境 幹生 《婉》

おんなの腕を「やわはだ」とは
粋な表現だ。

二の腕と太腿に色気が充満している。
流し目もいい。

誘惑されたら男はイチコロに違いない。
私?
もちろん虜になる。
   
 坂谷真希 《スズメ》

最近の公園はスズメもハトも人をみても逃げないどころか近づいてくる。餌を与える人が結構いるからだという。観音崎でパンを食べてたら、トンビに取られた。左後方から急降下して肩越しに左手に持っていたパンを掴んだが、失敗してパンは砂浜に転げ落ちた。初めての経験でまさか自分は大丈夫と思っていた。油断。
朝スズメの鳴き声で起こされる。庭の桜の枝に10羽くらいたむろしている。ベランダのフン害には結構悩まされる。麻雀の徹夜で寝なかった罰をいま受けている。
   
 坂倉秀典 《裸婦》

 このポーズは結構描いている。5分から10分のクロッキーだが、陰影のつけ方が違う。そもそも手足がきれいだ。胸と腹のバランスがいい。自分では描けてるのにと思っても、終わって眺めると恥ずかしい。
   
 佐藤清七 《カスピ海の夕暮》 8F

絵画と写真の違いは何か。
無論写実絵画を念頭においているが、
カスピ海は見たことはない。
でも、
絵から想像を掻き立てられる。
それが好きだ。
 
里見勝蔵 《顔》 陶器 (未掲載)
  《顔》 石ころのレリーフ
   
 佐々木豊 《肘つく女》

 女房や自分の女を描く
描いてない部分も子細に知っている?
無理なポーズもする?

素人の妻はやってくれない
妥協してしまう。
描く前から構想がズレる

途中でトイレに行く
モデルはプロでなければ
あるいは想像で創造する。

性格が貌に出るし
デフォルメもできる
画家の一分である。
   
 佐藤光雄 《棚田の風景》

 私の住む谷戸の平地は昔
田んぼだったという。
無論こんな広い平地ではない
猫の額のような田畑を開墾した
明治には埋め立てられ
宅地になった
メイン通りは商家が並び繫栄した
つかの間の

今はほとんどが住居になった
150年で未来の日本になりつつある
   
 櫻井慶治 《裸婦》

《波と灯台》 8Fどこの灯台か知らないが、裸婦と同じ青で女と海に吸い込まれそうな感じが似ていて好きだ。時代を築いた画家ではあるが・・・
   
 佐藤 勲 《女の児》 1976作

 どうしたら、これだけくずせるのだろう。あどけなさと成長の早さが同居している。

近所の女性が画家Aに描いてもらった自画像を気に入らないと掛けなかったそうだ。画家は本質を描いたといったらしいが、軍人の妻だが、写真はきれいだ。でも絵は不細工だと誰も思っていると疑心暗鬼になっていたそうだ。確かに美人にはみえない。あの絵はどこにいったのだろう。美術館に寄贈されたのかもしれないし、捨ててと遺言していたかもしれない。嫁さんが亡くなり、さて。
   
 斎藤 正 《羅漢結集》 写真作品

 500羅漢がいた時代がある
確かに信仰の対象として存在した
いまも
別れて散らばっている
時には
集まって飲み会でもやるといい
同じ姿で肩もこるし
しびれもきれるだろう
   
 斎藤美樹 《Home,Sweet Home》 写真作品

 一晩中寝られない
寝たら
食い殺されるかもしれない
こんな女に
寄生して
一生を楽し過ごしたい
願望だ
いや妄想するだけでいい

目覚めると写真があった
やはり
夢はみるものだ

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