呉 亜沙 《行く》
0号の小品が4点あり、遅れたら3点売れていた。残る1点を買ったが、一番良いと思った。 作家が芸大修士卒展で発表された大作(500号?位)をぐっと凝縮して、その後の展開を暗示させる本質がここにある気がしている。
   
小林英且 《カニ》

私は蝉の抜け殻を集めている。集めて独自の作品を作っている。 蝉の抜け殻の作品は掛けてたら気味悪いといわれた。 この作家は板作品で額がない。 左下は合った額に収まり気持ち悪いなどといわれない。でもこんな綺麗な場所で脱皮などしない。良い作品である。
《油蝉殻》        《ミンミン蝉》
怖いという。
大きすぎるという。
夏の暑さや、鳴き声にまけない。
大きさが勝負だ。
ミンミンミーン、ミンミンミーン
ミンミンミーン、ミンミンミーン

次第に大きく、うざったくなる
段々、太陽が真上に昇る
汗がしたたり落ちる
ジワジワ
夕立が欲しい
鳴き声も暑さも少し凌げる
気持ちだけでも
ミンミンミーン、ミンミンミーン
ミンミンミーン、ミンミンミーン
   
   
小林裕児 《夢吊》1996年 8号
安井賞を受賞した頃の作品である。私の夢を吊るそうと思っていたころと重なり購入した。 発表から後に、オークションで競り落とした。以来2階寝室で吊るされ私を見つめている。



夢は現象か
現象は夢を含めて存在する
存在は夢の中に包括される

夢は現実か
現実は夢のように華美ではない
華美な現実は虚飾に満ちている

夢は予定調和される
夢はいつも自分の身体である
夢は精神に包括される

夢は今日も精神と身体を支配する
  下は4点で作品になるように飾ることを考え買った。上が2006年、下が2005年の春陽会のチャリティ用のドローイング。画家は毎日小さなスケッチ帳に日記でもつけるように描いている。何か描いている。何十年も続けている。 その中で、時折色紙のような作品が生まれている。この4点は布に描かれている。 優しさと孤独から助けを求める声が聞こえる。いや、私を助けてくれて励ましてくれているのかもしれない。 勝手にヒーローみたいに助けなきゃと思う自分をいましめてもいるようだ。4点合わせての題名は、まだ無い。
《リンゴを持つ少女》
《青い砂の積もる部屋》
《砂丘にて》

《角笛》
 最後の年男かもしれないと思い購入した。画家は私と同年配である。戦後団塊の世代を生き抜いた男の生き様の終焉を迎える姿を投影している気がした。自分に同化している気もした。左は蝶を追う鼠(私)を自分自身が客観的に見つめている。他者が入る余地はない。右は構図が一目で気に入った。屈原を思わせる余白が何とも私らしい人生と重なり合っていると感じた。最初のモノクロのカットの時は半分だけでもの足りなかったが、やはりタブローは異なっていた。金泥があり華やかであり、そこは自分にない部分である。最後は派手目にと言うことか。
 《蝶を追うネズミを見た》 2019
 《黄金の森》 2019
   
   
肥沼守 《月を運ぶ犬》

動物(犬・猫など)は飼ったことがない。触れない。格別幼児体験がそうさせているとは考えてないし、嚙まれたことはない。 黒い秋田犬が近所に二頭いて吠えられて怖い思いをしたことはあるが、今はほとんどの犬が大人しいし、大丈夫そうだと分かっているが近づこうとは思わない。 せめて絵で触れあっていたい。少しは癒しになっているかな。
   
 後藤芳仙 《八ヶ岳山麓》 色紙・水墨

 巧いものだ。あっという間に頭の中にある風景を落とし込むように、描き上げる。ぼかしも手馴れている。無論道具もいいものだろう。油絵とは違う日本の風景が浮かび上がってくる。実際に見たことないが、観たいと思わせる。
   
   
 児玉由美子 《物語の表紙》
人形に恋をした
黙って話を聞いてくれる
いつまでも聞いてくれる
反論しないで聞いてくれる
怒っても
手を上げても
哭かない

人形は人間より表情がある
この作者は多分リタイアする気がする。この個展が最初で最後だと思う。文章を思いついて購入した 

copyright 2018 SHIRONDA© all rights reserved