恋の季節がやけに長い気もする。
       
3月12日(土) 晴れ
古文書講座を受講した。同じ横須賀市の企画でも博物館主催だとかなり違う。古文書の定義を始めて知って目から鱗だ。古記録との違いも判った。今後の江戸期の本解読の励みになる。今更勉強しても何の足しになるか分からないが還元できればしたい。帰りに90分かけて博物館を見学した。近くにあるのに初めて観る。天神島は何度か観ているが他の施設は初めてだ。観音崎にも足を運んでいるが博物館は見てない。地元だからなのか?そうではない! 魅力が伝わっていないのだ。市の行政の管轄の施設を連携させるかは手腕次第だ。
 人類の 歴史と歩む 博物も 見せ方次第で 見向きもされず
 裸じゃない 縄文弥生 資料ない これから出土 期待するかな
 故郷の ナウマンゾウが 生きた時 埋もれる土の 下に息づく
 マンモスと ナウマンゾウの 違い何 知らずとも皆 興味湧くか
 マンモスの 住みし地表に 暮らしおり 足型違えど 日々踏みてこそ
 人骨が 出土する地に 住む我ら 歴史の重みと 繋がり薄く
       
3月11日(金) 晴れ
寿司は昔から好きだった。酢が嫌いなのに何故か不思議だ。結構な年になってから50年、ほとんど好みが変わらない。体に良いと云われているが、私は体に良くないからと云われて母から控えるように云われていたことも有り、酢のモノは食べなかった。しかし、寿司だけは食べた。大人になり自分のカネで食べれるようになり新橋で食べた。通い出してから10年も経たずに店を閉めた。周りが客引きの店が多くなり環境が悪くなると同時に店の人の思いが変化した。昼をやり休んで夜という商売に体がついて行かなくなったようだ。それ以外にも色々要因はあったかも知れない。
 半と半 中庸と違うと 思うとも 何故か身近に 思う言葉や
すし半串半と、どうも半は音が良い。イメージが高いと安いの中でサラリーマンには入りやすさがあった。今でも結構**半という店がある。月曜の予約した。予約方法に一言あるがそれは月曜の後だ。
       
3月10日(木) 薄曇り
陽は差し込むが、うっすらとレースを纏った雲が遮り暖かさが疎外されている。40万住民で2万人の陽性者が居るということは20人で一人になる。実感がない。いくら気をつけていても感染しないのが不思議だ。昨年7月末では陰性だったが、今検査したら自信ない。
       
 3月9日(水) 快晴
中央を散策。久し振りに若松マーケットも歩いた、カメラは持たず、裏道をウロウロした。このマーケットはスナック・バーがひしめく新宿のゴールデン街と似ている。入り込めば安心・安全な居心地の良い場所だが、それまでが難しく、尻込みする。昼間からボリューム全開でカラオケが聞こえる。
 ぽかぽかと 陽気につられ 散策す 昔怖いが 今はなつかし
 人気なく ねむりの道を うろうろと カラオケの声 真昼に響く
 米兵で 栄えた町の 路地裏に 息づく道は 乾くことなし
 紫煙立つ ガラスの中は 安らぎを コーヒーに変えて ブレークタイム
 顔なじみ 言うには知らぬ 仲なりし 互いに素知らぬ 振りして飲むや
 読書する 目的は何 問われれば 暇つぶし也 吾が人生の
 ドブ板と 呼ばれ嫌われ 蔑まれ 時代を経ての 今の賑わい
 美容院 きょうび男が 通う店 天井見上げて 髪洗うなり
 イケメンの 美容師が髪洗う店は 華やぐ女が 集うサロンか
 カーテンの 向こうの歩道 見えぬけど 歩く足見て 妄想たくまし
       
 3月8日(火) 曇
鉛色の空。昨夜降ったようだ。急な冷え込み真冬が戻ったように襟を立てて出かける。マンボウ延長で心なしか足取りは重い。さすがに高校生などはベスト着用だが、膝上のJKなど若いって羨ましい。
 襟立てて 行き交う人に 笑顔なく 足取り重く カメの歩みや
 門出には 袴で臨み 未来への 夢のひととき 別れせしまに
 垂乳根の 母が夢みし 谷戸の春 胸の痛みを 抱えて往きし
 後を追い 残るよすがを 歌いきり 看取る人なく 病に倒れ

YYさんと食事の約束。付き合いは長いが初めてかもしれない。
       
3月7日(月) 晴れ
知合いの店に聞いたら21日まで休業という。もうとことん行政に付合うしかないのだ。
今日から延長のマンボウだ。今までと同じような調子で店や人は行動して、時間や自分で決めたルールを守るのだろうか。昨日は日曜で汐留は混雑していた。
 ひらがなは ジェンダー意識の 先駆けと 貫之様は 笑い飛ばすか
 日本語は 漢より入りて 変化して 今の進化は 若者委ね
 おもかげを 求めて江戸の 文字を読む 仮名がうつろい おもかげ消える
 先人の 想い積もれる 記号なり 漢字カタカナ ひらがなの旅
 千年の 歴史を纏め 編集し ムダを省いて 合理的かな
 ゆったりと ソファに腰かけ 妄想し 貫之の刻 蘇る時

帰宅して のんびりしていたら宗教の勧誘が来た。女性一人での来訪。普通二人なのに。この種の勧誘は千に3っつかな、それとも一人か。
       
3月6日(日) 曇ときどき晴れ間
孤独な老人を社会問題として捉え、動き出す人たちがいる。自治会で取り組みたいことは、
個人の作品による啓蒙活動・慈善団体/NPO法人などによるボランティア活動など出来ることは多岐にわたるが志があっても一歩が踏み出せない。個人では限界があるが、団体であれば動ける人は存在する。自治会がその一助にはなれるし、日本の自治会という行政と異なり民間とも言い切れない地域に根差した団体ならではの可能性を考えたい。
婦人会に発言力のある男性が参加希望しているという。新しい風が吹くかも知れない。具体的主張をまとめて発言する機会を考え、その準備のアイデアを限定せず拾い集めたい。
       
3月5日(土) 晴れ
春一番が吹き荒れる。一番早かった昨年より29日遅いという。天候不順が確かに起きている。
終日自宅で静養。ポストに入りきらない郵便物が届けられたので対応した以外は全く話もせずに過ごす。何度も聴いているCDとYouTubeから選んだ音楽を聴きながら、頭の体操をした。本当にボケッとしてるとボケそうで恐いから多少は本を読む。
晩にATさんから正式に自治会役員を要請された。例会の後会長などと3人で来ると言ったので遅いので断った。月に2・3回の書類・チラシの仕分けや整理は手伝えるとは思う。4月から6年ぶりの自治会になる。
       
3月4日(金) 晴れ
3/4月の予定がほとんど中止・キャンセルになる。午前中から中央のカフェに行く。久しぶりにパスタを食す。食を挟んでのんびり本読みPCに入力し万葉の世界に想いを馳せ日本の成立を連想した。書評ではなく、読み取った感想を少し記すと、
コミュニケーションがオラルコミュニケーションのみの縄文弥生時代から日本という国が成立するには統治する権力が必須になり、役割とか取り決めなど周知するための全国共通の言葉=文字が必要になる。互いに共通の記号がないと意識が一つに纏らない。ではどうするか、当時交流のあった大陸の文字を利用して、倭国で話されていた音声に一語一音で当てはめて漢字主体の文章を作った。このことが中國に冊封されず国家が成立した由縁であると考える。白村江の戦で唐・新羅に敗れた頃、『旧唐書』に「日本国は倭国の別種なり、」と天武天皇のもとで統一されたということになった。高校時代に教えられた内容とかなり違うことが解る。今の日本史の教科書はどうなっているのだろう。聞きたいものだ。
 古の 国の成り立ち 想い馳せ オトタチバナの 神話見直す
 雷の 神に祈りし 馬券かな 戦う強き 神神の社
 妄想す 川のほとりで 語らいし 昔乙女と そぞろ歩きを
 飛鳥川 恋歌詠みて 橋渡る 水の流れは 今も変わらジ
 三山の 畔は悲恋の 怨念が 漂い流れる 女の淀み
 雲間へと 想い通じて 晴れ渡る 歴史の廻る 飛鳥川
 箸墓は 姫の巫女との 恥じらいと 大君の愛 受けて迎える
 面影は 恋しい人の 陽炎か それも事実と 受け止める君
 移ろいて 君の心は 蕗の薹 春の便りに 掻き消されつつ
 君が見た 空の青さと 同じなら 思う限りは 結ばれぬ恋
       
 3月3日(木) 晴
手紙で正式に奈良調査の延期連絡があった。幹事のTTさんに返信メール。返本に図書室に行く。
そのあと中央のカフェでのんびり。帰りにYAさんとコンビニで会い立ち話。孫が年長と思えないほど若い。
 仏壇に 面影もとめ 手を合わせ 亡き人移ろう 春は陽炎
       
3月2日(水) 曇時々晴れ間
一昨日、確定申告の還付金が振込まれた。6週間と言っていたが2週間だった。対応が早く怖い。この揺り戻しがコロナ後にあるだろう。湯水のように投入して財政バランスが崩れたのだから。
自治会の役員を引受けることにした。正式に要請があればだが、誰もなり手がいないときは引受けるつもりだ。6年ぶりだ。Yさんが年齢や体調で辞めるので後任をどうしてもと懇請された。手術のあと2年総務・庶務を担当した時には助けて頂き感謝している。昨年で友人・知人が亡くなり老人には丁度向いているかもしれない。今回はAさんのサポートなので気も楽だ。毎月の作業も何となく理解できているのでAさんも気安さがあるのだろう。この6年で西町が変貌しているのを中で確認できることになる。終日自宅で骨休め。
       
3月1日(火) 曇時々晴れ間かなり強風
いよいよ、弥生3月になった。午前中に月度の家庭内行事を旧宅含め済ませた。日中は春の日差しだが、風が強く帽子が飛ばされる。それでも冷たさがないので上着1枚脱いで丁度良い。ポストに趣味の会会長から中止の葉書が届いた。また、奈良調査は今日3/1がマンボウなら中止ということなので当然延期だろう。去年の見通しからは程遠い結果になった。先週まではもしかしたらという期待は持っていたが仕方ない。個人で旅行するのはOKだが、幹事や責任者がいる団体は二の足を踏むのは理解できる。半年・一年の延期は止むを得ない。
今月の歌は初めて武家にした。弥生は春を感じさせる言葉であり、弥生時代の先駆けの地で詠まれたのも何かの因縁かもしれない。本来なら蠢く虫のように活動を活発化する予定が出鼻をくじかれそうだ。

春の陽気で一斉に芽吹く 
     

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