石田朱日子《お昼寝》
 
年々歳々 花相似たり
歳々年々 人同じからず
言を寄す 全盛の紅顔子
応に憐れむべし 半死の白頭翁
          劉希夷『代悲白頭翁』より

還暦を迎え錯誤修正の
日々を過している。
残る人生の燃え滓を
趣味に情熱を捧げる
   
       
井上悟《休息》

ひとり来て ひとり帰るも 迷いなり
来たらず去らぬ 道を教えん 
           (一休禅師)

少し早めに骨休めをして、
新たな目標に船出したいと
思ううちに還暦も過ぎ、
趣味と酒に明け暮れる毎日。
楽しみは、絵画を眺め
音楽を聴いて過ごす。
   
       
岩岡航路《夏》
記憶の中に自己が生きた証を探す

明日の自己の存在を信じつつ歩く

今日はなんと耀ける時間だろうか
   
       
生田宏司 《無垢無垢》
2階に上がる踊り場で昼夜を問わず
見張り番をしている。
一人暮らしの女性が飾ったほうが相応しい。
時には・・・
   
       
 稲垣孝二 

コメント:
毎年国展に500号を出品するパワーと構成力がある。この鉛筆画はデッサンのつもりだろうが、繊細な筆致で肌の感触まで伝わる。サイズもクロッキー用である。話すより描くというタイプで徹夜で長距離トラックを運転すると聞く。売れていると思うのだが・・・500号は買わないか。

下の2点は国展のチャリティで買った。色紙なのに手を抜かない。他の作家が手を抜いているということではなく、点描でタブロー同様に熱意が感じられる。3点に共通するのは女性の表情が残酷なほどに再現されていると感じるのは私だけじゃないと思う。。
   
       
       
石野守一 《人物》、     (デッサン)
      
左は掌に乗るような小さな単色の油絵だ。作家はこのような怪物や魔物が好きなようだ。私もすきなので購入した。オークションで。隣のデッサンは文字通り類稀なデッサン力だ。
下は8号の油彩だが飾ったことがない。
   
       
市川孝典  《 》 たしか無題だと思う
 
この絵はお線香で描いている。和紙を焼いて焦げ目を付けている。60種近い線香を使い分け濃淡をつけているようだ。さて題材の対象だが、脳の記憶にある景色だという。この作品の隣に全く同じ(に見える)作品があり、紙を2枚重ねて作成したのではないかと疑ったのだが子細にみると違うようだ。脳の記憶だけが頼りで右上から左下に向け集中して一気呵成に線香を走らせる。年齢経歴は不詳だが、とてつもない経験の人らしい。どうも横須賀の生まれらしいが確認していない。とにもかくにも実物をみないと凄さは判らないが、私も見た森の森閑とした佇まいが伝わったので買って自宅で眺めている。額縁左上と右下の斜交いをわざと隙間を作っている。四方をきちんと観るようにした拘りだが作家は知らない。
   
 入野真美子
子供の頃に体験した谷戸の螻蛄が鳴く夜を思い出す。津々とした夜を不気味に闇を切り裂く騒音が懐かしい。電信柱が木製で蛍光灯ではない。白熱球の灯りだけが頼りの夜の外出。恐るおそる歩き急に小走りになり駆け出す。螻蛄にまじりカエルも鳴きだす。夜のしじま。今もそれほどには変わらない。人口同様開発で少し静かにはなった。そして、LED灯になり一生大丈夫と言っているが、時には故障で点滅したり消えたりしてほしい。    
       
生野一樹 《円覚寺》
臨済宗円覚寺派の本山である。この末寺に両親は眠っている。近いこともあり北鎌倉の本山に年1回は行っている。お参りというより何となく落ち着くというか、故郷に来たという気がする。同じ臨済宗で建長寺が近くにありここも行く。が少し歩くので回数は少ない。この絵のどこが円覚寺かは判断できない。多分雰囲気と信仰の山という意味ではないかと考えている。購入した時も名前が違うのではとも思ったが、このHPの表紙はこの絵の換骨奪胎ということになる。そんな思いと視点で眺めている。    

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