日常の写真風景

 2018年前期  今年の写真風景へ戻る    
   ホームズの早い対応、にしても
1週間前に、駐車場の境界のフェンスの留め金が外れていたので、友人が番線(写真中央の細い針金)で仮止めした。 私が電話で注意を促したら、黒い太い番線で上から縛り付けていた。写真左の留め金は既製品でだろうが、 受け皿の方が無いのかもしれない。1mくらいのフェンスなので大事には至らないと思うも至る所に危険は存在しているということだ。 にしても、ホームズなのに部品が無いとは思えないが。
  身近にいる好きな人の似顔絵展
この時期、母の日・父の日があり、ピカピカの幼稚・保育園児が、こういう絵を描くのだろう。 私は描いた記憶が定かではないが、多分あるだろう。旧宅には甥っ子が、祖父母を描いた3歳位のクレヨン画を飾っている。 ピカソが子供の心を持ち、今の技術で描きたいという言葉を残している。(聞いた記憶がある。) 上手く書こうと思わない気持ちを捨てきれない程、汚れてしまっているのだろうか。

汐入のイオンを背景にポーズしてもらった。
 マスクドCoCo壱!参上

オフィシャルサイト;http://www.clay-mc.com/
年中利用している割には、初めて会った。 店内は1時過ぎということで空いていた。社会体験の中学生3人がいたが、ベースの外国人も多く子供が多かった。 自分から進んで写真サービスをしていた。私にも中学生の学習体験をしているので騒がせて済みませんと断ってきたが、 むしろその会話を聞耳たてていたので、HP掲載を断って写真を撮らせてもらった。自分ではカレー屋でプロレスラーでないと言っていたが、 上記URLを観ると試合をやっている。CoCo壱の宣伝担当ということで4店(横須賀中央・汐入・追浜・八景)に出没しているという。この汐入ガ多いという。
   フェンスの留めネジ欠損
ホームズの入り口の反対側のフェンスに駐車して寄りかかろうとしたら歩道側に倒れそうになった。 ご覧のようにフェンスを繋ぐネジが外れていた。 地面を探したが無い。高さは1mくらいで問題は無かろうと思ったが、 一緒にいたMさんに大阪地震のブロック塀のことを話題にしていたこともあり話したら、その場で持っていた番線で仮止めした。 彼の素早い対応を行政は見倣ってほしい。電話でホームズに伝えた。お礼を言われたが、対応したとは思うが、次に行ったら確認はしたい。
    歩道の禁止標識
主要な歩道には路上禁煙地区のマークが歩道に貼られている。また、パチンコ屋など自転車が多く駐車される店舗の前の歩道には 自転車・バイクを移動してしまいますよという注意事項のマークが貼られている。後者は効果があるようだが、前者の歩きタバコは時折見かける。 女性の方が多いかもしれない。注意するのは怖い。
   リドレ街角ライブ
リドレは歌手などのライブをよくやっている。今日はフィールドア社の無店舗販売(ハンドエステ・夏用帽子・観葉植物・地物野菜など) が立ち並び人通りがある。何かのイベントがあると人が集まり賑わいがするので歩いても見ていても楽しい。財布のヒモも緩くなるし、 思わず立ち寄った人も得したうれしい気分に浸れるのではないだろうか。児童の極真空手の演技に大きな拍手が起きていた。 反対側ではマスコットのアクアンと記念撮影で大人もピース。
   スカジャン発祥の地宣言
宣言しなくても、スカジャンは名前の通りだろう。海軍カレーとは違うと思うが、差別化とひょっとして他が宣言しないとも限らないから先に言うのは悪くはない。 今の世の中は世知辛いというか抜け目がないというか、関係なく名前など登録してしまう輩が多いので余計な裁判沙汰が数多く存在する。本家・本元・元祖など一杯ある。 私はスカジャンを持っていないし好きじゃない。派手だし似合うと思っていない。ジーンズには何でもOKという人はいるが、 スタイルの良いそれなりの男でなければ服装は気にするより中身を磨けと言いたいが、ままならない。
   6月14日は「世界献血者デー」
横須賀中央の広場に献血車が横付けされ道行く人に献血協力を呼びかけていた。今日はABO式血液を発見し、 ノーベル生理・医学賞を受賞したカール・ラントスタイナーの誕生日である。2005年より制定されているという。 私は献血できない体というか、結核を幼いころに患っていたこともあり長い間できないと思っていた。5年前手術の時、自己血を採取した。 2回に分け800㏄保存した。手術は成功して輸血の必要なく9日間入院中に体内に戻した。輸血はリスクもあるが、いざというときには命を救うう大事な要素だ。 弟は若いうちから積極的に貢献し続けており、尊敬している。流石にいまは年齢的にできないが。
 よこすかYYのりものフェスタ2018
写真が前後している訳じゃなく、下は16号線のバス停横にある。こちらがヴェルニー公園の入り口になる。 鉄道ファン・オタクにはJR横須賀駅に集中しているし行列の順番待ちをしている。公園内はグッズ・露店・B級グルメと専ら有料だ。 食堂兼用の休憩所もある。反対のショッパーズ周辺には京急バス・作業車・ショベルカーと戦車みたいな指揮通信車・ジープ・救急車・パトカー・消防車など が並び記念写真がとれる。制服・制帽も用意されてる。無論子供用である。
   主役の軌陸車
高さ10mまで上がる作業者である。右テントの中まで待つ子供で一杯だった。 この高さで360度見渡せる環境はない。子連れの父親が興奮している気がした。母は見守っている。この軌陸車は線路と一般道路を走れるので、 この名前がある。写真のように右が線路用、左の車が車道用だ。
   井戸の今
田浦地区は井戸がある。今から60年前には現役で水道の代用をしていた。共同水道で各家庭まで引かれていない家が多く、 ミョウバンなど入れて飲料水としても使用されていた。スイカを冷やした記憶がある。20年前に戻ったころには、夏の打ち水として使用していたが、 今ではほとんど使われていない。この井戸は蛇口を捻ると水が出ると聞いているが見たことはない。隣には古家がある。100年は経っていると思う。 関東大震災を経験しているとこちらも伝聞情報である。他は知らぬうちに埋められたかゴミ捨て場になっているという。
 
恋人たちの聖地という場所(室内)から撮影
 浦賀水道
観音崎の横須賀美術館の屋上から見る浦賀水道はいつ見てもこころなごむ。ゆったりと時間が流れるような気がしてくる。 英雄豪傑が闊歩していた時代、ヤマトタケルノミコト・鎌倉時代の武将などの展示物を観たあとだから尚更同じ場所に立って同じ景色を見ているのが不思議である。 その地点が地層になり毎日微々たる変化がある。ここで恐竜と戦ったり戦国武将が血で血を争っていたなんて歴史としてしか認識できない。
制限時速30㎞/hの国道
国道357号線 金沢八景近辺に速度が30㎞/hの区間がある。ほんの数百mもないと思うが、進行方向の右は高架下で左にはガードレールが続く、 信号機もなく工場地帯を走るので、特に日曜日は人通りはほとんどない。ジョッギングする人を見かけるくらいだ。 それまで60㎞/hで走行して急に半分の30㎞/hになる。いつも日ノ出町の帰りに相棒がここは良く検問やっている。 時期によって点数稼ぎじゃないかと思うという。「新人に実地研修させるために必ず違反者が出るようにしてるんじゃないか。」と返した。 「そうかもな。」とさもありなんと思っているようだ。そして何事もなかったかのように、話続けた。
ジャズの街「どぶ板」
どぶ板通りには結構な数の手形が通りに埋め込まれている。ジャズの街を標榜して街起こしを計画した時の産物で 当時は道路も工事跡などなくきれいだったが、今はあちこち石畳みが見るも無残なまでに傷付き痛んでいる。ご覧のプレートは阿木燁子の手形である。 『港のヨーコヨコスカヨコハマ』の作詞者で知られる。この歌は字余りの詩と言えない作詞を夫で作曲の宇崎竜童がムリに曲にしたと聞いている。 お陰でヒットし、私でも知っている印象的な曲になっている。
 最近の美術展
日本の美術館・美術展は写真を撮ることは禁じられている。欧米でもそうだが、 マスターピースという著作権が切れている18世紀以前の絵画については禁止していない。ルーブル・メトロポリタンなどがそうだ。 無論パリ近代美術館のように現代美術を展示している場合は写真はダメである。昔デュシャンの『泉』を撮ったらNO!と注意された。 日本は現代美術は無論古典的名画も著作権はない国宝などもダメであるが、最近は写真を撮らせてくれる作品をオマケのように展示している。 作者(所有美術館)と相談の上だろうが、フラッシュノーで多少とも顧客サービスのつもりだろう。左はモネ『水連』
   20180527赤ちゃんマーク
車に子供が乗っていますというサインだという。初心者・モミジマークと同じ趣旨らしい。ご覧のように手作りである。 後続の車に注意を促すお願いと、法定速度を守っていますということらしい。運転したことのない私から見ると法定速度を遵守するのは当たり前と思うが、 流れに逆らわずスムーズに快適に走るには、一般道の60㎞/hを守ってばかりではいられないらしい。といってもケースバイケースでノロノロ運転せざるを得ない場合もある。 とにかく事故なく快適に走れることが一番だと思う。
 
 馬券売り場のサギ喚起
昔、親友のYから競馬に誘われ府中にいったのが最初で暫く続けた。会社に入って止めたが、この10年近くMさんと飲むようになって買っている。 年にMax24回(G1)日ノ出町に行く。帰りに昼飯を共に食う。口上師という職業が成り立っていたころ、新宿でよく聞いた。今は画面に注意書きが出る。 でも詐欺と違うと思うがどうだろうか。
諏訪神社の祭礼宵宮を茶店で20180526
神輿の渡御に合わせて駐車禁止の張り紙を路方に貼り、露店も並びお客様を迎える準備万端整い、天候に恵まれ最高の祭舞台。 あれもこれもチョット食べたい。童心に帰らずともそそられる。ガラス越しに匂いが漂ってくる。TVの料理番組など比較にならないほど臨場感に溢れる特等席に観ている。
   不法投棄禁止
掲示板にずっと掲載している不法投棄の注意。町内の掲示板は常に貼りだし、回覧板でも注意喚起しているが無くならない。 左は横浜・日ノ出町に貼りだしてあった。掲示板ではなく、駐車場の前や夜間人通りがなく捨てやすそうな場所の前に貼ってある。 横浜は大都市だから深刻な問題になっているのだろう。行政も頭が痛い問題として政党に関係なく対策を講じてはいると思う。 モラル・道徳・常識など言葉の壁を越えて隣組の機能を働かせないと解決は難しい。言うは易くで隣など気にしない、 いつだれが住んでいるか知りえない時代の弊害の一つだ。
 
帰りの橋元から、右手に富士山が見えるはずだった
三島スカイウォークを思い出した。
長400mの歩行者専用の釣り橋を1か月前に歩いた。私は高所恐怖症を自他ともに認めているが程度に差がある。躊躇したが京都のOさんに促され渡った。 Mさんは「とんでもない!」と拒絶したが奥さんは嬉々として一緒に歩いた。中ほどでOさんが「みんなで歩かんと怖い。でももう戻れないよ。」 と聞こえるように話しかけてきた。大声で話してないと怖いという。この時私は見えない富士山の方をみて必死に歩いていたが、 帰りがあることを考えていなかった。幅1.6mですれ違う人で帰りがあることを知った。馬鹿な話だが別ルートがあり戻れると勝手に思い込んでいた。 アメフトのM君は、今の状況までは想像すらできなかったのだろう。別ルートで戻れると思い込んだのかも知れないし、 思い込まされたのかもしれない。 監督・コーチの会見を聞いて、ふと思い出した。
    人工の街路樹
左は2月21日、右は5月18日と3か月後だ。毎年同じ繰り返しだが、剪定されて幹は太くなるが高く広くは成長しない。田浦の自然の欅は伸び放題でいずれ朽ちる。 街路樹は新緑になって春を感じさせるが、自然の欅ではなくケヤキである。30年前ロンドン・バッキンガム宮殿付近の街路樹が歩道をはるかに超えて傘のように 伸び放題の樹形を見たときに感動した。その当時から日本では剪定をしていたので彼我の違いを実感した。自然災害の要因の芽を積むのは分かるけどなぁ。 なんとなく不自然な樹木の緑である。銀座の柳かワカメみたいで好きじゃない。
 5月初旬のある日の午後
今年は異常に暑い。一方、昆虫の異変に見られるように、アシナガバチ・スズメバチが共に巣を放棄(?)するという現象も見られる。 そんな5月初旬の昼下がり、作業車で公園の修復とビジネスマンが背広姿で歩く。一般の人は藤棚の日陰でのんびり昼休み。真夏のような風景が広がる。 いつもは遊ぶ子供で賑わっている市役所前公園も閑散として皆ベンチを動かない。私と同じ風景を見ているか、昼寝している。
   雨上がりの午後
中央のバス停、横須賀の高層ビルが車道の水溜りに写り込んでいた。何気ない風景だが数時間たたずに消え去る。 待つ間に何度もバスが止まり歪む。スラの青が車道のアスファルトに交じり鈍い色味に変化する。歩道の進行的な青や水色より アンジュレーションも感じられ飽きない。いつまでも乾くまで眺めていたいが、20分は経たずに次のバスが来る。いつもは待つ時間がもったいないと思うが、 意味もなく眺めている路上の景色にも発見はある。
   ヤノベケンジの彫刻20180516
彼の作品を彫刻に入れていいのか判らない。でも他に区分けしようがないから、彫刻作品に分類する。 横須賀美術館開館の11年前に彼の作品は大いに貢献して賑わった。その後こういう作品が陳列されると思った方も多いと思うが、 そこに自他の齟齬が生じる。今は論じないが、この場所にはふさわしい。できればもそっと側にあればよい。動くのか知らないが、 360度回転して顔を見せられるようにしたら良い。もったいぶって鎖の中に入れないで抱きついてもOKなように造ればとも思うがどうだろう。 動くのが彼の作品の魅力でもある。(日比谷ステップ広場にて)
   東京宝塚劇場
このビル先端は何があるのだろう。展望台か。宝塚のシンボルタワーとしてのキャッチーな外観だ。 入口には開演30分前位から女性の集団が並んでいる。今日はミニ団体客が来ていた。老人のおのぼりさん状態のようだ。 私も最初に勉強で、TOHOシネマで大劇場の最終ライブ公演を観た。特別な退団公演で、4時間はきつかった。今回は、携帯等の注意以外に、 前屈にならない・帽子は無論頭を左右に動かさないという注意事項がある中で観劇したのでこれもキツイ。みんなポスターを撮っていたので私もパチリ。
   バラの音楽祭20180512(土)
「春のローズフェスタ2018」ヴェルニー公園
「ナー・プア・オ・ロケラニ」というグループのキッズ4人のフラダンスをやっていた。背景のバラの芝生広場と米海軍基地に青い空、 幸いにも天候に恵まれ多くの人で賑わっていた。予定表を見ると10時半から15時までで6組の地元の高校やクラブが出演している。 観客も多く、裏で終わったJK達が良かったねと話し合っていた。先生からも褒められたと喜び合って三々五々帰り支度をしていたが、 雨天中止にならないことが何よりだ。
   フロントガラスの教会
バス停で待つ間ウロウロしていたら、眼前の車のフロントガラスに後ろの教会が写り込んでいた。田浦教会である。 メソジスト派で幼稚園の頃からお世話になった。 小学校は市立だったが、よく10円貰って日曜学校に通っていた。今は年一回燭火礼拝の時だけ頭をたれる。 教会の前がキリスト教社会館という日本の草分け的な福祉事業の複合体組織だ。戦後進駐軍が駐留した時、旧軍事施設を、 教育・病院・福祉事業に貸与や払下げをした。 責任者はデッカー少将(着任時大佐))で、横須賀ではマッカーサーより有名だし功績を残したといわれる。今は米軍基地の映画館にその名前を残す。 デッカーシアターである。
   こいのぼり なう!
国立新美術館で5月28日までやっている。2F奥の展示場一杯(2000㎡、天井高8m)に、3人によるインスタレーションで、 色とりどりのこいのぼりが円形にぐるりと泳ぎ、下ではクッションシートに寝そべり見上げる。思い思いの想いを感じながら空間で時間を体感する。 私もその輪に入った。寝入りそうになる開放感がある。写真では明るいがずっとメイドが低く夕暮れの雰囲気を出している。 子供の日は過ぎたが、大人のための「なう!」な空間が世俗の雑音を忘れさせ、子供に帰れる。(5月2日撮影:無論撮影はOK))
 ヴェルニー公園のバラ園の門20180505
門の左側から伸びているツルバラはアイスバーグ、右はサマースノーという品種である。門扉の上で交錯するようにしているが、 時期が若干違うようだ。訪れたときは16時を少し過ぎていたので入れなかった。脇から入ることもできるが、しなかった。 この辺りが日本人の美徳や礼儀正しさといわれるのかもしれないが面はゆい。時には、いると思うし余程騒いでいないと係り員も注意しない。 門の奥に見えるのが吾妻島でもとは陸続きだった。今は米軍が占有しているが平和な静けさが夏の日差しの中で人々をバラ以上に癒している。
戦艦陸奥の大砲20180505
ヴェルニー公園(JR横須賀駅前)の移設された戦艦の主砲である。韮山反射炉に続くがここに、その結晶が集結された。 残念ながら活躍することはなかったが、技術の蓄積を確認するに如くはない。 手前の赤いバラはノックアウト(仏、2000年作出)でワサビが効いている。大きさは背景の人と比べると想像できると思うが。 砲身は4層構造でその威力に耐えられる構造になっているとのこと。この横にスチールハンマーの実物が現存展示されている。背景は米軍基地。
   渋谷のハチ公20180502
この写真を撮るのに時間がかかった。丁度15時半ころだが、外国人観光客と思われる複数の団体が取り巻いて次から次へと 入れ替わりで撮るのでひとの居ない写真を撮れない。 ようやく右手の女性が少し遅れたのでシャッターを切った。入ったとしても問題はなかろうと思いつつポリシーとして決めたので頑張った。 まぁ二度目はないから我慢したが、昔は海外で時間に追われ人物とか関係なくとっていたと思う。今の時代はネットで拡散するし、 どこでだれが見てるか判らない。それに見ず知らずの女性(男かも)を撮りたいなんて思ってもいないから始末がつかない。
   新美術館の竹林20180502
この左が図書館になる。新美術館の3F奥にある。といっても人はいない。だから私にとって特別の休憩所だ。 そこから撮りたいが基本NOなので退出して撮った。開館した11年前は青々とした太い竹が覆いつくしていた。毎年少しずつ枯れて今は20本位しかない。 それも細くて元気がない。美術館のほうは1時間待ちの企画展で賑わっているが、団体展はそれほどでもなかった。
 どぶ板通りのプレート
何度か紹介しているどぶ板通りの汐入側の入り口に埋め込まれている。この通りには道路に歌手の手形プレートが結構な数ある。 最初華々しくオープンしたが、その後の新規プレートが続かない。道路は歩道でもあり、工事のたびにアスファルトやらでツギハギになり、 関心が移り立ち止まって見る人も少ない。マンホールカードで起爆剤効果を狙っている今こそ整備するチャンスではないだろうか。
 平坂上と磯子フラット
写真は横須賀中央の平坂だ。上りきったところに平坂上というバス停がある。写真の車(タクシー)の提灯部分に平坂の由緒が書かれている。 「ヒラ」には、平地の意味もありますが、同時に傾斜地をも意味します。「サカ」と重ねて使うことにより、大変きつい坂であることを強調したものと考えられます。
今日病院に行くので往復この坂道をバス利用した。 5年前に磯子の脳血管医療センターに行ったとき。次のバス停が”磯子フラット”だった。 坂道の途中なので椅子も傾いている。 ここも急な坂道で名前の由来を市営バスに聞いておきたかった。もう歩行シルエットを可視化することもないので行く機会がない。 こんなネーミングは他にもあるかな。
  TOYOTA  GAZOO Racing 20180426
車の運転ができないのに、カッコイイと思ったので撮った。ニュルンブルクリンク24時間レースに挑戦している車らしい。 日本人はさほど見ないが、 外国の方らしい人が結構のぞき込んでいる。このレースがそれほど日本ではニュースになっていないのか、 私は知らないだけなのかは判らないが車高が低いことは両脇の普通車と比較すれば一目瞭然だ。

↑上はどぶ板、下は田浦↓
 駐車場の番号
マンションの部屋番号は下一桁が”4”と”9”は無いという。同じように駐車場も4と9がない所がある。下は3の次が5で、 写真はないが、8の次は10だ。上は4・9共にある。どぶ板は米軍関係車両が停めることが多いからなのか、経営者が縁起を気にしないのか、 よくわからないが、米国では”13”が忌み嫌われるのと同じかもしれない。
  横須賀の自由の女神
My美術館の写真で紹介した小澤俊樹さんの作品とは比較するのも失礼だが、日本国中に結構ある。 ホテル・パチンコ屋などが良い例で権利関係はどうなっているのだろう。丁度ベースの正門を出た左正面のホテルの屋上に鎮座している。 言われるとそうかと思うが気にする人はいない。米国人には特別な思いがあるのかもしれない。NYに行ったときに、 この像をみると自由の国、アメリカンドリームの国にきたという夢の実現に一歩近づいたと思う気持ちを持つときいた。 そのくらいシンボルとしては知れ渡っていたことになる。鎖国をしていた日本ではそれにあたるものはおもいつかない。少し考えておこう。
話はずれるが、国内・国外を問わずに旅行した時、戻ったなぁと思うのは、横須賀線は東逗子からトンネルを抜けて、 黒いトタン屋根を見た時でほっとする。京急は斎藤運送を曲がったあたりで急にやっと着いたと気が抜ける。私の女神さまに近い。
北緯35°17'00.2"、東経139°40'28.5"の足跡
横須賀市のマンホールカードの写真のマンホールに立つ。横須賀ポートマーケット前である。5m横に”おすい”の古いマンホールがある。 調べると以前はオオシマザクラがデザインされていた。それ以外にも、はまゆう、迷路の凹凸反転、サクラの吹雪版、竜門模様、正方形模様、 斜め縞模様があり、かつ、あめ、おすい、合流と3種あり、昔は、雑排、汚、雨水の銘が入りそれと判るものと、 まったく無銘の何のマンホールか素人には判別できないものもある。基本的に人が出入りできるサイズがマンホールで、 それ以外は遠隔操作や器具により、つまりや故障を直すハンドホールと呼ぶようだ。また中央の印と方向のみで、 歩道の色に合わせ景観に配慮したものもある。 カードを足掛かりに”ホールガール”が出現する可能性を感じる。
京急のマイクロバス。20180420
逗子駅から佐島にいくのに、湘南佐島なぎさの丘までの急行のマイクロバスでいった。普通のバス(左)は通常30人で混んでいる感じだが、 右手のシャトルバスは15人で一杯な気がする。逗子から3人でそのまま終点まで行った。平日は8時と19時台に2本の他は1時間に1本もない。 写真はなぎさの丘の終着・始発の駅風景だが、のどかな春の日差しがまぶしい。このあと天神島まであるいて25分、 自然観察公園など歩かないと見過ごす風景を撮った。むろん草木も。
   韮山の反射炉20180416
明治以前の先人の苦労の結晶を感じた瞬間である。 ヴェルニー公園のスティールハンマーの話はするが、大砲に関しては聞くのみで実感を伴わなかった。 実際に往時をそのまま残す反射炉に触れてみるとその温度差が石と煉瓦以上の差になって返ってきた。 「建物が意外と低いでしょう。」とガイドは話したが、とんでもなく高い。その努力を現代人は受け継いでいるだろうか。
   JR田浦駅20160414
土曜日の2時くらいの改札口。窓口が閉まっている。人口の減少が云われて久しいが、遂にというかやっぱりというか、小学校も統合される噂がある。 そのうちに常時無人駅になるのだろうか。私の感じ方で利用客は往時の2割くらいではないだろうか。当然、JRはデータをもとに対応していると思う。 新幹線や遠距離、特別列車など事前購入は隣の横須賀駅までいかないと利用できない。人口が少ないということの不便さが身近に迫ってきている。
タケノコの皮と梅干し
イオンでタケノコを売っていた。結構な値段だ。この皮に梅干しを▽に包み込んでチュウチュウ吸っていた。3時のおやつだった。 今では流行らないし、皮を数枚捨てていく方のための袋まである。試しに懐かしさでやってみても美味くはない。昔を懐かしむだけでなんの違和感もないが、 それだけだ。皮が赤くなるまで吸っていた。モノのない時代を思い返して浸っているだけであった。
 海釣り公園からの猿島20180407
多くの釣りを楽しんでいる海釣り公園。眼前に猿島が見える。東京湾内の唯一の自然島で無人である。18年前に初めて土を踏んだ。 戦前の軍事施設の跡が残る歴史遺産で、隅々まで見学すると結構時間がかかるが、往復の船の時間を気にしながら巡った。 夏ヒンヤリするトンネル跡や砲台跡を見ながら戦争とは何か。敗戦が日本に何をもたらしたか。戦後生まれで父に聞く戦争話を思い出しながら、 平和を実感した。今日も又、休日にカップル・親子連れの釣り客が賑わう公園で、20年前と違う時代を感じながら平和を願う。
 BMXの自転車20180407
この自転車にはブレーキがない。止めるときのスタンドもない。座ることもないので、サドルも必要ないらしいが、ルールでつけるとのこと。 競技で走るため不必要なパーツはいらない。だから原則一般道は走れない。ブレーキがないのが致命的だ。車の後ろ座席に積んで練習に来ているようだ。 この強風で倒れている中央駅前のママチャリとはわけが違う。
 BMXコース整備20180407
初めてBMXコースをみた。その急降下するスタート地点から撮った。自転車でこのコースを走るのは競技でなくても難儀しそう。 こぶになる道を飛び越えて180度のカーブを曲がる。ケガがつきものという話が実感できる。映像で見るとハラハラしないが、現場は違う。 丁度コースを修復中で走ってはいなかったが。右奥に見える人たちが指示に基づき汗を流していた。強風で砂埃が舞い、水を掛けながら必死に固めている。 自分たちのコースは自分たちで造り維持するということだろう。
 我が家の花見20180404
日記にも書いたが、これほど見事に咲き誇ったのは初めてである。18年目の春になる。気候が記録的な影響ももあるだろう。 画面をクリックすると大画面になる。自慢もあるし是非堪能していただきたい。エア花見が流行っているということなので、 利用して頂いても構わない。一人で悦に入っているのはもったいない。
 我が家の花見20180401
毎年ゴテンバザクラが見事な花を咲かせる。こんな早いのは植えてから18年記録だと思う。 昨年周辺に広がりすぎて結構剪定したので、こじんまりしてしまった。あと数年すると屋根を超えると思うのでその時もやらないとダメかな。
   JRAの顔空き看板20180401
写真を撮りたい女性ファンを増やしたい。連れている子供を喜ばせたいという思惑があって入口に置いている。 いつもこの裏で男が腰おろして休んでいる。私も相方もも興味はない。今までは無視していたが、HP始めたのでネタの一つで撮った。 お陰で一つ材料ができた。
   錯視の第二弾20180331
40年前に買った。カードや通帳・定期など酔っても朝忘れないように持っていく重要な書類とともに入れていた。 随分重宝した。見ると「この酔っぱらい野郎!」と笑っている顔に見える。中身はないが今も鎮座している。
   ドル街横須賀20180330
横須賀市はドルで買い物ができるということをキャッチーに使っている。むろん一部地域、米海軍の周辺・特にどぶ板通りを 中心にした米軍関係者が行きそうな場所・店に限定される。1ドル100円の換算にしている。その日の相場と連動させたら計算が大変だし、 毎日値段が変わる。私がよくいくカレー屋は人気が高く、8辛などと注文するものまでいる。どうなっているのか彼らの舌の感覚は。 半端なドルがあれば使用すると便利だ。むろんマネーチェンジャーも2・3店はある。
   按針祭の万国旗20180329
三浦半島の按針塚は、三浦按針ことウイリアム・アダムスが生涯を暮らした場所である。ガリバー旅行記のモデルにもなったといわれている。 この写真は逸見町の鹿島神社の脇に張られていた。夜18時半頃だ。人通りもなく、せっかくなので神社に寄った。 祭神は武甕槌神(たけみかずちのかみ)で勝負事の神様として知られる。競馬をやるので、友人とお参りに来たことがある。来週4月5日は春祭りがある。
   アート?いたずら書き?20180329
錨マークと怒り顔、Yescaとくれば米兵しか思い浮かばないが、よくできている。この顔が何とも言えず良い。 恐らくどぶ板通りの横で見通しがきく場所だから、瞬間的にスプレーで描いたと思うが見事だ。顔が何とも言えぬ味がある。 ゴリラといえばそうかもしれないし、苦虫をかみつぶした上司にも見える。とにかく鬱憤を晴らすかのような落書きだが、 店が閉店していつまでもシャッターが上がらないので、常設展の感がある。道行く人も見慣れて振り返らない。時々観光客が見るくらいか。 でも東京には結構この手の落書きが多いから、目を引かないかもしれない。日本なら東京の大手町・銀座・渋谷あたりで描かないと注目されないのではないか。
  TATTOOと刺青(入れ墨)20180328
米軍基地の周辺には”TATTOO"の看板が所狭しとある。周辺の住人はどのくらいの割合で入れているのだろうか。 東京・ 銀座で見かける海外のひととは明らかに違う。慣れない人は異様に思うかもしれない。日本古来の刺青とどう違うのか。 一応調べると、基本的には同じだが、刺青は和彫りで墨・朱・酸化鉄などで深く刺し多少皮膚が盛り上がるが、 TATTOOは洋彫りでインクを浅く刺しペイントの感覚だとある。刺青は、銭湯で育った団塊世代の私には珍しくもなく、怖いイメージもない。 何故入れるのなんて馬鹿なことを聞いてないが、全身だと何年もかかり血が出て瘡蓋になり、痒みも伴う。 それに耐えて男をつくるみたいなことを言っていた。 TATTOOはペイント感覚なので若い女性などは手軽に入れるのだろう。ともに入れたら消すことは難しいという。
  ハトも春を温もっている20180328
ヴェルニー公園の植え込みの芝生で日向ぼっこをしている。学校が休みで子供が多いにも関わらず追い回したりする子供がいない。 時々見かけるが幼児だ。園児や小学生は何故かしない。ハトもスズメも暢気なもので逃げないし、寄ってくる。 平和のシンボルと云われるハトだが、今もそういわれているのだろうか。ひょっとしてシンボルが定着してしまったので、 親が子供に「ダメですよ!」と言っているうちに犬猫と同等の身分を与えられたのではなかろうか。悪いことじゃないけど、 何か痛みが判らないまま大人になるのはどうなのだろうか。大人がやるのは大人げないし滑稽だが、小学生くらいまでは、 まだ昆虫・鳥への痛みを分かってほしいとは思いたくない。考え方がおかしいのかな。自分でも風潮が理解しかねる。
我が家の開花宣言20180327
今日いつも見ている枝先の花が開花した2・3日前にも咲いていたが、この枝が絵的に一番なので決めている。 でも1・2分咲きのようで、いつもは4月になって咲くゴテンバザクラである。左がクロガネモチの樹でその下にウラギンシジミを埋めた。 標本にするつもりはないので、かといってゴミにするのは忍びなく、墓参りの帰りに、たかがチョウだが、 昨年11月以来5か月の付き合いで見守ってきた。どうすれば、自宅で越冬できるか今年の課題になる。博物館の先生に相談することにした。
解体と構築20180326
SCRAP & BUILDは子供のころから耳にしていた言葉だ。青い怪獣がビルを壊している。 今まで隠れていた山の景色が見える反面、以前から少なくなっていた人々が、やはりそうなんだと思い知る解体ではある。 尾っぽを持った怪獣に見える瞬間を撮ったが新しく生まれ変わり雇用という卵が産まれてくれれば嬉しい。このまま更地では寂しいし、 発展に繋がらない。子供のころがどうだったか覚えていないが、無かったビルだ。いつできて寿命を終えたのか定かじゃないし、 ビルの死とは何か。誰も答えられない、耐震工事が万全だといっても当てにならない。阪神淡路大震災で意識が変わったというが、 個々に調べれば抜け穴もあろうし、不心得者もいると思う。少し前の中国や台湾・韓国を笑えないくらい日本でも考えられない事故が起きている。 天災ではなく人災と云われる事故がニュースに流れている。解体業者からみると手抜き工事は一目瞭然だろうが、 うまく切り抜けたと建築したゼネコンは胸をなで下ろしていると思う。いや、指示した責任者が年金を受け取りながら、 晩節を汚さなくて良かったと喜びながらか多少は心に痛みを感じながら今夜も晩酌をやっていることだろう。
  夏島貝塚の立札と説明文20180325
縄文時代の貝塚で知られた夏島だが、フェンスで覆われ、立札もご覧のように中にある。説明文は一応外に出ているが、 訪れる人とてなさそうである。車道脇で昼寝している車が10数台あるだけで寂しい限りだ。昔、貝塚発掘で来たのは中学の時だった。 それから半世紀、フェンスで入れない状態は変えてほしいと思ったが、どこを発掘したのかさえ覚えていない。せめて 、横須賀市の小・中学校は社会の時間で9,500年前に縄文人の足跡があったことを教える義務があると考える。とりあえず自由に出入りを。
憲法起草記念碑20180325
明治憲法を伊藤博文らが起草した記念碑が夏島の脇にひっそりと建てられている。40数年前に200mほど海岸寄りに移動したらしい。 日産自動車と話し合って移動したと刻まれている。憲法改正が議論されて久しいが、9条以外の内容・文章など現在と齟齬ができていると 思うのは私だけだろうか。時代にあった憲法に変えるのは悪いことじゃない。憲法は絶対ではない。大人の議論をやってほしい。
さくらの開花20180324
国立新美術館前のソメイヨシノが8分咲き(?判断基準を持たないので)くらいかな。 普段は、政策研究大学院構内なので入れないことが 多い。 さくらを前景に見る美術館も良い。真正面からは今だけの景色で、結構人が出ていた。美術館にきている人が立ち寄るだけだ。 中で飲み物や食べ物があるわけじゃないし(大学だから食堂や販売機はあるが建物に入れない。)見るだけなら反対の 美術館側からのほうが風情があると思う。
お彼岸の雪20180321
朝から雨が降り続いて予報では終日雨マーク。ところが、10時くらいから雪に変わり、ボタン雪だ。庭や草木には積もっていくが、 明日は晴れだし、雪掻きの心配はなさそうだ。案の定午後1時過ぎには霙に変わり、溶けてきた。それにしてもだ。 季節外れもずいぶん久しぶりな気がする。暑さ寒さも彼岸までという、明日から春の陽ざしが欲しい。18日から南郷公園のさくら祭りも始まっているが、 週末にはお花見はできるだろう。今日は、アイクルフェアに自転車を買いに行きたかったが、帰りに乗らなきゃいけないので、中止にした。 年に2回のフェアも散々で気の毒だが、自然現象には中々勝てない。昔会社のイベントで雨が降ると1割はお客様が減る。 上司から雨日かどうかは確認してあるんだろうなと注意されていた。10月10日のように晴日があると信じていたようだ。40年前の話である。
汐留(汐入)交差点に咲く水仙20180320
梅の季節と合わせるように咲く水仙。田浦梅の里は終わったが、国道16号線の分離帯に密かに咲いている。 風で種が飛んでくるわけもないと思うが、どうしてここに植わっているのだろう。日当たりはいいが、騒音と排気ガスは一番多い場所だ。 上り線のバス亭から、写画に車が巧く入ってくれるのを祈って、辛抱強く何枚も撮った。カメラと腕の問題は如何ともしがたく、 我ながら写真としても良かろうと思っている。もっとも、プロ目線なら写真の切り取りをしているので失格には違いない。
 元気ハツラツフェスタ20180317
京急横須賀中央駅前のYデッキ付近で土曜日に開催されていた。屋台も祭りほどには並んでいない。駅前だけの地味な感じもした。 リドリー前でもイベントが開催されていたようだが、見ていない。駅前の居酒屋で聞くと、震災支援で売り上げの中から支援金を出す趣旨で、 結構続いているという。もう7年になるから、気づかないだけで、継続しているようだ。風化させない取り組みで賛成だが、 私も被災した阪神淡路大震災は、多分横須賀では風化したといってもいいだろう。もう四半世紀になる。 地元に帰るきっかけになった災害だけに忘れることはないし、光景は鮮明に記憶している。また、ボランティアのトイレ掃除は、 40代だから可能で、今ならとても役に立ちそうにない。時間の流れの中では気づかないが、時折振り返る出来事があると思い出し、 「あの時は若かった。」と想う。

横須賀市の自殺対策防止の街頭キャンペーン20180314
追浜駅前で自殺対策強化月間の街頭キャンペーンが終わり、参加者・スタッフでスナップ写真。総勢は30人位か。 午前中は久里浜駅前でキャンペーンをしている
左記の写真と以下のコメントは、横須賀市会議員藤野英明さんのツィッターから転載しました。左下は、相談事の連絡先です。 拡大して確認ください。
「配布物を受け取って下さったみなさま、市民ボランティアのみなさま、 学生ボランティアのみなさま、 本日はありがとうございました心から御礼申し上げます。今夜21:30からTVKで放送される予定です。ぜひご覧ください!」、 「いま自宅に戻り『ニュース930』観ました! いつもなら県知事を筆頭に神奈川県の街頭キャンペーンが放送されるところを 横須賀市の取り組みを報じていただきました。菊池支局長、ありがとうございました!」以上だが、久里浜にも午前中行かれて キャンペーンの先頭に立ったようだ。神奈川TVさんありがとうございます。
私は昨秋に続いて2回目だが藤野さんの街頭での声掛けがあると、道行く人が耳を傾け、配布物を受け取ってもらいやすい。 訴求力と声が出ているおかげで、手渡しがスムーズにいく気がする。街ゆく人は受け取るのも嫌がる人が多い。 それでも一人に声が届き、きっかけになればという思いで、キャンペーンをやっている。
横須賀の湯豆腐20180312
京急の横須賀中央駅周辺の居酒屋は、5月の連休くらいまでは、湯豆腐がメニューにある。中には夏にある店も。 この湯豆腐は、昆布出汁で温めた豆腐が、丸ごと一丁出る。上の面全体に練りガラシが塗られているのが特徴(上の写真)。 「カラシ、多めに!」という客もいる。それに刻みネギと削り節が盛られている。下が商品である。そして醤油をサッとかけて召し上がる。 カラシが苦手な人は最初ビックリする。確認しようもないし、横須賀独特と思ってカラシを落としながら試食するほかないですね。 でも美味しいですよ。昼は海軍カレーで夜は湯豆腐。これが、横須賀流です。
 心地よく響く唄声でピアノ弾語り20180311
よこすかアーティストドットコム主催のライブで古賀久士の透き通るような歌声を聴いた。最後のTime To Say Goodbyeの1曲だけだが。 サラ・ブライトマンとアンドレア・ボッチェリの曲はYouTubeで何度か聴いたが、眼前のライブで裏声を使い(?)、 素晴らしいピアノ演奏と共に酔いしれた。場所はショッパーズプラザ2Fのホールで無料だ。心地よい気持ちで日曜日の定番の居酒屋に寄った。 彼の演奏スケジュールはHPで確認してほしい。ライブで素晴らしい演奏と歌声に感動してください。
 正岡子規の句碑
JR横須賀駅前のヴェルニー公園はバラで有名だが、正岡子規が横須賀港の帆柱の印象を冬の木立のようだと詠んだ句碑がある。 明治21(1888)年8月に夏季休暇で友人と汽船で浦賀に着き、横須賀・鎌倉に遊んだ時である。当時は横横は無論、国道16号・国鉄(現JR)も開通はしていない。 広重のように山伝いに来るほどの脚力・時間のゆとりがなかったのだろう。この句碑の左右は旧海軍関連の石碑で、 句に詠まれた帆がどんな船を指すかは定かではない。少し誤解を与え兼ねないと思っている。今日はめちゃ寒さがこたえた。
 サヨナラ電話ボックス
サヨナラ‼ティッシュペーパーの自動販売機ということで話したい。駅のトイレの入り口には普通にティッシュの自動販売機があった。 特に乗降客の多い駅には必ずあったと思う。今はウオッシュレットになり、いざとなってもそのままパンツを上げてもいいくらいである。 同じように携帯・スマホの普及で急速に消えつつあるのが電話ボックスだ。横須賀でも使用禁止にして撤去の順番を待つボックスが目立つ。 テレカの蒐集も急速に衰退した。紙屑の会でも同様で、時代の流れには逆らえない。エフェメラでしか捉えられない文化もあると思うのだが。 ということでピンクチラシの収集家も激減した。
 自動販売機のトラブル
横浜のT百貨店の美術画廊前のトイレ入口の休憩所でコーヒー自動販売機で起きた事件だ。終わって取り出そうとしたら、 コーヒーのカップに別のカップが覆いかぶさってきた。隣が従業員の出入り口で偶々来た従業員に話したら、メーカーに電話して、 電話口に出て欲しいという。事情は話したが、来るまでなんて待てないと思っていたら、従業員が返金を持ってきて落着した。 火傷こそしなかったが、熱かったことをねじ込みたかったが止めた。その後すぐ休止中の張り紙をした。その顛末を話にすることと、 写真に撮ることの方が「おいしい」と思い、このようにHPに掲載した。「犬も歩けば棒にあたる。」の棒がポテンヒットくらいになれば 逆に面白いかなと考える今日この頃である。
   カロリー計算
胆石で入院した。2017年1月だが、それ以来脂質の量に拘りを持つようになった。この写真のように病院の食堂は細かく表示されている。 昔は値段、今は成分に移っている。大トロはいらない。赤身で十分というのは20代からで、中トロもそれほど好きではなかった。 周りやお客さまの手前があって頼んでいたのかなと思う。別に不味いとは思ってもいないし、今でもそうだ。でもその値段ほどは好きじゃないし、 他にも美味しいモノは一杯ある。小鉢で少しずつ食べる方が充実した食生活(外食)になると思っているので、 これをどうぞとか言って出されるものは美味しくても嬉しくない。心遣いだけをもらっている。
富士山(野島公園・展望台から)
金沢八景・野島公園から見る富士山。冬の空気がきれいな澄み切った時しかきれいに撮れない。それなりのカメラであれば望遠をつけて背景と 溶け合うことなく輪郭がくっきりと映る。 私のカメラでは画素が多くてもこの位が限度だ。それでもこの時期は晴れ渡っていれば肉眼で楽しむことができる。 鎌倉・葉山・江の島の相模湾からは見えるが東京湾側からは見えないと思っている人がいる。走水や馬堀海岸から見えると感心している人に会った。 それでも、冬の気象条件の適合した時しか見られない。普段は晴れていても空気がよどんだりして真夏に見たことはない。 多分高台の住民の方々は見た経験はあるだろうが。昔はかなりの確率で見えたらしい。ユーミンの歌では根岸のドルフィンから晴れた午後には遠く 三浦岬も見えたという。40年以上前には景色も遥か彼方まで見通せたかもしれない。
手近な錯視
一度顔に見えると、離れない。ひっくり返しても顔になる。この種の心理テストは結構好きで、回るバレリーナが右回りか左回りかなど、 どうしても反対方向にみえない。錯視画は結構短時間で見えるのだが、知り合いは何度挑戦しても単なる模様にしか見えないといっていた。 裸婦が隠れているといっても頭がおかしくなるといって放棄していた。
常に募集中、がんばろうッ!
今は、がんばろう東北ではない。常に時々の災害地の復興支援を前面に出して募集している。この100m先に場外馬券売り場がある。 どのくらい効果があるのか。気づいた時から、もう7-8年はある。多分ずっと前からかもしれない。今は職人が不足して、建築現場は困っているらしい。 大手それも東京オリンピックが最優先案件なので、横須賀あたりもそろそろ、人件費が上がりそうだという。鋼材は値上がりしている。 受ける会社も値上げ要求しているが、利益はあまり変わらないらしい。仕組みがよくわからないが忙しいのに賃金が上がらないのはブラックじゃないのか。 頑張っただけ賃金を上げてやるのが、資本主義だと思うがどうだろう。
 店を向いた暖簾
この暖簾は誰に向けているのだろうと考える。入って聞けばよいのだが、気が弱いので聞けない。単純なミスではなく常にそうだ。 店の客に見せてもしょうがないし、逆さ馬のような縁起ものなのかもしれないといつも思いながら通り過ぎる。混雑していなければ入りたい。
 旧海軍の水道道路の標識
田浦4・5丁目の境の突き当りに水道トンネルがある。 今は通行できないが、昔逗子・沼間に抜ける近道として通行を認めていた。戦後ダメになっても、子供たちは柵を乗り越えて沼間まで遊びに行った。 いまは完全に扉で覆われ中を窺うことすらできない。その水道道路の標識の名残が4丁目市道沿いにある。「海」(海軍の意)の字に「波MMマーク」がそれである。 この標識は埋もれていたが後ろ側がJRの鉄道管理で手前を駐車場にしようとして深く掘り下げたところ、ふつうは目にできない全体像が出てきたというわけである。 現在はH鋼にセメント板を差し込み見えなくして、時間貸しの駐車場になっている。国道16号にぶつかるガード手前に隠れている。 これ以外にも清福寺までの道の両側には気づかれないように顔を出しているから発見してみてほしい。なお、田浦貯水池は最近まであったが、 どうなっているのだろう。急こう配の階段で怖くて登り切れない。
 おでん七福神
横須賀中央の居酒屋のおでんは安くて旨い。常に具は同じで7品、そこで吞みながら名前を付けた。七福神にちなんで、 理由をつけてというか、理屈をこねて付けた。恵比寿・大黒天・寿老人・毘沙門天・布袋尊・福禄寿・弁財天であるが、 箸袋でこの名前を蒐集されている方がいる。探せばあるものである。おでん七福神は酒の肴に一回はなるが、次に飲んだ時には忘れてしまう。 そんな深く考えていないし、屁理屈に近いからしょうがない。でも玉子は弁財天で決まりのようだ。
ダイヤモンドクロス
これは鉄道ファンならご存知の方が多いとおもうが、直角に鉄道が交差している線路である。JR田浦駅からの貨物の引き込み線と それを横切る形で走る港湾貨物専用の鉄道が交差しているのである。2か所あったが、今は確認できるのは、国道16号線(昔の国道で、 裏道と地元では云う)に沿っている。このあたりは、「ふじけん」といい子供の頃、60年前は格好の遊び場だった。 特に野球をするのにちょうど良かった。倉庫群の間の広いスペースで遊んだ。観光目的で残しているのではなく、 掘り出すのに費用がかなり掛かるのでそのままにして砂で埋まるままにしているというのが本当のところだろう。 自転車では軌道に入ると滑りあぶないが地元でもほとんど通らない。この先のトンネルが恐ろしいからだ。(幽霊がでるという?)
3世代のトンネル
JR田浦駅はトンネルとトンネルに挟まれた駅(先頭車両と2両目のドア2つがトンネルの中で開かない)ということと、 明治・大正・昭和の3つのトンネルが並んでいるので有名である。右から大正(上り線)・明治(下り線)・昭和 (戦時中の物資専用線で上記の横切っている線路に続く)が並んでいる。明治トンネルは改築され往時のレンガ造りの面影はない。 反対側は明治と大正のレンガ積みトンネルが残っているので、ぜひ訪れて確認してほしい。
 青山義雄展(横須賀美術館)
晩年はバラ園を描いた青山にちなんで、バラに関するコーディネートをして来館された方に記念の絵ハガキを進呈すると案内されていたので、 企画したKさんに敬意を表して考えた。服装でバラをあしらった絵柄は皆無であり、100均で買った一輪のバラを少し細工して内ポケットに忍ばせ、 受付で胸にさし、絵ハガキをゲットして、バラは受付の女性に差し上げたというより置いて鑑賞した。冬枯れで広場の緑はマバラだが浦賀水道を背景に 眺める景観は素晴らしい。青山も《浦賀水道》という作品を数点残していて展観できる。
 顔空き看板
これはどぶ板通りの横須賀海軍カレーやホットドッグの店である。以前はラーメン屋で時々チャーハンを食べた。 経営者が変わりメニューが変わり、観光客・米軍関係の人を対象にしているようでもあり、食品模型を見ると量が多い。 昔なら入ったかもしれないが、カロリーオーバーを気にしているので眺めて看板の写真を撮るだけだ。キャッチコピーは日米合作の” すべるかもしれない”話にでてきそうな50年前のギャグだ。その当時は受けた気もするが最近の女子にはどうだろう。 中に入りづらく写真を撮っている観光客はあまりみかけない。
節分の鬼
2月3日は節分の豆まきが文化として定着していた時代があり、 各家庭で「鬼は外!、福は内!」 と家中大豆の豆だらけにして、年齢の数だけ豆を食べ無病息災を祈った。散らかった豆の後片付けも大変で、 いつしか行事としては消滅したようで、 時折近所の飲み屋でやるくらいである。頼むと自治会の青年部や消防団の若いのが鬼に扮してやってくる。 無論依頼にもとづきご祝儀も弾む。主に小さい子供がいる家庭が店に連れてきてやるようだ。 ご覧の赤鬼・青鬼が居酒屋にやってきたときに居合わせて撮ったものだ。 風習というより鬼の装束が自治会に保管されて伝統が細々と 引き継がれているのだろう。
 
夜、自分が歩いた足跡   朝、屋根が銀世界
4年ぶりの大雪    1月29日教室からの帰り、中央で食事して5時頃に内川橋行きに乗車した。 運転手の、横横が閉鎖で 16号線が混雑し1時間くらいはかかりそうだとアナウンスがあった。とたんに4-5人の客が汐留で降り、 電車に乗り換えたようだ。私はまな板の鯉なので乗ったまま池ノ谷戸でおりた。 かなり積もっていたが新雪で歩くのは不自由しなかった。 すぐ風呂に入っていたら電気が瞬断。夜8時前後に4-5回停電があった。 1分かからずに復帰するが、蛍光灯はすぐ点く、冷蔵庫もOK。 でもPCは具合がよくない。3台のうち、1台は動きがおかしくなった。 仕方ないので、9時にはベットに潜った。

旨いお節、刺身と獺祭、元々ないのは、懐の金と、左手に女
正月のお節の効用
ときには華やかな写真を掲載。(蒲郡の志賀のおせち)
毎年正月はお節を取り寄せている。年一回の贅沢。というより作るとなるとできない.。母が亡くなってからはこのスタイルが定着した。 弟が美味い酒を持ってくる。これで6-7人前ある。お品書きをみながら講釈をたれて、ワイワイガヤガヤ楽しく話せば、 酒もすすむし会話もさらに盛り上げる。私と弟一家がテーブルについて給仕など 不必要な状況をつくるのが正月であろう。プロのお節はなるほど美味い。 
どぶ板のハンバーガー
横須賀・汐入から徒歩1分の”どぶ板通り”にある有名店。 店の前には(あの)ボブ・サップが看板になっている。 3・11の時には名前が「TUNAMI]なので心配したが関係なく、 土日は行列ができている。若い人ばかりのようだけど、怖いもの見たさでチャレンジしているんだろうか。 俺も若けりゃ入ったかもしれない?両手で押さえつけても口に入るまでにプレスできっこないし、 分離したら面白くもなんともないので不思議。たまに通りかかるので覗いてみたが冷やかしで入るのは気が引ける。 TVレポーターの度胸とカメラクルーとマイクと腕章がほしい。ほんとに食べる人がいるらしい。ちなみに、 左上の商品名「第七艦隊バーガー」¥5,200円である。
建物脇の配電板
横須賀に限らないが、古いビルや家屋を取り壊すと左右や後ろの建物の粗が晒される。 建築基準の甘かった時代の建物は尚更で、建物との隙間が一人がやっと通れるような場合が少なくない この建物も隣が更地になったところ、電源の配線板がむき出しになり、寄りかかっていた状態が歴然として、 ごらんのようにぶらぶらの状態になっている。見た目良くするには金がかかるし、 いずれ遠くないうちに立て直しを考えていたら手を入れずにほったらかしにしておくのが賢明かもしれない。 2か月後隣の空き地は駐車場になっていた。一等地でもあるし、2階じゃもったいないから、新築になるだろう。 「いつやるか。今でしょ!」なんて家族会議してるかも。でもいろんな事情があるから一概にはいえない。
「見学無料」のソープランド
今は撤去されて無い。日ノ出町の場外馬券売り場に行くときによく利用する駐車場の隣にある。 無論「見学無料」なんてありえないし、 見物客がいるにも関わらず利用する客などいないと思うが、 近隣はストリップで有名な場所柄である。もしやして見られないと燃えない?なんて馬鹿なことはない。 これから働こうという女性へのセーフティネットと考えるべきだろう。看板をみつけ気づいてからいつのまにか撤去されていた。 女性従業員に指摘されたか。本当に信じた見物客が現れたかは定かじゃない。確認するほどに肝が据わってないし、 その後の展開が読めない。競馬仲間が発見したのだが、ひとしきり話題になって終わった。店は今もやっている。
ミスを放置したまま
ホームズのマックの出入りできないドアに貼ってある。最初に利用してから7・8年は経つと思う. 一番端の目立たない場所にあり気づく人も少ないと思うが、利用する度に修正していないことが気になっている。 実害などサラサラないが、マックの売り上げが落ちたとかニュースになると考える。簡単に修正できないほどに 金が掛かるのかもしれない。結構大きいし紙ではなさそうだから。そして本部からの指示ではなく店として 独自に判断した張り紙なのであろう。ホームズの外からも入れるようにしたら良かろうとも考えるが、 それではテナントは具合悪い。とにかくホームズ本体に入ってもらって何か買う気を起こしてくれればよし。 チャンスは残しておきたい。まぁ、素通りは無しよというところか。
左馬の店
「馬」の字が鏡文字になっている。どうも意味があるらしい。箸袋蒐集家としては入るしかない. レトロなつくりのホテルレストランで混雑時を避けての入店で人気がない。店員もすぐに出てこない。 適当にソファータイプの椅子に座って、しばらく黙っていたら「いらっしゃいませ」と水とおしぼりを持ってきた、 箸袋がついてそうな和風朝食を注文して待っていたら、むき出しの箸が箸置きに乗せられて出てきた。昔はあったらしいが、 現代は箸袋など経費節減のあおりでイに一番に廃止されたのだろう。どの店も同じだ。収集家受難の時代といいたいところだが、 「ジャパニーズチップ」(TOPページで紹介)という「日本的な心づけ」もある。 もう少し人が集まる工夫が足りないのではないかと憂うる気持ちで店を出て、 シャッター商店街どころか、住宅に変貌したわが町並みを横目に見ながら自宅のドアを開ける。
すすきの風情
枯れすすきは野原や山のイメージが強い。この写真はヴェルニー公園から海と言っても 湾をはさんで向かい側が米軍基地である。 つまり、向かい側はアメリカの管轄地で、こちらは日本の岸壁になる。そうみると枯れすすきも趣が違う。法律の壁を意識してしまうと、 情緒も放ったくれもなくなってしまう。ちなみに夕暮れ時で日が沈むのはこちら側、 向かいは東で朝陽が昇る方角になる。そんな思いで眺める奴はいない。ひねくれ者が考えそうなことだ。目の前を最終の 「よこすか軍港巡り」の船が戻ってきた。今や観光バスで賑わい手軽に乗船できないと聞く。といっても向かい側は海自の潜水艦基地で日本である。 一衣帯水などとはいってはいけない。

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