日常の写真風景

 2018後期      今年の写真風景へ戻る
   2019年初詣 2018年12月31日23時45分
毎年近所の神社に大晦日の夜にいく。古い破魔矢を御焚き上げに入れ階段を上り、神殿前に額づく。丁度各町内の氏子総代がお祓いを受けている。23時45分。 このあと氏子含めて持ち場に付き参詣者を迎える。除夜の汽笛が鳴ると同時におめでとうと挨拶して、神様に届く様にジャラジャラと鈴を鳴らして一年の感謝と新年の無病息災をお願いする。 お神酒を頂き、盃を懐に入れ、、新しい亥年の破魔矢を求める。ミカンをお土産にもらい帰宅して寝る。寝不足の一日になる。
  年の暮れ 2018(平成30)年
平成30年も後3日、今年一番お世話になった生涯学習センターの6Fすかやかん(最上階)と5Fのまなびかんの夜5時だ。まだプールや図書室は最後のお客さんがきているのだろう。この5年間で1,000日位来ているかもしれない。それ以外に特定検診・ゲートキーパーなどでお世話になっている。 バスも明日から正月運行だ。
   銀座の奥野ビル20181226
知る人ぞ知る画廊ビル。25店舗以上の画廊が入り、それ以外もアクセサリー・靴・ジュエリーなどお洒落な店舗が多い。18年前は6・7階は住宅だと聞いていた。昭和7年建築で、エレベーターが手動だ。中の黄色い扉を閉めないと作動しない。だから降りたとき閉め忘れると下の階の人は階段を上らないといけない。18年前は8畳位で8万/月と安かった。だが、順番待ちで簡単には入れなかった。オーナーのポリシーがしっかりして家族が一致団結して次代へ残す気概があると思う。
   銀座の年末は、もう正月20181226
流石に銀座だ。多くの店舗が門松を飾っていた。左は松坂屋で、見た中では一番大きい。女性と比較しても4mはありそうだ。右下は三越で大きさは同じくらいだが、注連縄の結びが祝い結びになっただけ豪華に思える。右上は金春通りの如何にも銀座という料理屋で入口に昔ながらの斜めの切り口で節があり先端を切り、おちょぼ口になっている型で、今は概して危なくないように斜め切りが少ない。
   Xmasサンタの役目を終えて 20181225午後3時
偶々、見かけたサンタの集団。何となく日本人に見えた。この時期如何にもサンタみたいな白い髭の老人で西洋風の容貌の顔で、かつ背が高い多少でっぷりした人が、イオン(以前のダイエー)がテナントのショッパーズにいて、子供たちと記念撮影をしていた。今年も何人かそれらしい人を見たが一人で役目を終えた帰り道ですれ違ったが、この集団行動は何なのだろう。役所の方から歩いてきて安浦の方へ歩いて行った。日時から判断してタイトルを付けたが定かではない。街はXmasから正月モードに変貌していた。松飾りの屋台が売り始めていた。でも今日がXmasなんだけどね。
    Xmas2018の景色
横須賀中央の居酒屋はXmasイブは休みが多い。客が来ないからだ。Oは3年前に開けたが、ダメだったので戻して休みらしい。従業員やバイトも嬉しいだろう。その駅前で、前田サラFamilyBandのライブをやっていた。Saxプレイヤーとして単独ライブもやるが、クリスチャンでもあり、オルガンとの共演や最近目覚ましい活躍をしている。魂を揺さぶるライブだ。夜は燭火礼拝をほとんどの教会でお祝いする。
   キックボクシング20181216
初めてリングを観た。手前がジャッジで奥に勝利者トロフィーが置いてある。試合前の緊張感は無いが、観戦者は30人程だろうか。あとは試合のセコンドだったりして立っている。リング前が5,000円、2列目が4,000円、その後ろが自由席で3,000円だ。空いてたので2列目で観戦した。デビュー戦とはいえ迫力は「半端ない。」という流行語が当てはまる。写真OKということだったが、始まったらそんな余裕はない。夢中で声援したし、倒せと一縷の望みを託しながら応援した。Aさんの試合。
   第2回「みんなの理科フェスティバル」2018.12.15
昨年から始まった理科フェスは今年の発表パネルが倍以上になっていた。特に児童にも楽しめるコーナーがあり、多くの家族連れで賑わっていた。昨年の高校生の発表は閑散としていたが、内容のレベルが高いのに驚いた。高校のころは家にTVが来た時で、私はオリンピックの中継を観て一喜一憂していた。隔世の感を持つ。ちなみに左下のパネルは私の作品で、市民大学の「取り歩き」をまとめたものである。A2版の小さい発表だが、学生のはA0版で内容も素晴らしい。
 バス停汐留のポスト
ほとんどの人々が気付かない。場所は、電車が汐入・バスは汐留のイオンのある総合ビルの左側にひっそりと佇んでいる。前が駐輪場なので近寄りがたいこともある。ビル入口の前に置けば結構話題になり、手紙やはがきの郵便物に興味を持つ若い人もいるだろう。そうしたら、年賀はがきの立ち売りもこの前でできるし、他にもアイデアが出てくるのに何故なのか。ビルができた当初とビル前の使い道が変化したこと、歩道の行き止まりにしてしまったことなど要因は一つではないが誤算には違いない。それでも変更しないのは近所でポストを利用しているし、わざわざここで投函するメリットがないからだ。記念のスタンプとか考えて見たらどうかとアドバイスしたくなる。年賀状を売る隣に記念スタンプ押し机を用意するとか。
   自動販売機のポスター
「男性募集」「美熟女の簡単なサポート」と書かれ、募集条件は70歳位までとある。内容は、「食事・ドライブ・恋の悩み相談から日曜大工・介護」など多岐にわたる。我々でもできそうだが、ポスターの写真が意味深で怖い。美熟女なんて縁がないし、恋の悩みはとっくに卒業しているし、相談に乗れる程の経験もない。
  浦賀水道の小春日和2018年12月8日
観音崎の横須賀美術館から観る浦賀水道。暖かな日差しの中、芝生で子供の遊ぶ声が聞こえていた。ついさっきまで。今は午後3時。日が陰り徐々に夜の準備に入る。もう冬だが、こんな日をいうのかもしれない。矢崎千代二展「旅の絵」に出てくる風景を思わせる。矢崎の描写力をすれば、瞬時にこの風景を切り取ってしまうだろう。7-8か国は行ったことがあるが、インド・南米など100年前に旅したパステル画の個展だ。この写真よりも輝いていた。
   リドリライブ2018年12月2日
横須賀で一番高いビルの表玄関で、日曜日にライブをやっている。今日は、有希とEyes'の二人が交互に出演していた。私は丁度、Eyes'の最後の公演を聴いた。音楽は聴く時の感情の在り方で心地よくもなるし、逆に心に響かない場合もある。今日は伝わってきた。自分の精神にゆとりがあるからだろう。哲学的には善である。刺激によって変状する力で本質が変化したともいえる。毎日、瞬間的に変化している。それも感じながら生きている訳だが普段は改めて考えることは無い。時々きっかけがあると考える。彼女に感謝したい。
   街宣車
ワゴンタイプの後部車両の上に付いたスピーカーから流れる街頭宣伝車。形状からわかると思うが政治結社のそれだ。主義主張を表明するのは自由だが、少しばかり音量が大きい。多分規制対象内なのだとは思うが、選挙のときと同じようだ。効果はどれほどあるのだろう。政治家が自宅・事務所周辺で褒め殺しをされて、裏で話し合いして止めてもらうという話は聞く。
   米倉正美『調』2018第五回改組日展
2009年に同じ題で出品したとき強い印象があった。その後、椅子をテーマにしてもタイトルは異なった。。今回は何か心境に変化があったのだろうか。中央に置かれているように観えるが、椅子の背もたれの珊一本位左に寄っている。椅子の足も少し違う。濃淡と影を巧く使い分けて錯覚を起こさせている。以前はクラシック音楽が流れてきた。今回はヨーロッパの古城を思わせる背筋の伸びた軍楽隊が奏でるメロディが聴こえるというか、激情を感じてしまう。何か変状がこの10年であったのか。
 こどもびいる
蕎麦屋にいったら、ざるそばの横に「こどもびいる」¥380円(酒ではありません)と書いたポスターを観た。知人と待つ間話題にになった。大きな店で昼時は混雑している、かつ掘り炬燵形式の座敷で家族連れが多い。夜は酔客相手になるが昼は子供の飲み物として出しているらしい。調べたら、もう発売15年らしい。近年流行りのノンアルとは違い、十分美味しい飲み物でレモン味のサイダーみたいな飲み物らしい。その場で飲めば良かったが、どうも調べてから衣食は手を出す癖が抜けない。
下向きのカーブミラー2018年11月18日
国道や信号のある道路では見かけないが、横須賀は市道・私道の山道も多い。カーブミラーは車が曲がるときに対向車を確認するためにあるのだ。(運転しないので聞きかじりだが)葉山の木古庭の山道を走っていると突如道路の先が切れて見えない。一方通行ではないので対向車を確認できないということで、写真右上に下向きのミラーが取り付けられている。知人も歩いているときには気付かなかったが車で通り始めて見たそうだ。他にあるか知らないがあまり見かけないようだ。これも横須賀(葉山)の地形ゆえかもしれない。直進すると急坂を下りることになる。
暗い夜道
近道の路地裏。バイクが止まっている。野良猫のフンが時々ある。近道で利用するが初めての人には恐い場所だ。女性がむこうから、「こんばんわ」と声を掛けてくる。子供連れの人に多い。私も「こんばんは」と返す。 互いに安心する。無言で通り過ぎる女性はこちらも声を掛けずらいし対応が困る。半世紀前には無言などあり得ない時代だった。もう充分昔語りの爺になっている。戻って18年変わらない路地裏なのに住む人の気持ち変化したのだろうか。
火事のその後
4か月前の全国的なニュースになった現場。火事の原因は漏電ということになったようだが、今も匂いがキツイ。2万平米が更地になりつつあるが、残骸が残っている。いつまでかかるかは知らないが、一見更地に見えてまだまだな気がする。古い建物の沁みついた匂いというか歴史は沁みついている。鉄筋だけの骨組みと思っていたが結構得体の知れない(と門外漢は思う)物体が転がっている。素人目にも処分の難しいのが残っている。 
 歯科大学の車のナンバー
歯科大の訪問歯科診療車のナンバーが80-20だ。
「80歳で歯が20本」の標語を車のナンバーにしている。
自慢になるが、私は「70ALL」だ。35年前に2本治療しただけで何とか自前の歯で過ごしている。70歳歯科診療の通知で行ったが、褒められた。このまま続けられるように頑張ってくださいなんて孫みたいな歯科衛生士の女性に言われた。
 2018年10月31日 昨日寄港したのに、呉に向かう?
海自の練習艦「かしま」、鹿島からの命名らしい。
出向に際してなぜ傾いているのか。聞いてみたい。
   ハロウィンの次はXmas
早い。今週もうXmasツリーがお目見えした。日曜までハロウィン一色だったのに。無論まだ続いている所もあるが。何事も早め早めが良いとも限らない。余韻は残っていると思うのだが、付いていけない。
   秋の日のヴィオロンのためいきの・・・
なんて詩が聴こえてきそうな昼下がり、眼前の三笠ビルの裏に横須賀らしい低い丘がある。里山であるし、谷戸の地形の特徴だ。このビルがの2・3階に行ったことはないが、店舗も結構あるらしい。3階は事務所か住まいにでもなっているのかな。小学校時代に母と買い物に来た。山下清のサイン入り絵葉書は目の前で書いてくれた。シスレーの絵葉書は額に入れて飾っている。当時は無かった洒落たカフェから眺めている。
   福が降りる?!
トンネルカードを発行している中華店に行った。本格的な味でメインは中華料理で、トンネルラーメンはあくまでも観光に協力しているということだと思う。そして多少駅から離れているので効果も期待しているかもしれない。チャーシューがトンネルのように並べられ多いと思ったが意外と淡白で旨く麺も良かった。スープが日本的な醤油味とは違う独特な味である。豚骨でないし、濃厚じゃないので結構いけた。
   横須賀ブラジャー
戻ってきた頃、中央の商店街に大きな看板が出ていた。地元で飲んだことがないので知らなかったと思ったら、町おこしのネーミングと聞いた。ブランデーをジンジャエールで割るらしい。分量はしらない。厳格にあるらしい。そりゃカクテルだかな当たり前だ。一度店で飲んでみたいと思いながら18年過ぎた。スタンディングのオールドスタイルの店では扱ってないらしい。あくまでも、このマーケット限定品という。
 
何という名前が書かれ、診療科は何か。
開院が待たれる。
横須賀海軍工廠長浦職工共済会病院として誕生し、何度かの組織・名称変更の末、横須賀共済病院分院として3年前に100年の歴史を閉じた。左は新しく名前を入れるための看板が設置された。その右脇の石柱は最初の名残として常に来院する人を見守ってきた。建替えられ通院者を見守って欲しい。
   ハロウィンの季節
すっかり定着したようだ。特に横須賀はネイビーの街でもあり、この数年イオンのHappyHalloweenは慣例になってしまった。特にみこしパレードと重なり盛り上がっているようだ。トンネルカードやフェスティバルなども寄与しているのだろう。都心からも日帰りできるし気楽に来られる。スパもあり近い安い速いが浸透しているのかもしれない。
   三笠屋の今川焼
56年の歴史に幕を閉じた。立て替えるそうだ。この18年で、さいか屋・西友・ヤジマレコード・サクマと建替えなどで姿を変え街が様変わりしている。この名物を惜しんで閉店1週間くらい前から行列ができていた。私は食べた記憶がない。出来たときは中学で、この辺は遊びに歩かなかった。
つむじ風?
普通は春の乾燥した日に発生するが、秋のどんよりした台風が接近している日にも発生するのだろうか。 落ち葉が舞い上がり、大滝町の道路を幾度となく舞った。喫茶店のガラス越しに見えるのでカメラを片手に幾度もシャッターを切ったが、 舞いががる様子が上手くアングルにならないので仕方なく手前の歩道の倒れた自転車に吹き溜まりのように溜まった落ち葉を入れたが、 それでも舞い上がっているようには見えない。この辺がプロとの違いというか、限界だな。
  変わりゆく金沢八景2018年9月19日
シーサイドラインが延伸され京浜急行の駅と一体になる。計画から30年という。5年前に市大で手術を受けて以来年1回9月に行く。 そのたびに変貌する八景周辺を眺めてきた。写真は八景駅に向かう高架線を延伸して合体する骨組みができたところで周辺の工事をやっている。 来年の9月には新しい八景から病院にいくことになろう。150年前の地名由来の風景は見る影もなく名前のみ残り語り継がれることだろう。
   高所恐怖症
以前、鉄道の軌陸車を取り上げたが、電柱の電線工事も最近は専用車が多い。電柱を登らずに作業車で仕事する。 これなら高所恐怖症の私も乗れそうだ。隣で同じ高さ位の場所の樹の剪定作業をしていた。丁度向かい合わせだが、安全面ではかなり違う。 左は空師というらしいが、昔ながらの方法しか無いのだろう。恐くてとても出来ない。

前列左端が藤野さん(写真はブログより、許可得て転載)
主催者の役所の方含め20名くらいが参加。(昼の部)
https://www.hide-fujino.com/blog/ に詳細が掲載
2018年9月12日(水)自殺予防街頭キャンペーン
久里浜駅前「はろーど通り」で自殺予防の街頭キャンペーンをした。半年前に追浜駅前でした。配布物は手渡しのタイミングが難しい。 左のように同じ帽子・ベストを着用しているが難儀だ。だから街頭でマイク持って的確な発音・言葉で話していると受け取る確率が高い。 話の内容を深く理解できてなくても安心するのかもしれない。 心理学専門ではないが、なんとなく理解できる。カツオの一本釣りで水を噴射するとイワシと勘違いするみたいな雰囲気にはなると思う。 その役目を藤野 (市会議員)さんがされている。さすがに話は上手い。声が通る・噛まない・歯切れいい・人の流れをみて話しかけるスタイルが絶妙だ。 多分倍以上は受け取る人が増える。 このあと17時から中央でもやる。マイクなしでも彼は渡し方が丁寧で巧い。
不審車の確認?
近所のコンビニの駐車場で、警察官が二人で車を長い時間確認していた。多分、コンビニからの通報だとは想像するが、 妙に怖いより事件が起こりそうで不安がよぎる。最近良いニュースが流れないので、月変わっても続いてもらっては困る。
慣例リドリのライブ
沖縄音楽をやっていた。残暑が残る蒸し暑い昼下がり、男女の二人組が始める準備をしていた。トークでお客を和ませ (前説でお客様を温めるというらしい)拍手を浴びていた。沖縄音楽はドレミの音階のある音を使わないと聞いたことがある。 絵画だとモノクロ、あるいは青黄赤緑のどれかを使わないか、多用するかで絵の印象が大いに変わる。例えが的確ではないな。同じ芸術でも比較は難しいので終わり。
 渋谷の交差点
国内のみならず海外にも鳴り響いている交差点である。私以外には海外の旅行者が石垣に登って撮っていた。 顔の正面写真でないものを選んで貼ってみる。とにかく多い。横須賀中央の比ではない。もし、ここを歩道橋にするといったら、 賛成の挙手をする人はいるのだろうか。DJポリスもいないし、サッカーで騒ぐ若者もいないけどスマホで配信することもなくなり、 ハチ公と並ぶ名物が消えてしまうと反対の火の手が商店からも上がるかもしれない。
   台風一過
昨夜は凄まじい風であった。雨足も強く爪痕を各地に残した。このあと北海道に向かうようだ。 バス停の側溝はトンボ・チョウ背景で掲載するが、先週草刈りをした後で余計に水が綺麗に見える。 雑草以外すべての廃棄物が流されて長浦湾に沈むか長い旅を始めるのかもしれない。 そうやって太平洋を渡るか微細に分解され沈殿して魚などを通して人体に影響を与えることになる。 写真は、暗い色のマーク・ロスコみたいで、広い中央に水が流れ、上側の石垣と陰、下側の歩道縁と説明されないと判らない抽象画の世界。
 
ポケモンフィーバーの5日間が終わる。
最後の日曜午後5時のヴェルニー公園は大勢の人で賑わっていた。左立看は三笠商店街の入り口、 日曜で休みの店前でポケモンハチマキを配っていた。
 夕焼けの電線うつくし
この言葉は、朝井閑右衛門が《電線風景》を描いているときに言った言葉だとされている。 自宅の東南側に当時の国鉄と京浜線が交差するあたりに住んでいたころ、題材にしていたのが電線である。 何の変哲もない電線が彼の心を捉えたのか。この写真は北の空で、雲がきれいに見えるが焦点を手前に向けると横切る電線が何とも余計というより、 主役の趣がある。見方でどうにでも表現できるということだ。
京急バス停の遮蔽板の応急処置
下に映っているのは私の服と右下は手になる。二人の関係者といっても、専門家ではなく制服組だ。 アクリルの遮蔽板の下の留め金が外れて、グラグラしていたようだ。座って寄りかかたら道路側に少し倒れ込む。 何とかありあわせのネジを当てはめて道路側に出っ張りを持っていき歩道側は安全なように留めていた。座りながら撮った。 半年前まではカメラのシャッターを切るなんて考えもしなかったが、最近はすぐ撮る癖がついてきた。 その時カメラマンは見ていて何も手助けをしないのか。この場合は京急マンではないので仕方ない。
 ヴェルニー公園のポケモン探し
8月29日から9月2日までの5日間、横須賀はポケモンフィーバーが起きている。毎日2万人もきているかしらないが、 とにかくスマホを持った大人が多い。これは、上り線のバスで汐留からすぐの公園の景色だ。 うまい具合に霞が掛かっているがいつもは6時といえば閑散としている。恐るべし。
 桜木町のランドマークタワーが25周年
1993年に竣工されたという。まだ25年という思いが強い。どんどん商店街で飲んで、隣の三菱重工ビルで仕事していたころだ。 出来たばかりのビルを抜けて通っていたことになる。横浜美術館もかなり通った。その頃は新しい芸術観が自分の中に芽生えつつあった。 今はもう新しくない。半世紀で時代名称が変わるのだから。名称がついていないだけで、後世の美術史家はなんと表現して括るのか。知らないままオサラバすることになる。
 夜の野外映画館(横須賀美術館・海の広場)
http://www.yokosuka-moa.jp/event/index.html
8月25(土)26(日)に開催されるイベントです。もう10年開館してから継続しているので夏の楽しみの一つにしていらっしゃる方がいるのではないでしょうか。 宿題を終えて最後のお楽しみ・ご褒美かな。60年前には町の通りを遮り白幕で上映していた。裏からも真逆の映像が楽しめた。 チャンバラなどもやっていたと思うが、記憶がない。それに名を借りて遊んでいただけだ。 夜遅くまで近所の悪ガキどもと一緒になって話していた思いでしか残っていないが楽しかったということだろう。忘れたいとは思っていない。
   
 立ち食いのヤキトリ
横須賀中央で有名な店だ。ガイドブックに掲載されていないと聞いたが、とにかく昼間から店の中に人はいないが、 外の路地裏に外人や子供・中高生が立ち食いしている。祭の屋台と同じ感覚ではないだろうか。一度は、立って食べたいと思いつつ20年経つ。 狭い路地に肩を寄せ合うように話すでもなく三々五々立ち食いしている。日本文化の象徴かもしれない。 安心・安全な明朗会計でベビーカーを引きながら食べている若い主婦もいる。平和日本の象徴である。
     新台入替
ようやく、アップできた。右が一月前。「新入り、台(代)替わり」と読めると思いながらみていた。 やっと「新台入替」と間違えようがないコピーになったので掲載することにした。およそ1か月、 誰かが何かを言ったのか全く関わっていないので判然としないが、日本語としては左が正しいし判り易いが、 右の方は新人が入ったと思いそそられる気がしないでもない。写真もあるし。
   日傘よりバス優先
バス停脇の側溝に日傘が落ちていた。沈み具合からは、1時間も経っていない気がした。 拾わずにバスを優先して乗っていったものと思われる。深さ1mの崖でご婦人では難しい。私は5日前杖を落として慌てて拾い上げた。 まぁそれ位回復しているということで自分でもいざというときのバカ力を実感した。他方朝の9時台では若者はいない。 だから誰もが辺りを見回してみたが適当な人が誰も居なかったのではないかと思う。
昼下がり 2018年8月21日(残暑厳しく家から出ない)
夏のけだるさが残る昼下がり、記録的な暑さが止み、少し秋風が聞こえたと思ったが甘くない。 近所の三差路に立つと誰も居ない。本当に人が居ない。私はこのどこかの道の横に住んでいる。いくらなんでもこんなに人が居ないのかと思った。 寂れているとかじゃない。真夏の太陽が照り付けるので人が出てこないのだ。クーラーの効いた部屋からでない。 この写真を撮った場所は結構子供の遊び場で缶蹴りなどした。高々60年前なのに子供が居なくなった。いるのは同じ世代のジジババになった。 宿題やらずに遊んでいた気がする。
   溺れちゃう!?
毎日のようにリハビリで行く、プール。私は水深1.2mの25mプールでウオーキングする。隣に深さが可動式の多目的プールで主に教室利用が多い。 夏は小学校の利用も多い。通常は水深1.1mで壁に表示している。調整した水深パネルを逆にしたら9.0mに見えた。誰も言わない(気付かない?) ので良く話するSさんに言ったら「おぼれちゃう」といって、すぐ逆に入れ替えた。プールは撮影禁止なので左は自作の表示板である。

最後の大ジャンプと観客がいなくなった後のスキンシップ
半年で20㎝高く飛べている。7月に2歳になったばかりだから、どこまでジャンプできるか楽しみ。闘豆の”ゆずぽんず”です。
2018年8月19日 猿回しを見た。
リドリの前の通り。猿は2歳の♀。相方は若い女性。2歳を考えた。猫は犬やうさぎなどいろいろな動物と比べて、高さに関し高い身体能力をもつ。 木登りや家でもタンスの上とか高いところが好きだ。理由は敵が来ないから安全・視野を補う縄張り防衛・寄生虫から身を守る本能が考えられるが、 降りるのは苦手。爪が登り向きで降りは不向き。子供は何故上に行くのだろうか。山中で迷子になり発見された。飲食しなかったという。 では何故戻ろうとしなかったのか、出来なかったのか。猫と同じではないだろうか。本能で上に行ったが、下には行けなかったのではないだろうか。 猿と同じ祖先を持つヒトは2歳くらいまでは大差ないという。猿回しを観ながら、そんなことを考えた。不明が12日10時半で発見が15日午前6時半頃。 自宅から560m北東の山中の沢。保護まで68時間。言葉があれば聞きたい。
   YYポート横須賀の賑わい
横須賀中央から2分にあるアンテナショップである。1Fが物産販売で2Fがレストランになっている。 食事は海軍カレーがメインで何時行っても満席状態が続いている。特に今夏は暑い時のカレーライスで行列が絶えない気がしている。 営業成績は知る由もないが、隣がカレー専門のCoCo壱番屋だが、観光客は見向きもしない。全国一律の味だと思っているらしいが、 ここ含め近隣4店舗では海軍カレーがある。知る人は食す。ベースの若者が多い。メニューが豊富でもある。が観光客はここだけでなく、 休日には行列のできる店が結構ある。これもメディアで宣伝したり取り上げてくれたりしているからに違いない。賑やかなのは歓迎だ。
   朝の交通渋滞
最近16号線で事故が多い。お盆の季節はあまり関係ない横須賀だが、16号線が渋滞するのは、 土日に中央でイベントがあるときか、交通事故で1車線になるときである。乗車するまでは普通だったが途中から動かなくなり、 救急車のサイレンがけたたましく鳴り物々しさが伝わりだした頃に現場(田ノ浦の交差点)を通り過ぎた。4台の車が衝撃の激しさを物語るように接触していた。 当然ニュースになっていると思ったが、帰宅してネットニュースの地方版に掲載されていなかった。負傷者が軽傷だったのだろう。 前がつぶれた車の運転席に人がいたが大事無くて良かった。
   雨上がりのバス停
歩道側に水溜りができているが、バスが寄って止まると水しぶきが足にかかる。鏡のように建物が写っているが泥水に近い。 前の人にかかったが、腹を立てても仕方ないので我慢しているに違いない。次回気を付ければよいが中々そこまで気が回らないで被害にあう。 運転手も気付いていないのか、利用客が気をつけなさいと思っているのか。知る限り中央のバス停だけのように思う。 TVに映る瞬発的な東京の集中豪雨を観ると些末な問題で書く方が可笑しいと言われそうだ。
  献血年齢基準を今週超える。
横須賀中央のYデッキ下に献血車が道行く人に呼び掛けていた。いつも見る光景だ。私は病気の関係で献血できなかった。 今はどうか調べていないので定かではない。可能になっているかもしれないが、ダメだと思い込んで今日まで生きてきた。 今更確認してみても仕方ないが、65歳で手術の時、800㏄(2回に分けて)自己血を採取して冷蔵保存した。幸い使わず入院中に戻した。 一回はお役に立ちたかった。400㏄採っても全く問題ないと感じた。あと数日だが、若い元気な血が良いだろう。注射器が入るところをみたことがない。恐怖症なのだ。
 
屋上は天国だった時代がある。暑いからか子供はまばら。
 SOGOの屋上を眺める
甥っ子が古希の祝いをスカイビルの店でやってくれた。「たらば蟹とホタテの北の夏贅沢コース」で本当に贅沢だ。 弟一家と贅沢な料理に旨い日本酒、眺めも最高で屋上が園児の遊び場ルートになっているという。 今日はタクシーの日、親父が存命なら101歳になる。 涙流して喜んだ気がする。巡りあわせで俺が祝いを受けているが永い歴史の一コマに過ぎない。明日からまたその日まで懸命に生きる。
午後6時の御仮屋
子供神輿が神社に出発し、御仮屋では樽神輿はじめ片付け終わり一休み、肩に安堵と疲れがどっと残り少し虚脱感が漂う。 毎年の繰り返しで、同じようで少しずつ変化している。5年前から平均年齢が5歳上がり引退をする人がいる一方、新しい人が入らない。 非生産年齢の連中でこのまま朽ちるのだろうか。それとも、私がくたばれば新しい新芽が光を浴びて成長してくるのだろうか。 繰り返しを信じて今年は店仕舞い。この上の提灯はこれが見納めになる。
 
 2018年7月22日(日)11時40分頃に通報があり消防車が20台以上来たという。 B号倉庫から出火しC号と2棟が全焼した。A号は10年以上前に更地にして駐車場になっていた。倉庫間は結構広いと思ったが、 熱で延焼し鉄骨が飴のように溶けていた。鎮火は100時間かかり、26日夜だと発表されていた。B号は8000㎡、C号は6000㎡で性質上窓が小さく放水するのにも難儀したようだ。 丁度16号線沿いの祭の注連縄張りをしていたときで、知人が最初に駆け付けたらしい。ちなみにK号倉庫は一時画廊として使用され現代絵画・立体の展示で知られていた。  
   
 

横横下り線で車が逆走7月25日午後
 2018年7月26日 横横の浦賀IC入口
右に見えるのが、下り線の出口で1車線であるが、右が結構広く空いている。普通は直進して上り線に入ると思うが、 左から車が来て気を取られたり勘違いすると下り線に入らないとも限らないというのが、Mさんの見解だった。 多分車が下ってこないし勘違いしたのではないだろうか。もし侵入してもしばらくすれば逆走に気づき、ボールコーンを破って上り線に入れるが、 気が動転したものか判断できない。今日の報道では認知症と診断されたようだ。さもありなん。負傷した人が軽いことを祈るのみだ。 にしても、免許更新の時に検査が引っかからず、最近発症したものと考えるしかない。
事故現場が田浦泉町と出たときは笑ってしまった。
    2018年7月22日 倉庫火災
映像を見る限りこの倉庫が火災にあったと思う。手前駐車場にも同じような倉庫があったが、10年前に取り壊された。 この倉庫の裏手が子供のころの野球場だった。両サイドが壁になりボールゲームには都合よかった。車と比べれば長さが推測できようが、 広く長く地面はコンクリで雨の後でも問題なく、急な雨に凌げる軒もある。注意されることもなく、のんびりした時代だった。 60年前になろうか。岸壁の釣りも自由、ゴカイも川で取り放題、アサリなど臭くて取っても親に怒られた。 ハゼの奇形が多くいるくらいに海は汚染され油臭くて汚かった。船の重油や汚水の垂れ流しの時代でもあった。 環境を考えるゆとりのない昭和20-30年代の話だ。写真は今年4月末のB号倉庫
   「道の駅」の切符
1枚180円で4枚で1枚が色違いがあるという。ネット販売もしている。商魂たくましいというか、アイデア次第だ。 随分前から発売されていて、コレクターが相当いるそうだが、箸袋の会の出席者13名中1人しか知らなかった。 4月のマンホールカードも知らない人が多く、こちらは作成している行政の上下水道局の窓口にいくと無料でくれる。
   祭の一週間前の注連縄張り 総勢16人位で左右の市道の両脇を御幣を注連縄に括り付けていく。左の写真の奥が水道トンネルに続く。 3-4人で脚立を使い3-4mの高さに御幣を括った縄を張っていく。結構大変な作業を毎年受け継いで伝承していく。1,000枚の御幣で住民に祭の始まりを知らせる。
   横須賀美術館の常設展
最近は美術館が写真OKの作品を用意していることは書いた。7月14日からの常設展は、中園孔二展の作品すべて(48点)がOKである。 好きな絵を撮ったり家族の記念写真を撮ったりしている。海外だとルーブル・メトロなど主要な美術館はOKにしている。 流石に現代美術の作品はNOが多い。中園は1989年生、2015年突然没した。享年25歳。溢れる才能を秘め新しい絵画を切り開こうとしていた矢先である。 死に急いだように夥しい作品を残した。斬新な絵画を、自分が見て見たかった世界だどのような世界なのか。観賞して想像するのも楽しい。
   昆虫と花の撮り歩き
観音崎公園を仲間と撮り歩いた。途中、気になる虫や章句物があると先生を囲んで確認する。メモを取らない限り昆虫や草花の名前は忘れるので書く。 若いころは覚えている自信はあったが今は5分も持たない。この写真の時には私はすでに知っている昆虫なので他の方に席を譲った。 そこで写真に収めた。唯一の一枚になる。蚊がすぐに寄ってくるので油断がならないが夢中で聞いたりメモしたりすると、 すぐに痒くなる。スプレー効果はあるのか定かではない。皆さん長袖シャツを着ている。半ズボンなどあり得ないと思うが山道を行き交うヒトには時々いる。
 七夕まつり
ベース御用達のマンションに毎年七夕の飾りが立つ。日本の風習を知ってもらう意味で賛成だが、日本の家で見ることがなくなった。 仙台や平塚など地域おこしの手段として伝統的に開催されている祭で代用しているのかもしれない。各家庭では面倒だし改めて願い事などしていないかもしれない。 100円ショップには関連グッズがあるが、ベースがあるからだろうか。他はどうだろうか。家庭からイベントが消えて、業者が経営として成立させるイベントに変身している。

copyright 2018 SHIRONDA© all rights reserved