谷口仙太郎 《語らい》
 

永遠に続く男女の会話。

途切れても顔を見ず

探りながら

糸口を見つけようとする。

毎日が繰り返し

でも止めない。

白鳥、蘆花より出ずる。
お迎えは来たが居留守を見抜いて門前から帰らない
体の悲鳴は聞こえるも娑婆に未練あり会いたくない
周辺の緑陰風音を坐辺師友と静かに心身をうるおい
今は凍蝶の如く耐え春暖に大空を舞い漂い続けたい
俺はまだまだ走る続け、疲れたら歩く、杖をついて



この作家とは20年以上の付き合いになる。
ふらりと入った”ときね”というバーが昼間はギャラリーになり、 自分の作品や友人と発表の場にしていた。たまたま閑で恐ろし気な場所と思いつつ若さもあり 急な階段を上がってドアを恐るおそる開けたら、そこにマスターならぬ本人がいた。 観た時の作品は、本人のデッサンと紙に油の作品が掛けてあり「上手いですねぇ。どなたの作品ですか。」と尋ねた記憶がおる。 あれから20年、自分を高め切磋琢磨して先人と向き合っている。常に他人とは違う自分らしい、 環境・生息領域の違いを意識したテーマと制作過程がみてとれる。
 
 《ふたり》
 《男と女》
《語らい》と合わせて3部作と考えいる。 作家はそのようには捉えていないようだが、購入するときに3点まとめて買った。 散逸しないのは本人も納得して満足そうであった。SMの小品だが、作家のというより、 夜の世界で修羅場を 見てきた経験から男女の仲を見る目が透徹している。 冷静にかつ残酷なまでに楽しげである。人の不幸を見過ぎると逆に絵画の材料にでもなると思っているのかもしれない。 3年前に店を閉めた。どんなにいい絵を描いても”飲み屋の親父”と陰口を云われると嘆いていた。「それだけ嫉妬される存在になったんですよ。」と応えた。そういう対象になったのであろう。 一応(本人曰く)ムサビを出ているから画歴では表面上何も言えないので、仕方なく人伝てに聞こえよがしに言う、狭い村社会の話だ。
 
 龍口経太  《家電少女》(部分)

18年働き続けた洗濯機。

大阪で震災の被害に耐え

満身創痍で活躍し続けたが

昨年末に役目を終えた。

私は多少の腰痛や物忘れの

多さに悩まされつつ

ボランティアや趣味に壊れない

程にフル回転している。
   
 田端麻子  《雨》
 
晴れて欲しいな 外で遊べるから

竹馬に乗れるし 傘と杖は綯いし

雨の日の家の中 音も色も籠るよ

てるてる坊主に お願いをしよう

雲間から太陽が 鳥も囀っている

あっ二重の虹だ いいことあるよ

   
 高塚省吾 《夫人像》
 裸婦が有名だ。素人の私には参考になる。この単色の油絵はたぶん雑誌の挿絵かなにかで描かれたものだと思う。見事なデッサン力と画面構成だ。色恋の沙汰に悩める場面だと思う。淡い恋心の乙女の物思いに耽る姿が想像できる。昭和世代の大人になりかけの女性。絶滅危惧種である。
   
 田ケ原弘 《園の出来事》

 この絵を見たとき宗教の匂いを感じた。知り合いも好きだという。弟も飾りたいという。キリスト教には無縁の者たちだ。家に長いこと飾ってある。邪魔にならない。やすらぎの絵である。その後、銀座4丁目の教会の年末キリスト教美術展に作家がチャリティ展に出品してあるのを観て合点がいった。技術的には難しそうだ。この白い線は無造作に見えるが、厚塗りに鋭利な細い鑿のようなもので掘っている。なめらかに迷いなく円や楕円や直線を組み合わせて、元々そこに描かれてる溝を掘りだしただけかも知れない。
   
 田中岩次郎 《 》

 題名がない。場所が特定できない。似た構図の絵はたくさん見ているが、こじんまりとまとまり過ぎているから箱庭に見えてしまう。かなり古い時代だ。
   
 高間惣七 《鳥》

 彼の代表的な題材である。庭に実際に飼って観察して描いた。生きいきした色遣いは見つめ続けた賜物だろう。観ていて飽きない。何か「おはよう!」と言ってくれるんじゃないかと、いつも見ると思う。実際に聞こえ始めたらボケが始まったと考えたほうが良い。幻聴などではない。
   
 田中阿喜良 《闘牛を見る人々(3人の男)》 9/100

 彼のファンであった。結構見続けた。手がとどかない価格になりつつあった。
ようやく版画ならばということで購入して眺めている。この人たちは私の絵画を眺める姿そのもの。
   
 谷川泰宏 《春装》

 大阪にいたころ、宝塚を観なかった。チャンスはあったが、歌舞伎同様に興味のないジャンルであった。2017年にあるきっかけで、雪組を観た。華やかで結構面白い。のめりこむ気はしなかったが、宙組・星組と続けて観た。その間に柚希礼音の舞台も見た。さらに月・花を観ようとしている。りっぱに”おじさま”というタニマチへの階段に足をかけているのかもしれない。

「ベルばら」という言葉を思い出す。
   
 竹原晶 《追憶の散歩道》 2002.4.2

 才能にあふれた若手だと思った。洋画の世界も実力だけでは難しい。日本画ほどではないにしても。最近見ない・聞かない状況が続いている。描いているといいのだが。諦めたら続きはない。新たに章が始まるわけじゃない。
遠藤彰子のように結婚しても子育てしながら描き続けて欲しい。
   
 竹内俊彦 《赤い扉》
 

  

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